お客としてのマナー
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「ねぇ……ちょっと聞きたいことがあるんだけど……いい? 」
「どうしたんだ? 幾らお客さんが少なくなったからってまだ仕事中なんだぞ? 」
「あのさ、可笑しくない? 」
「何が可笑しいんだ? 別段、店内に異常は無いけど……」
見回してみても、何事もなく。唯一の変化と言えば音楽がフォークソングに変わって客質がお年寄り傾向から若者傾向に変わったくらいか。
だが、誰も彼もがテーブルに座っては談義に花を咲かせ、自分達の楽しむ時間を確保していた。
偶に声が大きくなる時があったりするけれど、さして店側に不利益が出てしまうほどの騒音でもない。
「店内じゃなくて店員に異常があるんだけど……マリアちゃん何だか上の空で仕事してる……」
「本当だ、顔が斜め上を向いてて、口が少しだけ空いてるな……」
「顔も赤いし……でも働きぶりには支障はないから熱でもないかなって……気になる……」
「そ、それは確かに気になるな……」
目はボヤけて、窓際を見ては頭を振り、また少ししては何かに気付いて頭を振る。その姿には何か見えない物を見ているみたいな……其れ位ボーッとしていた。
その割に仕事はちゃんとやっているのだから問題はないと思うのだけれど、彼女はそうは問屋が卸さないとばかりに意気込んでいる。
「でしょ!? 私の勘では……ぜーったいに私が居ない間の休憩時間にレイとマリアちゃんの間で何かあったと思う訳なんだけど……」
まさに女の勘。殆ど当たっている。
だが、先程の内容を話すわけにはいかないだろ。俺だけなら兎も角、下手をするとマリアまで恥ずかしい思いをバラしてしまわなければならなくなるからだ。
ここはエレナには心苦しいが本当の事は伏せておこう……。
「何もないって! 休憩つっても、俺達は全員別々の時間に休憩している。だからそんな入れ替わりの数分間で何か起こるわけないだろ」
「でも、そんな気はするんだよねー、変なのー」
「な、なら俺が話しかけてこようか? それとなくで良いなら理由も聞いてくるし」
「そっか、じゃあお願いしようかな」
当事者である俺も、今のマリアは心配になってしまう程に表情が惚けてしまっているので、話をしてみる事にした。
後ろからさりげなく近寄り、何処を触って話しかけようか一思考した後、無難な所である彼女の肩を触って呼んでみる。
「マリア! さっきからボーッとしてるけど、どうかした? 」
「へっ!? な、な、……何でもない」
「そんなに取り乱されるとバレバレだよ……表情に出てる」
「そ、そんな……恥ずかしい……//」
何があったのか、急にトレーで顔を隠してしまうマリア。俺の顔に不服でもあるのだろうか、ちょっとショック。
「エレナがさっきの休憩室でのことに勘付いちゃってて……俺がバレないようにフォローしとくから安心してよ」
「う、うん……分かった……」
「あの事はバレるとマズイから二人だけの秘密にしてくれたら助かるんだけど良いかな? 」
「秘密……秘密かぁ……うん……いいよ」
「それじゃ俺は良い感じに誤魔化してくるから普通にしてなよ」
トレーで顔の見えない彼女を置いて、俺は諜報機関の本部に戻った。
エレナは事の一部始終を遠目に観察していたみたいで、頬を膨らませていて、少し機嫌が悪かった。
「何で話を聞きに行って良い雰囲気になってるのよ! 」
「なんだよ藪から棒に! 俺とマリアは普通に話していただけじゃないか」
「だってマリアちゃんの顔がどんどん赤くなっちゃうし、表情がさっきまでと全然違ったもん! 」
「あれはマリアが実は少し熱があって俺が近付いたせいで人見知りもあって顔が赤くなっていたんだって! 本人から聞いたんだから本当の事だろ? 」
「そ、そうだったんだ……ごめんね」
「いや、別に分かってくれたんなら良いんだけど」
何とか捜査を煙に巻いたようだ。
エレナも本人からそう言われてしまったのだからと納得し、大人しく業務に戻った。
それからはマリアは表情をなるべく隠すように行動して、エレナと俺も元通りの業務に励む。
