いざ商業都市へ
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「やっと……やっと着いたんだ……」
思わず感嘆を漏らすのは叔父さん。
その一言には何か思うところがあるのか、目には涙が滲んでいた。
村を出てから約二週間、長い長い旅路を経て俺達は遂に辿り着いたんだ。
今までに見たことのない程の大きさの城門。
全てが白レンガで造られていて、高さはどこまで伸びているのか見当もつかない。
都市は、中央に行くほど標高が丘のように高くなっていて、城門の前には大きな水上橋が掛けてあり、都市の中に川が流れていた。
門の前には中に入ろうとする人達の行列が出来ていて、兵士達が一人一人が中に入っても大丈夫かどうかの検問に当たっていた。
各種の高台の上には物見櫓が立ち、見張りの兵達が常に異常が無いか警戒を怠っていない。門にも兵士達が数多くいて、その規模や質はバザー会場で見たものとは比べるのもおこがましい。
これが商業都市ジェノヴァ、俺達が目指した場所。
水との親和性の高いこの都市はとても美しかった。
「凄い城壁だな、高過ぎて登るのも億劫だ」
「私も初めて来たけど、人の数が桁違いに多いよね。並んで待つだけでも時間がかかりそうだし」
「エレナ、実はエレナは生まれてから一度だけ此処へ来たことがあるんだよ、覚えていないだろうけどね」
「え? 全然覚えてない……それってお母さんも一緒にいたの? 」
「そうだよ、君が生まれてから直ぐにお義父さんとお義母さんに見せに連れて行ったんだ」
「そうだったんだ……お母さんも……」
「お義父さんもお義母さんも、その後直ぐに流行病で亡くなってしまったから名前も知らないと思うけど、二人とも君のことを嬉しそうに撫でていたよ」
エレナは商業都市の城壁を見つめ、満足そうに頷いた。その瞳には過去の自分の姿と亡くなった母親と祖父母の姿を重ね合わせているのだろうか。
記憶の無い俺には、そんな追憶に想いを馳せることなど出来はしない。だからこそ、この人が多く集まる場所に手掛かりがあるかもしれないのだ。
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長い時間を待ってから、ようやく中に入ることを許され、馬車は動き始めた。
荷物検査の時に、チビの存在がどう扱われるのかと内心気が気ではなかったが、徒労に終わり、何事も無かった。
何故なら、兵士達も実物でドラゴンを見たことがないらしく、見た所懐いていて凶暴性が見られないので入ってよしとの旨。その代わり物珍しさに何度か撫でられて、チビはご立腹だったけど。
中に入ると、初めに気が付くのは鼻に突く強い刺激臭だった。鼻の穴の奥がパチパチと弾けてお腹が鳴る。
その匂いを放っていたのは、城壁を入って直ぐの所にあったお店から漂っていて、少し覗いて見ると、店主に腕を掴まれた。
「これは香辛料と言って、この商業都市ジェノヴァの一番の特産品さ。舐めてみるかい? 」
「良いんですか? 」
「良いよいいよ、この都市ではみな平等に商売を楽しむことが出来るから少々平気だって」
「じゃあ、一口だけ……か、辛い! けど、後がスッキリしていて美味い……」
「だろ! このスパイスを肉に振りかけて焼くと格別の旨さだから、もしも食べたくなったらウチで買ってってねー」
商人気風漂うというか、気前がいいのか、店主にもてなされてこの都市を好きになった。
他にも、水上を走る商船や遊覧船が中に引かれている水路を通り、重厚な壁の半円型アーチを描くロネスク調の建造物は、人間的な尺度で空間を間取りしている。
正に人間が人間の為に作り出した都市。それがこの都市が自由商業都市と言われる所以なのか。
全ての場所を回りきるまでに、一体何ヶ月掛かってしまうか分からないくらいの規模に、言葉が出ない。
馬車はその景色を味合うことをせず、ただ真っ直ぐに道を進んでいた。手綱を握る叔父さんには向かうべき場所があるかのような表情をしている。
「叔父さん、これから何処か行く宛でもあるんですか? 」
「ああ、僕達の新しい家とお店に向かっている途中だよ」
「もう購入しているんですか? 何時の間に……」
「行ってみてからのお楽しみさ、じきに着くから降りる準備をしておきなさい」
「はーい、チビは馬車でアルビンとお留守番よろしくね」
「ギィ! 」
石畳の道を行くと、横道に繋がるレンガ橋が架かっていて、そこを渡った先に見える正面の店に馬車は止まる。
中々しっかりした作りの二階建ての住居。
その裏手に回ると木造の納屋があり、そこに馬車とアルビンとチビは置いて下車した。
降りて先ずは背伸びをしながら水の混じった空気を吸い込み、肺に満たした後、ゆっくりと吐き出す。視界は鮮明で心が落ち着く。
「こっちだ、会いたい人がいるから付いておいで」
「ここって隣の店? 【カフェ&BAR・ハプスブルグ】って書いてあるけど誰の店なの? 」
「入ってみれば分かるよ、ほら、レイ君も来なさい」
「は、はい! 」
付いて行くと、隣の店は黒を基調とした西洋風のモダンなお店で、外から見てもお洒落だと一目で分かる。
中に入るとお客さんがごった返していて、誰がどう見ても大繁盛している。お客達はコーヒーや紅茶をお菓子と一緒に頬張り、会話に花を咲かせている。
お客達の座るテーブルは、心理的緩和性を元に角のない丸みのテーブルで、店の天井から数本の紐が伸び、その先に半円状のカバーが付いた照明が小粋だ。
床に張られた滑らかなベニヤ板の上を通って、店内の奥に位置するカウンターへ行くと、一足先に行っていた叔父さんがエレナと同じ赤髪短髪の中年男性と歓談していた。
黒のカマーベストにネクタイを締め、横を刈り上げてワックスでオールバックにした頭は清潔感あふれる男性。整った顔立ちに少しだけ生えている髭が特徴の見るからにナイスガイ。
「ははは、元気そうで何よりだ。お、ようやくお出ましか、紹介するよ、この人はカルロス・ハプスブルグ。エレナ、お母さんの兄に当たる人で君の叔父さんだよ」
「この人が偶に話してくれていた叔父さん……?
