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第三章

 第三章 凄腕の冒険者


 ラハーシャ山脈を降りると、僕たちは特により道をすることなく、ポートフィルズの町へと向かっていた。

 その間、僕たちの間に特に会話はなかった。

 お喋りだと思っていたアルフィーヌも済ました顔をしながら、馬車の外を眺めているだけだし、セフィアは祈るような目で、静かに沈黙を守っている。

 僕は荷台にいるセフィアとアルフィーヌに壁を感じながら、ディエゴに世間話を投げかけることにした。

 そして、日が完全に落ちると、辺りは暗くなっていく。空には太陽の代わりに月や星々が輝き始めた。

 何にせよ、こんなところで野宿しなければならならなくなるのは勘弁して欲しい。

 そんなことを思っていると、海の匂いが風に乗って運ばれてくる。視線の先には町の明かりも見えてきた。

 あの町がポートフィルズで間違いなさそうだな。かなり大きい町みたいだし、夜でも賑やかそうだ。


「やっと町が見えてきましたね、坊ちゃん。町が無事だと言うことはラヴォナートはもう船で海を渡ってしまったのでしょうか?」


 ディエゴも町が焼き払われていないことには安堵しているようだ。


「それは分からないよ。でも、町にはまだラヴォナートが潜んでいるかもしれないし、気は緩められないな」


 僕たちのせいで町の人が犠牲になった、なんてことは絶対に避けたい。なので、行動には細心の注意を払う必要がある。


「言っておくけど、夜になったら船は出ないわよ。だから、今日は宿に泊まらなきゃならないし、あんたらはちゃんとお金とか持っているわけ?」


 そう口を挟んだのは枝毛を弄っているアルフィーヌだ。その腕には金のブレスレットが付けられているし、服装も至って普通だった。

 こういう格好をされると普通の可愛い町娘にしか見えない。


「当たり前だ。俺もグラッド様から、十分すぎるほどのお金は渡されているし、船にだって乗れるはずだ」


 ディエゴが少しムッとしたように言った。


「なら、良いわ。私は王女なんだから、野宿なんて絶対にさせないでよね。特にこの辺りはモンスターも出るし」


 アルフィーヌは夜の闇に視線を向ける。確かに道の両脇には木が覆い茂ってるし、何が出て来てもおかしくない。


「俺たちのような強者が四人も揃ってるんだから、モンスターなんて敵じゃないだろ。それとも、アルタイラルの元で学んだという、お前の魔法はただの飾りか?」


 ディエゴはあからさまに挑発するように言った。


「そんなわけないでしょ。私がその気になれば、あの町を火の海に変えることだってできるわ。女だからって甘く見ないでよ」


 アルフィーヌの掌に炎の球が浮かび上がる。荷台の中が炎の光りで照らされた。


「それは怖いから止めてよ。実際に僕の村だって、ラヴォナートに火の海にされたんだから。あの時のことは忘れたい」


 僕は村の人たちの悲痛な顔を思い出しながら言った。

 あんな悲劇を繰り返さないために僕たちはこうして旅をしている。その初志は忘れたらいけない。


「そうだったわね。無神経なことを言って悪かったわ。とにかく、宿に着いたらフカフカのベッドで眠りたいわね」


 アルフィーヌはバツが悪そうな顔をする。


「そうですね。私もずっと馬車に乗っていてお尻が痛いですし、ベッドで寝られると嬉しいのですが」


 ようやく口を開いたセフィアもさすがに疲れを見せていた。


「それは僕も同じだよ。でも、馬を走らせているのはディエゴだし、お尻が痛いなんて言い出せなかったんだ」


 僕はお尻を擦った。これで温泉に入れなかったら、疲れで寝込んでしまったかもしれないな。


「水臭いですね、坊ちゃん。とはいえ、俺も手綱を握る腕が痛いのは事実ですが」


 一番、疲れているのは間違いなくディエゴだろう。宿に着いたら旨い酒をたくさん飲ませてあげないと。


「やはり、旅は私が思っていたような甘いものではなかったようですね。実に良い経験になりました」


 セフィアはお尻の辺りを何度も触っている。


「私もアルタイラル様のところに辿り着くまで、本当に苦労したのよね。あんな苦労は二度とご免だし、あんたたちとの旅は是非とも快適で楽しいものにしたいわね」


 アルフィーヌも旅の辛さは分かってるってことか。


「快適という点は保証しかねるな」


 ディエゴはそう皮肉を口にすると、黙って馬車を走らせ続ける。それから、馬車は町の入り口に辿り着いた。

 ここまで来ると、さすがに海の匂いをはっきりと嗅ぐことができる。強い潮風も吹いてくるし。


「さてと、とりあえず馬を休ませないとね。いくらなんでもこれ以上、馬車を走らせるのは躊躇われる」


 僕はオレンジ色の明かりが灯っている町の建物を眺める。港のある大きな町と言うこともあってか、夜になっても道には人の数が多かった。


