主従契約
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溢れ出る黒い奔流は、彼女の持つ杖から発生していた。止め処なく流れる水のような闇は彼女が何か小さな声で呟くとピタリと止まった。と同時に、壁に打ち付けられていた男達の束縛も解けた。
微かに聞こえる吐息、誰も彼も意識を失っているものの少しすれば立てるくらいには加減された攻撃だった。
男達の身なりや面持ちからしてもそこそこやるようで、それがあれだけ一方的にやられるとあっては彼女の実力を認めないわけにはいかない。
回した首が戻らない。不可思議な光景を目の当たりにして体が固まっていた。弛緩する筋肉がその場に釘付けになっている。
「これは何だ……? 何をしたんだ……? 」
「何って……魔法ですけど」
「魔法? 魔法って何!? 」
思わず体を乗り出して意気込んでしまう。
彼女は今、『魔法』と言ったのか?
魔法って、お伽話に出てくるあの魔法か?
「疲れました……」
「ちょ……、ちょっと! 」
「……ふぅ」
聞きたいことを聞く前に、彼女、ミルディン=ベル=ウィザードと名乗る少女は服に付いた埃や塵芥を払うと俺の膝の上にポスッと座り込んだ。柔らかく肌触りの良い細足が俺の体に擦れて擽ったい。
軽い。そして怖い。それが率直に出た感想だった。こんな華奢な体で何をしたのか、大の男達を一瞬で、その場から動こうともせずに倒したその実力に驚愕し、見惚れた。
テーブルに残っていた飲みかけの紅茶をむんずと掴み、そのまま喉の奥へと放り込む。それ、俺のなんですけど……。
「私は魔法使いです。正式にはダークソーサレスと言います。魔法を使って戦います」
「せ、説明どうも……」
一応、聞くことには答えてくれるらしく、彼女は自分が魔法使いだと言っている。事実、彼女の持つ杖から迸ったあの激烈な黒い波動は正しく魔法と呼ぶに似つかわしく、洗練された力の様に見受けられた。
「あれ……大丈夫なのか? 」
「死んではいないので多分大丈夫です。お店の店長さんにも戦闘許可を貰ってます」
「戦闘許可って!? 」
「『店内で今すぐ昏倒させても構わない嫌味でそこそこ腕の立つ人はいませんか? 』って聞いたら驚いてましたけど、丁度ツケが溜まってて店内で態度が悪い他の人にも迷惑を掛ける客がいると教えていただきました。ほらあそこ」
「なんだそりゃ……あ、本当だ」
見れば、向こうのカウンターからはナイスバディのお姉さんが身を乗り出し、親指を立てて笑みを返してくれている。どんだけ物騒な酒場だよ。
ツケを貯める方も貯める方で、それをしばき倒しても問題ない酒場って何それ怖い。
「後は『幼稚なお猿さん方、昼から酒に浸る暇があったらツケを清算する算段をつけた方がマシですよ? 』と水を頭に掛けながら喧嘩を売り、建物に被害を殆ど出さずに仕止めるだけでした」と、自信満々得意満面で鼻息を荒げるミルディン。表情の変化はあまり無いけれど、どうだと言わんばかりの気概は察せられる。
「……? 」
「何? 」
「……?? 」
「だから何!? 」
紅茶を飲み干し、物憂げな顔付きで此方を見上げてくる彼女に疑問を抱いた。いったい何を訴えているのやら。
少し逡巡。そして答えが閃いた。
「強さを証明したかったの? 」
コクリと頷く。正直膝にちょこんと乗っかって頷くその様は途轍も無く可愛い。
「俺が強くて頼りになる人を探してるから? 」
またも無言で頷く。この子は俺の為に無茶をしたのか。
「私は強いです。だから雇ってくれませんか? 」
彼女は先程と同じ口調で同じ台詞を放つ。
さっきと違って、今度は断る理由がない。
そこそこ歳が近く、力もあり、話している感じでは信用もできる。三拍子揃った良物件だ。
「……言っておくけど今はお金持ってないからな。だから即金とかは無理だ。本契約はまた後でってことで口での仮契約になるけど、それでも構わない? 」
「無論です。感謝します主」
「頭を一々下げなくていいから! 本契約方法は契約紙面でもいい? ここに一応準備はしてあるんだけど……」
袋から取り出したのは一枚の紙切れ。中には物々しい文章がいつくか羅列してあり、その内容は実にシンプルなものだった。
この書面に名を書き、契約が完了すると、契約期間が終わるまで、又は契約紙が使用不可になる、契約主が死亡、解約をするまで契約が続く。契約を破るとペナルティが発生し、違約金を払うというもの。
普通の書類と何ら変わらない、サイン一つで済むタイプの契約式だ。一番オーソドックスで簡単に結べる反面、契約不履行で破る事もまた容易い。
彼女に紙を見せると彼女は首を横に振り紙を仕舞えと指で示し、代わりに俺の膝から離れてこう言った。
「それは及びません。紙面契約は強制力も効力も殆どなく、信用が出来ないでしょう。我々独自の方法で契約した方が貴方様も安心できると思います」
「独自の方法? 何契約を結ぶんだ? 」
「魔術です。”魔術契約”を結べば良いのです」




