孵化
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「ふんふっふー♩ 」
今日はエレナが朝から上機嫌だった。
理由は俺が一番よく知っている。エレナの胸元に架けられたネックレスが原因だということを。
日が登ってしまう前、まだ月が闇夜に浮かんでいる間に俺は再びエレナを抱えて柵を飛び越えて帰った。その時はエレナは二回目ということもあり、騒がずに俺の首元に両手回して胸元に顔を埋めていた。
柵を飛び越え、音を立てずに着地すると周りは未だに安穏と寝静まっており、能力を解除してからは誰も言葉を発することなく大通りを歩いて帰った。
夜霧が朝露へと変わり、テントの端を濡らして水滴になっている頃、やっとテントに戻ってこれて、俺は体を襲う疲労感に苛まれて体を休めた。
恐らく、能力を使い過ぎると精神力や体力が体の内側から蝕む寄生虫のように食い物にされている。
能力は使えば強力無比な力になる反面、使い過ぎれば身を滅ぼす諸刃の剣の様なものだ。
そして数時間ほどたって朝、今に至るという訳だ。
「あ、頭が割れる様に痛い……」
「あ、お父さん起きたんだね、おはよう」
「おはようございます、昨日は飲み過ぎて結局出発出来ませんでしたね」
「おはよう……そうだった。つい昔話に花を咲かせて飲み過ぎたんだった……」
「はいこれお水と、酔い止めの薬だよ」
「ううむ……すまないな……」
エレナの手つきは手馴れたもので、サッと父親の介抱を済ませる手際の良さ。叔父さんは少ししてから完全とは行かないまでも回復に成功。
そして遂に長い様で短かったこのバザー会場と別れの時が来た。
来た時と同じ門の前まで進み、同じ門番の人に紙と通行料を払って外へと出た。そこはつい数時間前に自分が彼女を連れて夜空へと飛んだ場所で、思い出すと顔から火が出てきそうだった。
それは彼女も同じの様で、俺と同じく二人は距離を開けて座り、エレナは胸元で光るネックレスをずっと眺め続けている。
良かった……彼女が気に入ってくれて。
それから少し経ち、トコトコと、アラビンが荷馬車を引き、後ろでゆらゆらと三人は揺れる。叔父さんは手綱を握って、俺とエレナはあるものをじっと観察していた。
スモークガラスに覆われて、中を預かり知ることのできない大きな物体。生き物が入っているのか脈動する音がガラスの壁を越えて荷馬車の中に響く。
「なんだか産まれそうだよね……? 」
「ああ、なんかさっきからショーケースがコトコト動いてるし……」
鼓動の音は次第に大きくなり、耳を澄まさなくても馬車の中に伝わる位の大きさに変わっていっていた。
子供が生命の誕生を待つ間に、母のお腹の中で胎動するかのように、ショーケースの中でそれは待っていた。自分がこの世に生まれ出づるその瞬間を。
「う、産まれそう、産まれそうだよ! 」
「ガラスのショーケースが! 」
ミシミシと音を立てて外壁が破れると、そこから露わになったのは紛れもなく卵だった。
黒い殻に赤いまだら模様が入っている卵は、その一端から裂け目が入りつつある。
少し、また少しと、外へ出ようと殻は膨張し、隙間から見え隠れする本体と目があった。
能力を使った時の俺と同じ色の瞳、獣の眼光が俺をじっと見据えて待ち構えているのが分かると、背筋が震える。
ショーケースは原型を保てなくなるほどにダメージを受けて半壊し、その上からパリパリと割れた殻の破片が降りかかる。
上の部分がポッコリと穴が開き、そこから縦へと亀裂が走り、一瞬で殻は割れて中の生き物が飛び出した。
「これは……トカゲ? 」
「ちがうよ! これはドラゴンだよ! 初めて見た……」
「確かに羽が生えてる……豆粒みたいなのだけど」
大人の男の拳程度の大きさに、黒い体表にズラリと並んだ爬虫類のような鱗、口先の尖った中には小さく鋭い歯が生えていて尾は体よりも長い。
気持ち程度に生えていた翼は、まだこのドラゴンが飛ぶことのできない雛だということを強く表していた。
小さな体で大きくあくびをして、プルプルと体を震わせて体に付いた殻の残りを弾き飛ばす。
「可愛いね! お人形さんみたい! 」
「ドラゴンの人形とか仰々しいな……」
「でも目とか見てよ! ぱっちりしてて可愛いよー」
「ギィギィ! 」
