早くしないと
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「これであと半分っ! 」
鉄の剣が獲物の肉を裂き、途中で引っかかる骨を力づくで砕いて破壊する。
脳髄から何まで縦に両断されたゴブリンは、至る所に血液を撒き散らして絶命に至る。
幸いにして、いや、自らの意思でだが、ゴブリンからの返り血は浴びる事なく躱して倒し続けていた。
アンナさんの言っていた意味が、最初の一体を殺してから初めて分かるこの匂い。
得体の知れない何かを一週間放置して、その後良い感じにグジュってきた物を手頃な下水に一日浸して三日間寝かせて熟成、発酵した部分の一番強烈な物をまき散らしているような、そんな匂いだ。
鼻が曲がるとか、そういう次元を超えた匂い。
能力発動の所為で、普段より嗅覚が鋭敏になっている事も起因して、鼻がもげそうな程痛い匂いが俺の鼻を襲っていた。
だから、血液がなるべく出ないように倒してはいるんだけど……大雑把だからな俺……。
「やっぱり臭っせー! 何だこの匂い」
「言ったでしょ? ゴブリンは何でも食べちゃうから体臭から何までぜーんぶ臭っちゃうのよ」
「ここまで酷いと、事後処理が大変でしょうね」
「あら、もう終わった気でいるの? 随分と気が早いこと」
「はは……そっすね」
残りの数は半分の十体、既に敵の数が激減したことで囲うような陣立ては崩壊していた。
することと言えば散り散りにバラけて此方の様子を伺っては吠えるか、偶に堪忍袋の緒が切れて向かってきては返り討ちにされるかの二択だけ。
此方は二人とも無傷、アンナさんに限っては真新しい服に埃すら付かないパーフェクト。
ゴブリン達は誰一人として、灼熱の壁を突破することができず、ただ悪戯に命を散らすだけときた。
俺も頑張らないといけないな。
「何や、まだ終わってないんかい……」
「ミコトさん! もう終わったんですか!? 」
「おう……あの魔女にクレープ奢らされる羽目になるのは御免被るで……」
「あぁ……それで珍しくやる気になったんですか」
「その所為で体が痛いわ……よっこいしょ、後は二人で頑張ってやー」
炎と炎の間に見える空間に、ミコトさんが気付けば現れていて、胸元のシャツをパタパタと扇ぎながら地面に胡座をかいている。
その背後には、さっきまで何処かに一緒に消えていた筈のサイクロプスが、地面に大の字で横たわっていた。
一つしかない大きな瞳からは赤い血が流れていて、他には目立った外傷は存在していない。
余程、ミズキさんにクレープを奢らされる事が嫌だったのか、若年寄りと馬鹿にされていた中庸な顔が、更に疲れている様に感じた。
いつの間にか消えてて、いつの間にか消えってきてて。
全く掴みどころが無い、神出鬼没な人だな。
まだ五分どころかその半分少ししか経ってないと言うのに……あの巨体のサイクロプスを一人で。それも一撃で倒していた。
時間のこともそうだが、この人も草臥れた服に塵一つ付けずに帰還している。
得体が知れない人物ではあるが、実力者である事は確か。
「たっだいまー、あ! スーがもう帰ってきてる! 」
「げっ! ……ミズキ姉さんまで……早過ぎですよ二人とも」
「久々に本気出してやったからな。残念でした」
「クッソー! 次やったら負けないからね! 」
「勘弁してくれはります? 体が持たんわ……」
軽やかに地面に着地してきたのは、ガヤガヤと騒がしく帰って来たミズキさん。
あの大剣も、サイクロプスの姿も何処にも見当たらず、一人きりで何事もなく帰ってきていた。
「まーだ終わってなかったの? それも二人掛かりなのに……お姉さん悲しいわ……」
「そこ! ミコトさんと同じ事言わないで貰えますか! 」
「だってそうだもんねー? 」
「やな」
「ぐぬぬぬぬ……言わせておけば……レイ! もう背中合わせは禁止で行くから! 」
「え、ちょ、待ってくださいよ! ……ったく……」
二人の煽りに耐えられず、俺の後ろにあった重さは消えてしまった。
まあ、あの人なら一人でも全く問題は無さそうだから、俺も自分で勝手にやるとしますか。
一歩間違えたら命の危険もある戦いなのに、皆んな楽しそうに笑い合ってるし、ヤバすぎだろ。
だけど何でだか、今日は前よりも一段と体が軽いんだ。今なら何だって出来そうな位に力が漲っている。
俺の不思議な能力、未だに解明には至らぬ部分があるが、使えることに変わりはない。
何処まで通用するのか試したい、この力を思いっきり振るいたいと体と心が叫んでいるみたいだ。
「ちょっとお邪魔するわよー」
凄く嬉しそうな顔をして炎の檻へと近付いてくるミズキさん、何事もない様に炎に触れて、何事もない様にその炎の柱を捻じ曲げた。それも素手で。
勿論、手に火が纏わり付いていたのだが、何とも無いのかパッパと手を二、三振ると炎は消えて、なお此方へと歩みを進める。
目当てなのは、間近で油断していたゴブリン。まさかこの炎の檻の中へと自ら入ってくる存在が居るなどと考えもしていないのか、容易に背後を取られていた。
「これで数が合うでしょ」
子供が玩具でも壊すみたいに首元に手を置くと、そのまま軽く頭が数回転してゴブリンはあっさりと命を落とした。
そして何事も無く同じ手順で檻から出てこう言った。
「やる気になった所に、気立ての良いお姉さんが更に油を注いで差し上げましょう。二人ともー! 残り九体の内、討伐数が少ない方は私にクレープ奢りねー! 」
「「自分が食べたいだけだろ! 」」
「まあまあ、早くしないと二人共に買わせるわよー」
は、早くしないと……!
ーーーーーーーーーー
「はい、四対五でレイ君の負けー! ご馳走様です! 」
「さ、最後のは俺の方が早かったです! 」
「言い訳は良くないぞー、私の方が早かったもんねー! 」
「そうやで、僕から見てもローズちゃんの方が早かった気がするわ」
「そ、そんな……ミコトさんまで……」
俺的には、タッチの差でほんの少しばかりちょっとだけ勝っていた気がしたけど……くっ!
「そもそも、俺にはミズキさんにクレープを奢る義理はないんですよ? だから買いません! 」
「えー? そんな殺生やー! んなアホなー! 」
「何でやろ……間接的に僕が馬鹿にされてる気がするんですけど……? 」
「別にー? 私よりほんのちょーっとだけ帰ってくるのが早かった人の所為でクレープ食べ損ねて、機嫌が悪いだけですけどー? 」
「八つ当たりかい……ホンマ自分勝手な女やな……」
「だって食べたかったんだもん! クレープちゃんは作り立てが一番美味しんだもん! 」
歳にそぐわぬ駄々っ子を捏ねるミズキさんに、溜息をついて苦笑いをするミコトさん。
「もんもん煩いやっちゃ。……しゃーない……今日だけや、今日だけは僕が奢ったるからそれでレイ君のはチャラや、ええな? 」
「うん! さっすがスーちゃん、大好きだよ! 」
「うわっ! 抱き着くな、骨が折れるやろ! 」
「またまたー、本当は嬉しいくせにー」
「痛い、痛いわ! この怪力女! 」
互いにチグハグに見えても、二人はバランスを程よく取れているみたいだ。……そして奢らなくて済んで助かった……。
代わりにミコトさんの財布が寒くなって、ミコトさんの肋骨にヒビが入ってしまったが……。
「さ、早くしないとクレープが逃げちゃうわ! 」