「やあエレナ、大きくなったね。最後に会ったのはもう何十年も前だから見違えたよ」
「お、お久しぶりです……カルロスさん//」
「はは、そう畏まらないで楽にしていいよ、……うん、見れば見るほどフレアに似ているね」
「ありがとうございます……嬉しいな//」
「それで、こっちの男の子がレイ君。訳あって身柄を預かっている男の子で……エレナのボーイフレンド……」
「「ち、違うでしょ! 」」
「確かに息がピッタリだね、よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
「中々良い面構えをしているし、将来のお婿候補としては有望株だね」
「お、叔父さん……違うんです//」
中年男性二人の掛け合いで弄られた俺とエレナは頬を紅く染める。
「それで、手紙に書いてあった通りに、隣のお店を借りて仕事をしたいんですけど組合の方には……」
「ああ、話は既に通しておいたから、この鍵を使って中に入って好きに使って良いよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、エレナとレイ君は少しここでコーヒーでも飲んでから帰っておいで。支払いはここに置いておくから」
「いらない気を回さなくても良いのに……」
「何か言ったか? 」
「いいえ、なにも言ってませんよー」
叔父さんの計らいで、店のコーヒーを飲む事になり、カウンターにある回転椅子に腰掛けた。
耳を澄ませるとジャズとボサノバの中間位の小気味の良いBGMがハイファイセットレコーダーから流れていて、気分を盛り立てる。
手元には、焙煎されたコーヒー豆の粉末がろ過器に入れられ、下にはアルコールランプでフラスコが温められていた。
何でも、サイフォン式という淹れ方らしく、木箆の滑らかな動きで優しくコーヒーが攪拌される。
フラスコの中にあった筈の水が水蒸気へと変化し、蒸留されてコーヒーの粉末と混ざり合い、火を外すと魔法のように上部分に溜まっていたコーヒー液が下にスルスルと降りてくる。
「へえー、面白いですね。コーヒーにこんな淹れ方があるなんて知らなかったなー」
「香りも良いし、美味しそう」
「これだと見た目もお洒落な感じがしていいだろ? だからこのサイフォン式を選んでいるのさ」
カルロスさんのお勧めで俺はブラックで、エレナはブラックが苦手だというので、エスプレッソを頼んでいた。
だが、ここでも魔法のような事をカルロスさんがやってのける。
普通に作っただけのエスプレッソに何かを入れようとしていたのだ。よく見ると泡立ったミルクのようで、そのスチームミルクをエスプレッソの中に流し込んだ。
少しずつ混ざり合う白と黒の鬩ぎ合い、やがて白の方が優勢になり、中央に大きな白い溜まりができていた。
カルロスさんはそこですかさずスプーンと爪楊枝で何かをしてしまい、エレナの前に出して、二人で覗く。
「うわー、凄いよコレ! 葉っぱだ、葉っぱの絵が描いてある! 」
「コーヒーでこんな事が出来るのか……凄いですね」
「ラテアートと言って、ミルクでコーヒーに絵を描くんだ。簡単だから今度やってみるかい? 」
「はい! 」
「それじゃあ、冷めないうちにどうぞ」
「「いただきます」」
口に入れると、最初はほろ苦さが口の中を駆け回って、少しすると、奥深い味が下の上で踊り出す。
良い豆と良い道具、そして良いマスター。
この三拍子が揃った事でコーヒーは最高級の黒い輝きを得た星となる。
コーヒー受け菓子のドーナツを間で食べると、甘さがお口直しになり、その後にもう一度コーヒーを飲むと更に美味しい苦さを感じられた。
ほろ苦く、しかし味わい深いコーヒーで一息つき、二人は幸せな時間を過ごした。