「ええ。こいつらは力と体力がある良い馬ですが、それでも限度というものがあります。山道も走らせてしまいましたし、今日はぐっすり寝かせてやりましょう」


 馬の調子はディエゴじゃないと分からない。


「それが良いよ」


 僕は二頭の馬の体を気遣いながら、宿屋が近くにないか店の看板を眺めていく。でも、明かりが灯っているのは酒場ばかりだ。


「私も眠りたいわ。言っておくけど、私は一人部屋にしてよね。私って誰かが近くにいるとよく眠れない体質だから」


 アルフィーヌは欠伸をしながら言った。


「私は誰と一緒でも構いません。こうして旅に同行させて貰っているのですから我が儘は言えませんし」


 セフィアはあくまで殊勝だった。そんな彼女を横目にしたアルフィーヌは少し意地悪そうな顔で口を開いた。


「それって遠回しに私が我が儘だって言いたいわけ?」


 アルフィーヌは楽しげに笑う。


「そんなことはありません。ですが、立場を弁えるというのも王族の方にとっては必要なことではないでしょうか」


 セフィアも言葉こそ手厳しかったが、悪意は感じられなかった。それはアルフィーヌも分かっているらしく、笑みを崩さない。


「完全な嫌味ね。ま、私は聖女様のような慎ましい育て方はされなかったから、それも仕方がないけど」


 アルフィーヌは肩を竦めた。


「ええ。確かに私は修道院では慎ましさを重んじるように育てられました。しかし、それは王宮で育ったあなたも同じだったのでは?」


 セフィアの言葉にアルフィーヌは遠い目をする。


「そうね。私も王宮の堅苦しさにはほとほと嫌気が差してたから。だから、本で読んだ冒険者なんて言う人種に憧れちゃったのかもしれないわね」


 アルフィーヌの目には一抹の寂しさが浮かんでいた。


「そうですか」


 セフィアは薄く目を瞑る。

 僕はようやく二人が会話してくれたことにほっとしながら、明かりの灯っている宿屋を探す。

 それから、馬車は大きな宿屋のあるところまで来た。

 ディエゴが馬屋に馬車を繋ぐ。それから、僕たちは馬車から降りると、外にまで明るい光が漏れだしている大きなドアを開けた。

 すると、そこはかなり広い食堂になっていた。が、僕が目を見張ったのはそれが理由ではない。

 食堂の中では何人もの男たちが呻きながら倒れていたからだ。その中央には金髪の剣士のような少年が立っている。

 その顔立ちはとても凛々しく、そこらの女性よりよっぽど綺麗だった。


「何の騒ぎなの?」


 僕は入り口のすぐ近くにあったカウンターの店員に話しかける。


「いえ、ちょっとした乱闘ですよ。色々な人間が集まるこの町では珍しいことではありません」


 店員は涼しい顔をして言った。

 確かに港には色んな国からの船が入ってくるからな。人が集まりやすい分、トラブルも多いに違いない。


「大丈夫ですか?」


 セフィアは倒れている男たちに駆け寄ると、光り輝く手で触り始めた。おそらく治癒の魔法をかけているのだろう。


「そんな奴らを助けてやる必要なんてないぜ、お嬢さん。どうせ人間のクズみたいな連中なんだから」


 金髪の少年はせせら笑った。


「一体、どうしてこんなことをしたの?」


 僕は金髪の少年の元に歩み寄った。これから、この宿に泊まろうというのに、変な騒ぎに巻き込まれるのはご免だぞ。


「そこの汚い男たちが、ウェイトレスの女の子にしつこく絡んでいたんだ。だから、助けてやったんだよ」


 金髪の少年の視線の先には怯えているウェイトレスの女の子がいた。


「だけど、これはいくらなんでもやり過ぎなのでは?この人は顎が砕けてますし、他の人も血を吐いていますよ」


 セフィアは必死に男たちに治癒の魔法をかける。


「ここが町の中じゃなかったら、その程度じゃすまなかったさ。最悪、死人が出ていたかもしれないな」


 金髪の少年は悠々と言った。それを見て僕は少年から研ぎ澄まされたような強さを感じ取っていた。


「あの白金色のドラゴンはもしかして、セイント・ドラゴンじゃないの?何だか、凄く神聖なオーラを放ってるし」


 そう言って、アルフィーヌが少年の肩に乗っている小さい手乗りサイズのドラゴンを指さした。


「セイント・ドラゴンはこの世界にはもういないはずです。過去の大戦で死に絶えたと言われていますし」


 セフィアがその事実を指摘する。


「それはそうなんだけど、白き竜を連れて歩いているなんて、もしかして、あんたはあの有名な冒険者、ラルフ・ラックフォードなんじゃ」


 アルフィーヌは驚き入るような顔をした。


「よくご存じだな。俺の名前は確かにラルフ・ラックフォードだ。そんでもって、こいつの名前は…」


 ラルフが視線を横に移動させると、ドラゴンがにんまりと笑った。


「おいらはクリフ・F・クリムナート、ラルフの相棒さ」


 ドラゴン、いや、クリフは子供のような声で言った。そして、その言葉に過敏に反応したのはセフィアだった。


