無口な妹
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「いらっしゃいませー! 何名様のご来店でしょうか? はい、三名様ですね、おタバコの方は如何なさいますか? 喫煙席でよろしいですね、こちらへどうぞ!
店内を気持ちの良い声が通る。これはエレナの接客でいつも聞いている声だ。
お客さんも、店内に入って直ぐにこんな快活で可愛らしい女の子が接客してくれることに嬉しさを隠せないでいる。
「こちらお水になります。ご注文がお決まりになりましたら店員の方をお呼びください」
「お会計、七百五十Gになります! ーーありがとうごさいました! またのご来店を心よりお待ちしております」
本人も得意分野の接客業でいつもと違った職場で働いていることが息抜きにでもなっているのか、嬉々として仕事に取り組んでいた。
その仕事を楽しむという心構えが接客に影響を与えていて、余計に素の自分で接客に当たることでお客さんの反応も上々だ。
「ご注文はお決まりでしょうか? ーーはい、オーダー繰り返します、アイスコーヒーが二点、モカが一点、ショートケーキが三点でお間違いないでしょうか? かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
「オーダー入りました! ーーです! 」
「はいよ、じゃあレイ君はこのセット、二番テーブルのお客様に出してきてくれる? 重いから気をつけて」
「はい、任せてください……よっと」
コーヒーや紅茶の乗ったピカピカの銀のトレーを落とさぬよう、神経を一点、手のみに集中してゆっくりと運ぶ。
飲み物の表面に水面ができているから、波が立たないよう気を付けて運ぼう。
慎重に一歩ずつ、周りを確認することもできないほど集中して店内を進んだ。
「ご注文の品をお持ちいたしました……以上でお間違いなかったでしょうか? 」
「はい、何だかぎこちないけど新人さん? 」
「は、はい! 今日はお手伝いをさせて頂いております! 」
「そんなに緊張せずにリラックスリラックス! 深呼吸して自分のペースで頑張りなよ」
「ありがとうございました! 」
初めての接客をしてとても緊張してしまったが、お客さんのフォローで気持ちを落ち着ける事ができた。
カルロスさんの言っていた通り、ここのお客さん達は常連さんが多くて、労いの言葉や応援の言葉を多くかけてもらった。
最初は少しずつしか出来なかった仕事内容も段々と慣れてきて、店内の様子も何となく把握できるようになってきている。
「これ、洗いますね」
「うん、よろしく頼むよ」
「エレナ、三番テーブル空いたから片付けしておくよ」
「あ! ごめんね、よろしく! 」
「このお皿下げます! 」
「ありがとう……」
みんなの意識の間を縫うように足りないところをカバーしていく。
経験者一人に素人二人のホールも、絶妙のチームプレーで何とか一番お客の多い時間帯を乗り越えることに成功する。
流れている曲も、お客の増減を表すようにメロウなしっとりする曲調に変化していた。
「レイ君達は本当によく働いてくれるね。ウチのマリアも大分仕事が楽になってると思うよ」
「そうですか? まあお役に立てて何よりです」
「エレナは天性の人懐っこさでお客からの心象がとても良いし、レイ君は周りに気を効かせるのが上手い。これはどんな仕事をする上でもきっとやっていける力だよ」
「ありがとうございます……何だか照れるな//」
「そうだ、そろそろお客も捌けるから休憩に入ってきても良いよ。一人ずつ三十分しか休憩をあげられないけどごめんね」
「いえ、では休憩に行ってきます」
「行ってらっしゃい」
他人に自分の力を認めてもらえる。簡単なことでもそれが案外嬉しかったりして。
休憩時間に入る際、前に飲んだのと同じコーヒーを頂き、ゆっくりと机の上で体を伸ばす。
仕事の合間の小休憩。束の間の休息。
働いて体に溜まっていた疲労がストレッチで解れ、睡魔へと変わっていく。
ウト……ウト……と、瞼が段々落ちて……
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「ねえ……起きて……」
「ううん……ここは……」
「休憩……交代……だよ? 」