「ほら! 本人も褒められて喜んでる! 」
「本人って、人じゃないじゃん」
「私には分かるの! 」
「ギィ! 」
「ねぇ? 」
初めて見た俺とエレナに対して興味を持ったのか、ドラゴンは覚束ない足取りでヨチヨチと二人の間まで歩く。
人間と違って、他の動物は生まれて直ぐに自分で動ける物がいるが、この子もそうなのだろう。
二人の間に辿り着くと、何方に行こうかと頭を悩ませるように振り、やがて結論を出したように彼女の足をよじ登った。
登ろうとして、途中で疲れて小休止、もう一度登ろうとして少ししたら小休止の繰り返し。
ぺたん座りをする彼女の太腿の上まで苦心して登り詰めるとドラゴンは、心地よいスポットとでも考えたのかクルッと回ってその場に腰を落ち着けて欠伸を一つして眠る。
エレナはその一連の様子を見て悶え死んでしまいそうな表情で言った。
「か、可愛い。可愛すぎるって! 」
「あんまり大きい声を出すと起きるぞソイツ」
「そ、そうだね……静かにしないとね……」
母の元で安心する子供のように、ドラゴンの雛はエレナの膝の上で寝息をスヤスヤと立てる。
そのドラゴンをエレナは恐る恐る撫でて、慈しむ母親のように笑う。
「何だかお母さんになったみたい……不思議だな」
「それにしては顔が似ても似つかない親子になってしまうけどな、ハハハ」
「レイも抱いてみれば分かるって、きっと父性に目覚めること間違いなしなんだから」
「ドラゴンで? それはないだろ」
だがまさか、老人が渡してきた物がドラゴンの卵だったとは……えらい物を土産にしてくれたものだ。
「この子はと言うか、ドラゴンはね、基本的に谷とか人が寄り付かない場所でひっそりと暮らしてるって昔話とかでは聞いたことがあったんだけど、あのお爺さん、どうやって手に入れたんだろうね? 」
「どうなんだろうな? あんまり深く考えない方がいいんじゃないのか? 」
「……それもそうだね。 可愛ければ全て良し! 」
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昼食の為、馬車は路肩に止められて、俺達は草原の上に降り立った。
ドラゴンはエレナが眠ったままで馬車の中に毛布を引いて置いてきており、起きる事はまず無いだろう。
子供は大人よりも睡眠時間が長く、その間に脳の中を整理したり成長したりするからだ。
エレナは昼食を作る際も、子煩悩の母親か、何度も何度も間を縫っては様子を見に行き、その為、昼食はちょっと焦げ臭かった。
「ええ! ド、ドラゴンの卵だったの? どうやって手に入れたんだいそんな代物」
「いえ、色々あって人からもらったっていうか……」
「凄いこともあるんだね……ドラゴンは言い伝えでは生き物の中でも頂点に君臨する力の持ち主で、一度翼を打ち払うと粉塵が巻き起こり、口から放つ灼熱の炎は敵を炭に変えるまで消えないって噂されている」
「ぶ、物騒ですね……あんなに小さいのに」
「数年か数十年したらもっと大きくなるよ! 多分……前に住んでいた家よりも大きくなるんじゃないかな? 」
俄かには想像し難いが叔父さんの話では、アイツはその内に本当のモンスターになってしまうのだろう。
そんな危険な存在を置いておくのは危険だと思うんだけど……エレナがなあ……。
我が子を守る母親のように、彼女はドラゴンの雛を大切に思っていて、その母性愛は大きい。
多分、俺と叔父さんが束になってかかっても跳ね返されるに決まっているのが分かってしまうのだ。
「エレナ、その子はお前の事が好きみたいだが、お前が責任持って育てるのか? それなら僕は構わないけど」
「本当!? 私やる、ちゃんとこの子を育ててみせる! 」
「なら早く名前をつけてやらないとな。 このままずっとドラゴンって呼ぶわけにはいかないだろ? 」
「それもそうだね……よし、決めた! この子の名前は【チビ】に決定します! 」
「何でそんな名前にしたの? 」
「だって小さくて可愛いから……」
何と安易なネーミングセンス。
今は小さくとも、その内名前が体負けするだろ絶対。……とは思っても一番懐かれている彼女が決めた名前なのだ、反論はするだけ野暮だな。
こうして、眠っている間に名前が命名されたチビは、本人も知らぬ間にルシルフル・エンポーリオの仲間入りを果たしたのだった。