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食べたい味

✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎




「ありがとうございます」

「うわぁー、美味しそうだね」

「早く向こうに座って食べよ! 」




 前でクレープを渡された男女が、互いに微笑み合いながらその場から離れていく。




 他人を慈しみ合い、愛し合うことで生まれる二人の表情には、不純物は何処にも存在しない。




 幸せを体現している光景、一瞬のすれ違う時間の中で暖かな感情が後ろに立っていた自分達にも伝わってきていた。




 食べ物で人を幸せにする、これも一つの人間の生き方の形、クレープ一つに取ってもそんな事ができる人物に、食べ物以前に興味を持った。




 きっと、素敵な人に違いない……。




「へいらっしゃい! ご注文を言ってくんなぁ! 」

「イ、イメージと全然違うだと……!? 」




 太陽の光を燦々と浴びながらも光沢を見せる頭に、その下に覗くのは天気と同じ曇りない笑顔。想像よりも大分おやっさんな人だった。




 まさに職人顔、螺旋の如く額に巻かれた捩り鉢巻きが、とても良く似合っている。




 だけど、この見た目でクレープって似合わなすぎだろ、たこ焼きとか寿司屋が丁度いい感じに思えるが。




「店長、はろはろー! 」

「おう、ミズキちゃんじゃねーか! 昨日も来たってのによく来るねぇ! 」

「おまっ、昨日も来とったんか……」

「店長の作るクレープは絶品だからね、毎日でも食べたいくらいだわ! 」

「そこまで言ってくれると、作る側としても嬉しい事この上ないってもんだ! サービスで割引してやるから好きなだけ食べてきな! 」

「やったぁ! 店長大好き! 」

「止めとき、おやっさんが昇天してまうやろ」

「ガハハ、違ぇねぇや! 」




 喜びを隠そうともせず、お店のパネル越しに店長に抱き着こうとするミズキさんと、その首根っこを押さえて押さえに入るミコトさん。その様子を見て楽しんでいるのが店長と呼ばれる男性。




 とても温厚そうで、人当たりの良い印象を受ける人だな、と言うのが今の所の第一印象。




「ほら、君たちも早よう頼み? 早よせんと、この暴食魔女が全部食うてまうで」

「は、はい! えーっと……」




 ミコトさんに言われて、慌ててメニュー表に目を通すと、紙に書かれていたのは膨大な種類の具材の組み合わせ。その数にして数百は下らない。




 オーソドックスな物から、際どい食材まで完備されていて、それらの中から好きに組み合わせる事が出来るのがこの商品の強みらしい。




「私はフルーツミックスのホイップ盛りで! 」

「アンナさんって、時々乙女チックな状態になりますよね」

「わ、悪いの!? 甘い物が好きなんだから良いじゃない! 」

「店長! 私はデラックスクレープで! 」

「まさかアレを食うんかいな……あ、僕はあずき抹茶でお願いします」

「……ホッピングアイス……」

「俺は、そうだな……無難なストロベリーにしとこうかな」




 デザート色の強い食べ物らしいし、ここは無難なストロベリーに落ち着くことにしよう。




 それぞれが口々にメニューを頼み、店長は復唱することもなく鉄ヘラで、プレートの上に残った生地のカスを削り取っていた。




「そこのお嬢ちゃんは何にするんだい? 」

「え、えっと……一杯あって決められない……」




 エレナは一人だけ頼みたいメニューが決まらずに、オロオロと迷いに迷ってしまっている。




「自分一番食べたい奴にすれば良いんじゃないのか? 」

「う、うん……それでも二つあるんだけどなぁ……」

「何と何? 」

「えっと……納豆わさびチーズマヨか……」

「ちょっと待て、それは食べ物の名前なのか? 」

「そんな組み合わせは今まで頼まれた事ねぇな……」




 想像しただけで吐き気がしそうな名前なんですが、果たして食べて食中りにならない確率はいかほどが。




 その道のプロっぽい店長ですら、目を丸くして驚きを隠せていない。




 美味しいものと美味しいものを掛け合わせれば絶対に美味しいと言うわけではないのだ。




 人として超えてはいけないライン、そんな一線を助走付きで走り幅跳びしようとしているエレナ。




「もう一つは……【ザ・カオス】……」

「オーケー、一度話し合おうじゃないか」

「なんでー? 凄く美味しそうな名前だよ? 」

「美味しそうって、混沌な味っぽいけど……」

「このメニューは未だ嘗て誰も頼んだ後に食べようとしなかった究極のクレープなんだよ? 」

「お嬢ちゃん、俺からも言っとくけど、半端な覚悟で頼まない方が身の為だぜ? 」




 店長自らの停止表明、そんな事を言う位なら、ハナからメニューから外しておけよと心の中でだけツッコミを入れていたが、彼女は止まる事はない。




「いえ、決めました! 両方お願いします! 」

「「り、両方? 」」

「や、止めときや、体を大事にせんと親が悲しむで」

「そうだよ、エレナちゃん無理はいけない! 」

「……冒険しすぎ……」

「で、でも……頼みたいなぁ……」




 辛くも全員からの説得の嵐が飛び交い、エレナの攻勢に歯止めを掛けようとして、更に店長からの追撃が襲う。




「すまねぇな、ウチの店は一回のオーダーで一人につき一つだけしか頼めねぇんだ。だから、どちから一つに絞ってくれよ」

「そ、そんなぁ……クレープ……」

「仕方ないよ、このお店は大人気だから、食べたかったらまた並ばなきゃ」

「我慢……また食べられる……」

「うん……」

「……」




 俺はもう一度メニューに目を通し、自分の心に巣食う内なる自分に問いかけた。ここで死ぬのが怖いかと。




「……すみません、ストロベリーを変更して【ザ・カオス】をお願いします」



 