「……は! ご、ごめん、寝ちゃってた! 起こしてくれてありがとう」
「別に……いい」
休憩中の時間全てを眠りこけていた俺を起こしてくれたのは、意外なことにマリアだった。
昨日はまともに会話すらできず、姉の後ろに隠れられてしまっていて、少し気にはなっていた。
今は俺のすぐ近くで俺を起こす為に肩を叩いてくれていたのだ。立ち上がると一歩後ろに下がったけど。
「そう言えば……俺は君の事を何て呼べば良いのかな? 」
一応、心の中では呼び捨てにしていたが、よくよく考えるとすごく馴れ馴れしいのかもしれないから聞いてみた。すると……
「私は……マリアでいい……貴方は? 」
「俺もレイで良いよ! 歳も多分同い年位だしよろしく」
「多分……って? 」
「俺は記憶が無いんだ。だから大体しか知らない」
「そうなんだ……ごめん……ね……」
「気にしないで、俺は記憶を探す為にここまで来たんだし、マリアが謝る事じゃ無いよ」
「うん……分かった……」
こうして面と向かって話してみると、若干の気恥ずかしさで緊張気味で声がどもってしまっているが、マリアはとても良い子だと感じる。
見た目の幼さとは裏腹に、しっかりとした素養を身につけていて、その場の空気にも敏感だ。
休憩も終わったし、早い所俺もホールに戻らないとエレナ一人になっちゃうな……。位の気持ちで立ち上がると、ホールでの力仕事で足に疲労がたまっていたのか、立ち上がろうとする足が言う事を聞かず、その場に転倒する。
「ひゃあっ! 」
床に盛大に転げ、体が衝撃で痛みを伴っていた。
一人だけでの単身事故なら何も問題は無かったのだが、その場には一人だけ女の子がいた事をお忘れではないだろうか。
勢い余った俺は、あろう事か知り合ったばかりのマリアを地面に押し倒していた。
赤い短めの髪のすぐ横に自分の両手が支えとしてあって、顔と顔は目と鼻の先で止まっていた。
二人の間にあった時間は凍結して、思考判断が一切合切停止してしまっていた。
女の子の柔らかさと未発達ならではの体付き。
そのどちらもが今、俺の手と手の間にある……。
頭の邪念を振り払いすぐに退こうとするが、足元が絡まっていて中々抜け出せず、狼狽える彼女の目と俺の目は合ってしまう。
水晶のような輝きを失わない瞳が俺を見据えて脳に伝達を送る。その伝達が感情に変わり、頬を赤く染めていった。
お互いに初めての経験をトラブルで体験していて、体が麻痺して付いていけていないのだ。
「ご、ごめん! すぐに退くから! 」
「うん……こっちこそ避けれなくてごめん……//」
飛び退くようにその場を引くと、まだ胸の高鳴りは鳴り止む様子はなく、それは相手も同じだった。
「でも、驚いたよ、マリアがあんな大きな声を出すなんて初めて聞いた……」
「なんの……こと? 」
「だからさっき転ける瞬間にマリアが『ひゃあっ! 』って言ってたじゃん? 」
「私は……言ってない……」
「この場には俺と君しかいないんだけど……」
「レイが言ったんじゃないの……? 」
「流石にそれは言い訳としては苦しすぎるよ! 」
「だって……恥ずかしい……から……」
言うと、更に顔を赤くして、茹で蛸の一個手前にまで赤く染め上がっている。
「なんで!? 別に恥ずかしがらなくても可愛いんだから良いじゃん! 」
「可愛い……? 」
「うん、ギャップって言うのかな、イメージのマリアと違った感じがして、それも可愛いなって思うから! 」
「私の……ギャップ……可愛い……//」
「じゃあ、俺は休憩終わるから! 先に行くね! 」
俺は地面にへたり込んだままのマリアを助け起こして席に着かせると、エプロンを巻き直して休憩室のドアを開け放った。
部屋に残るのは、先ほどのやり取りで生まれた一瞬の温度上昇による気温の暑さと、机に座って一心に考え事をしている少女のみ。
彼女は小声で「可愛い……可愛い……可愛い//」と、同じ言葉を連呼していたという(エレナが休憩に入ってくるまでの間)
恋愛というのは、芽生えは突然で、本人の予期していない所で偶然起こったりするものなのだ。
彼女の握る掌には、先程の大胆な行動を取って退けた男の子の顔が鮮明に焼きついていて、目を閉じても彼の顔が近くに見える。
誰かが誰かの事を気になってしまうのは、言うなれば天の采配。誰にも知り得る事はできない。