食前
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「どうしたの? あ、分かったー! そんなに泣くほど嬉しいんだ! 」
「エレナの姉御の作ったパンですから感涙してるんですね! 」
「熱々ですねー! 」
見当違いな揶揄に心まで土砂降りの俺は、噎び泣きそうになりながら手に持ったクジを見つめていた。
見覚えのある文字がそこにあり、エレナと書かれた丸い女の子文字をここまで恨めしく思っているのは、今日より他無い。
漫画の神様みたいな人間によって運命を操られていると言っても遜色無い今のシチュエーションに、正直に心が折れそうだ。
「じゃあ、これがレイ君が食べたくて仕方がなかった私特性の激ウマちぎりパンですよー! 」
「う、うわー……トッテモオイシソウダナー」
な、何でだ!? 何でパンなのにパンじゃないの?
「きょ、今日のは何時ものと比べて一段と不思議な匂いをしてるけど、ていうか発しているけど、同じ材料を使って作ったよな? 」
「そうだけど……生地は何となく平べったい方が美味しいかなって……てへ//」
「ナン生地みたいな広がりと、ピザみたいに上に乗っている色鮮やかな具材は何だ? 」
「これはねー……食べてからのひ・み・つ」
「な、なるほどー……食べた瞬間まで分からないっていうアレか……」
開けてみたら、あらビックリ! 中身はパンドラの匣でしたー! ってオチだけは勘弁ですよ。
全員同じくちぎりパン用の生地を使って同じパンを作っていた筈なのに、そもそものパンとしての種類系統から外れた何ともまぁアウトローな物になっちゃって。
焼成に入る前にゴソゴソやってると思ったら、こんな隠し生地を頑張って準備してたとは。
その上、自らの目で確かに視認しているのに、何の具材が載っているのかが分からないところがまた不気味さを強調していた。
「こっちはヒカリが作ったパンだよね? 何だか……意外だなー」
「そ、そう!? 俺も頑張ってみたんだけど……」
エレナと前衛的なアート作品を直視出来ずに視線を逸らすと、反対側ではニックとヒカリがパンを挟んで和かに笑いあっていた。
ヒカリの作ったパンは、市販のものに比べると見劣りしてしまいそうな物だったが、本人が一生懸命になって作ったパンだけあって、気持ちが込もった可愛らしいパンだ。
所々に付着した不器用さが滲むデコレーションが、エレナの作ったパンとは違った正攻法的な良さを感じさせる。
「ヒカリって、時々可愛い女の子っぽい事するからビックリしちゃうよ! 」
「わ、悪いか! 俺だって偶には……」
「別に悪いなんて言ってないよ。僕は寧ろ、こういうヒカリの方が好きだけどな……」
「そ、そう!? は、早く食べて! 冷めちゃうから! 」
「分かったからそう急かさないでよぉ! 」
パンを挟んで盛り上がる二人の雰囲気に、見ていた俺とエレナは心が温かくなって頷くと話題が上がる。
「あの二人って結構お似合いだったりするよね? 」
「だな、ヒカリが少し控え目なニックを引っ張っていてバランスが取れてるみたいだし、二人とも家が近くて関係も良好、言うこと無しだ」
「ニックはまだひ弱そうに見えるけど、レイくらいに年を重ねれば中々ハンサムになりそうだし、ヒカリちゃんは今はボーイッシュだけど髪を伸ばして女の子らしい格好と所作を身に付ければきっと美男美女カップルになれるよ」
きっとそうに違いない。二人の雰囲気を見ていても、若さの部分で危うさと脆さを孕んでいるが、お似合いなのは確信を持って言える。
「よし、みんなそれぞれに食べたことだし、そろそろお暇するとしますか! 」
「……待って、まだ残ってるよね?」
爽やかな笑顔、短い言葉の中にはエレナの伝えたい事がありありと含まれていた。
「い、いやー、美味しいものは家でゆっくり食べようかと思いまして……」
「なら、熱々の出来立てが一番美味しいんだからここで食べるよね? 」
「普通なら……そうですね……」
「なら、今すぐ食べたいよね? 」
「あー! すっごく今食べたくなってきたなー! 」
「だよね! 実を言うと、レイに食べて欲しくて頑張って作っていたんだー! 」
「あ、ありがとう……」
予定調和。予め決められていたレールの上を歩かされているかのようなブレの無さ。
エレナは如何あっても俺にここでコレを食べさせる気でいる。それを阻むことは誰にも出来ない。
これ程までに心の込もっていないありがとうを言ったのは生まれて初めてだ。それ位に俺は今の状況に自暴自棄になりかけている。
「い、一体、何処から食べれば良いのか分からなくて悩んじゃうなー! 」
「あー、それなら、一番初めはここから食べてみると良いかもね! とっても美味しそうでしょ? 」
「あぁ、刺激的すぎて涙が止まらないよ……」
指をさして示してくれたのは、よりにもよって一番俺が危惧していたであろう黄土色に染まった部分。
パンなのかピザなのか分からないテイストの生地の上にある具材の中でも取り分けて異彩を放つ部分がそこには広がっていた。
ヌメッとした黄土色ソースに支配された一角は、異臭……を通り越した刺激臭が鼻を突き刺して、直視しているだけで頭がショートしそうな位に刺々しい。
辛うじて……肉? に見えそうな見え無さそうな具材がソースの大海の中でプカプカと救助を待つ避難民の様に浮き沈みして、既に手遅れな物は下へと沈んでしまっていた。
「ち、因みに、味は何味なの? 」
「えーっと、何だったかな……いつもみたいに最初からインスピレーションを元に作れてないから多分……ガーリックオイル的な何か? 」
「料理人が把握できていない料理……!? 」
「まぁその分、いつものご飯とはまた違った感じがして美味しいですよ旦那! 」
「だと……良いんだけど……」
断言しよう、この料理は確実にいつもとは格が違う。確実にお腹を壊して確実に俺は死ぬ(料理的に)
たったワンブロックを相手にしてこれなのだ。残りのエネミーもカウントすると、俺は明日の日の出を見られる気が微塵もしない。
エレナの言っていた通り、エレナはいつもはドタバタと忙しなく適当ひっちゃかめっちゃかに料理を作る。その料理の作り方は……インスピレーションに基づいた勘で行われている。
最初から最後までを勘で通すことで、神の奇跡にも等しい偶然の重なりが巻き起こって、いつもは料理としてのバランスを保っているのだ。言うなれば針の山の天辺で、石畳の上に座禅をして集中している修行僧の様なバランス感覚。
だが、今回は違う。途中までの式が完全に別物に変換されているのだ。
多少のバタつきはあれど、レシピ通りに材料を計って、レシピを参考に指導を受けながら生地作りを終えた。そこまでは完璧な料理と同じ手順。
問題なのは、そこから生地の焼成〜デコレーション、トッピングまでの過程がエレナ一人で行われていた事で、そこから完全に普通の料理的から逸脱した。
マイナスにマイナスをかけるとプラスになるが、プラスにマイナスをかけるとマイナスになる。つまりはそういうことなのだろう。
あまりのショックで頭が逆思考回転をした結果、こんな回答を導き出してしまった辺り、俺はよっぽど追い詰められている。泣き出したい気分だ。
こんなことなら、こんなことになる位なら……。
「……もっと早くに気づけば良かった……」
俺は目の前にある狂気にも等しいモノを掴んで、覚悟を決めると一息に口に放り込んだ。