 心は笑って答えた。『平気だよ』と。


 


「どうして変えたの? 」

「俺が食べたくなっただけさ」

「……嘘ばっかり」

「何か言ったか? 」

「いいえ何も! じゃあ、私は納豆わさびチーズマヨでお願いします! 」

「あいよ、すぐ出来るから待ってな! 」




 言うや否や、店長は寸胴の中にタップリと溜まっていた生の生地をレードルを使ってすくい上げる。




 黄白色の生地は滑らかな流動体で、綺麗に慣らされた底が高いプレートの中心に勢いよく注がれた。




 次に取り出したのはT字の形をしたトンボと言う器具で、先端に付いた幅広の大人の掌程もある部分で器用に生地を広げていく。




 最初は一度後ろへ大きく生地を引き、そこから力を抜いて軽く回し込むように円を描く。




 途中で関節の限界が訪れてしまうが、そこはプロの熟練の技で掌を二の太刀の様に返して焼き続けていた。




「あらよっと」




 素人では分からないタイミング、それを手に取るように知り尽くしたプロは何かを察すると、トンボを置くとパレットナイフに持ち替えて鋭い一閃が生地の端を掬い上げる。




 目にも留まらぬ早業で生地はそのまま中を舞い、華麗な舞踊は音もなくプレートに着地していた。




 絶妙の焼き加減は、背中を最高の美味しさを引き立てる狐色を演出して、焼き上がる甘い生地の香りが食欲を刺激した。




「まだまだ行くぜ! 」




 これだけで驚くのはまだ早い、この店長、一人で六台もの専用ホットプレートを使いこなして同時に焼き上げていて、全ての焼き上がった生地が大判の皿の上に乗せられていた。




 速さと正確さを兼ね備えた淀みない動き。これがプロのみのなせる技。




 俺とアンナさんとエレナはその動きに視線が釘付けで、ハッと気付いた時には既に全員分のクレープは焼き上がっていた。




「はいよ、お待ちどーさん! 生地が熱いから気を付けて食ってくれよな! 」

「ありがとうございます。うーん、やっぱり焼き立てはあったかーい! 」

「それじゃ、また来るから店長ありがとねん♡」

「おう! また何時でも食べに来てくれ! 」




 アンナさんが全ての分を受け取り、集めたお金を払ってから店から離れた。




✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎ ✖︎





 全員で座って食べられる場所が噴水の近くに偶然あったので、そこに腰を落ち着けて食べる事に。




 袋からそれぞれの選んだクレープを取り出して、順次配っていく……が、俺の選んだ【ザ・カオス】だけは触れるのを危惧したアンナさんが触ることを拒否し、未だに袋の中に閉じ込められたまま取り出されるのを待っていた。




 何でだろう、さっきまで焼いてた時はお腹が凄く空いていたのに、今は全然お腹が空いてない。




 体が発した無言の警告か、はたまた無意識の内で行われている体の拒絶反応か。




「エレナ……、先にこれ食べてみるか? 」

「……良いの? 私が先に食べちゃっても」

「何だかお腹が痛いから、後で食べるよ……」

「そういう事じゃないんだけどなぁ……//」




 不思議と恥ずかしがるエレナに包みを渡して安堵していると、横に座っていたミコトさんが突然席を立ち上がりミズキさんとアンナさんに耳打ちをした。




 言葉は聞こえてこないが、言葉を聞いた二人の表情が険悪なものに変わっている事で、あまり良くない知らせだと言うことだけは直感で感じている。




「えぇ……何でこんなタイミングで来ちゃうかなぁ……」

「しゃーないやろ、非番で空いてるのは僕らしかおらんのやから……気は進まんのは一緒や」

「サッサと終わらせてしまうのが一番ですね」




 折角の焼き立てのクレープを食べもせず、三人は持っていた包みをテーブルに置いて席を立つ。




「あの……どうかしたんですか? 」




 一度気になってしまったのだ、嫌でも話を聞くまでこの好奇心は抑えられない。




 だが、人は無闇に首を突っ込んでミイラ取りがミイラになるという事を自分で体験しないと分からないらしい。




 俺の一言に三人が見合い、少しばかり思考した上でニッコリと微笑んで俺に視線を戻した。




「ふむ……丁度ええわ、レイ君ちょっと付いてきてくれんか? 直ぐに済むから」

「ちょ、どこに行くつもりですか!? 」

「た、楽しいところよー……多分」

「ミズキさん、顔が笑って無いんですけど……」

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから! 」

「その言葉は大いに不安要素でしかないですよ! 」

「まあまあ、嬢ちゃんたち、ちょっと彼氏借りてくさかい、すまんな! 」

「そんなっ、引っ張らないで! 」




 後ろで唖然とする二人を余所目に、俺は三人に体をガッチリとホールドされてその場から引きずられるように移動を始めた。




 掴まれた力はとても強く、三人に決められているので、外すことは容易ではない。




「あの、これから行く場所って……」

「ああ、今からお仕事するから気合入れとき」

「それってどういう……」




 返ってくる言葉を聞く事はなく、その答えは直ぐに俺の目の前に形となって返ってきた。


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