このまま何事もなく終われば言うことなしの一日になったのだが、事件は前触れもなく訪れる。
カフェである開店時間も残り僅かになった頃、事件は起こった。
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次なる休憩、今度は寝ないようにカルロスさんの横に座ってコーヒーを飲んでいた。
何度飲んでも飽きがこない不思議な味だ。
「どうだい、仕事は慣れてきたかな? 」
「そうですね……何となくではありますけど感覚は掴めてきた気がします」
「レイ君は飲み込みが早いから、次のアルバイトの機会でコーヒーの淹れ方も教えてあげるよ。出来るようになったら家で自分で飲みたい時に淹れられるしね」
「いいんですか!? 楽しみです! 」
自分で淹れられるようになったら、飲みたい時にコーヒーを飲める……なんて最高なんだ。
「レイ君は……マリアと仲良くなれそうかい? 」
唐突な質問に驚いてしまう。マリアとは……どうなんだろうか。仲良し……にしてはまだ日も浅いしな……。
「俺自身は仲良くしたいですけど……恥ずかしがっているのか避けられている気がしますね」
「そうか……マリアは根は良い子なんだけど、昔から引っ込み思案な上に人見知りだから人間関係には苦労しててね。小さい頃はいつもアンナの後ろにくっ付いていたんだ」
イメージとしては、前みたいな感じか。
大柄で気の強い姉の後ろに隠れる気弱な妹。
そんなイメージが初めて会った時から頭の中にあったのは事実だ。
「だから、特に異性との関わりが薄くてね、娘の親としても将来が心配になってしまう訳だ、ははは」
「そうですね……彼女は普通にしていればとても愛らしい女性だと思います」
「ありがとう……彼女の良き理解者は少ないからとても助かる」
「いえ、事実を言ってだけですし……」
「なら、マリアのボーイフレンドになってみるかい? マリアには僕から良い感じに丸め込んでおくけど」
「ブフッ! 何を言ってるんですか! 」
口に含んでいたコーヒーを盛大に吹き出し息が詰まった。何を言いだすんだこの人は!
叔父さんにしてもカルロスさんにしても、俺の知り合いの中年はこんな人ばっかりなのか?
「何って将来の婿探しに決まってるじゃないか? マリアは可愛い末っ子だし幸せにもなってもらいたい。なら、優良物件には声掛けておくのは親としてもあたりまえだろう? 」
「でも、話が飛躍しすぎです! そういう事は本人同士が決めるべきだと思いますし……」
「なるほどねー! レイ君は互いに相思相愛恋愛をしてから結婚したいタイプなのか! 」
「声が大きいです! 」
「でもね、お見合いから幸せになる人だっているし、マリアの事は嫌いかい? 」
「いえ……まだそんなにお互い知り合っていないのでなんとも言えないです……それじゃ休憩終わります! 」
「彼は貞操が固そうだ……ふふ」
カルロスさんの元から一刻も離れたくてコーヒーを飲みきり、カップを流しに片付けてから仕事に戻る。
だが、居るはずの二人がホールに居ない。どういう事だ?
答えは簡単だった。彼女たちは複数の若い男達に囲まれて店の端にある死角に追い詰められていた。
カウンターからは見えず、かといって近くでは音楽が大きめに鳴っているので音も聞こえないスペース。
エレナとマリアは二人で寄り添っているが、特にマリアは沢山の男に囲まれている事で震えている。
「ねえー、今日はこの後ヒマー? 暇だったら僕達と遊びに行こーよ! 楽しい所沢山知ってるから」
「いえ、私達にそのつもりはありませんから……申し訳ありません……」
「釣れない事言わないでさ! ちょっとだけ、ホンのちょっとだけ付き合ってくれたらいいから! 」
「止めてください! 」
「だってさー、そこのもう一人の可愛い子だってさっきから何も話してくれないし良いって事じゃないの? 」
「……うぅ……」
明らかに悪質な言い寄り方、それもマリアを連れ出す為の出汁に使おうとしている。
エレナは懸命に堪えているが、マリアの方は限界に近いほど涙ぐんでいた。その姿を見て、俺の中で何かが切れた。
『なんだ……俺の出番か? 』