「あたなが、クリムナート様だというのですか?そんな、まさか」


 セフィアは目の辺りの皮膚を痙攣させていた。


「こいつは正真正銘、本物のクリムナートだ。セイント・ドラゴンの姿も仮のものに過ぎないんだよ」


 ラルフはクリフの頭を撫でた。


「こんなドラゴンが善神クリムナート様だったなんて。私はもっと神々しい姿をしていると思っていました」


 セフィアはショックを隠しきれない。


「神の力を見かけで判断すると痛い目に遭うぜ、ダサい姉ちゃん」


 クリフは愛嬌たっぷりに笑った。


「ダ、ダサいって」


 セフィアは蒼白な顔をする。それから、暗い顔で下を向いてしまった。どうやら、彼女の中にあった強い芯のようなものがポッキリと折れてしまったらしい。


「かの有名な冒険者、ラルフ・ラックフォードに善神クリムナートか、こりゃとんだ大物と出会えたもんだな」


 ディエゴは腕を組みながら笑った。

 とはいえ、僕はラルフもクリムナートのことも全然、知らなかった。どうやら、僕はよほど狭い世界で生きていたらしいな。


「そういうあんたらは名乗ってくれないのか。見たところ、あんたらも相当、大物のような感じがするんだが」


 ラルフは砕けた感じで手を掲げる。


「僕はグレッグ・G・グレイアム。ノース・ヴェルグ一体の土地を治めている領主、グレイアム家の子息だよ」


 僕はそう自己紹介をしていた。


「俺はグレイアム家に仕える傭兵、ディエゴ・ディゴリードだ。過去に、アルダンティア王国の王立騎士団の副団長も務めていた」


 ディエゴがそこまで教えるなんて珍しいな。もしかしたら、ラルフに戦士としての対抗意識を燃やしているのかもしれない。


「私はセフィア・セントメール。聖女セフィアと言えば聞いたことがあると思いますが」


 セフィアは立ち直ったように言った。


「あたしは大魔導師フォルカス・アルタイラルに師事していたアルダンティア王国の王女、アルフィーヌ・フォン・アルダンティアよ」


 アルフィーヌはニコニコしながらラルフではなくクリフを見詰める。その視線に気付いたのか、クリフがビクッと猫のように体を震わせた。


「こりゃまた凄い面子だな。あんたらみたいな大物が揃って現れるなんて、何か大きな事情でもあるのか」


 ラルフがそう尋ねてきたので、僕はその事情を話すことにした。

 ラルフは凄い冒険者みたいだし、僕たちの抱えている事情を知れば力になってくれるかもしれないと思ったのだ。


「そういうことね。俄に信じがたい話ではあるが、あんたらが嘘を吐いているとは思えないし、クリフもこの近くで邪悪な魔力を感じ取ったと言っていたからな」


 ラルフは顎に手を添えた。


「その方たちの話は本当だと思いますよ、ラルフさん。今日の夕方、黒い羽の生えた女の子が海の上を飛んでいくのを見たって言っている船乗りさんが何人もいましたから」


 そう教えたのはウェイトレスの女の子だ。


「となると、ラヴォナートは本当にエシュロニア王国の王都に向かったというわけか。こりゃ、俺たちもグズグズしている暇はないな」


 ラルフは焦りを滲ませながら言った。


「僕たちもラヴォナートを追いかけるために船に乗ってエシュロニア王国に行こうと思ってる。君は?」


 僕は何げなく尋ねた。


「俺も同じだよ」


 ラルフは難しい顔で言葉を続ける。


「とにかく、そういうことなら、俺もあんたらの仲間に加えて貰えないか?俺は王都の大迷宮にある魔界のゲートを封印しに行かなきゃならないんだ」


 ラルフは真剣な顔で言った。


「そんなことができるの?僕も魔界のゲートについては良く知らないけど、もう何百年もそのままの状態で放置されていると聞いてるし」


 モンスターの出る迷宮の最深部に行くことも至難の業だと聞いている。とはいえ、辿り着けた人間が全くいないわけではないが。


「善神クリムナートならそれができるんだよ。魔界のゲートも封印が解けかかっているだけだし、それを直せば良いんだから、できないということはない」


 そう言って、ラルフは自信を覗かせる。


「ただ、ラヴォナートに先を越されると、ゲートの封印を完全に解かれかねない。それだけは阻止しないと」


 ゲートの封印が完全に解かれたら、やっぱり危険なモンスターが溢れてくるのだろうか。


「なるほどね」


 だとすると、一応、目指すべき場所は一緒か。


「何にせよ、クリフの力は甘く見たら駄目ってもんだぜ」


 ラルフの言葉を受け、クリフが笑いながら大きく口を開く。


「まったくだ。この姿を見ると、揃いも揃って、みんなおいらを馬鹿にするんだよ。だけど、おいらはかつてラヴォナートを倒した立役者の一人なんだぜ」


 そうは言っても、こんなひょうきんな奴を馬鹿にするなと言う方が無理があるかもしれない。


「なら、今すぐラヴォナートを倒してください、クリムナート様。そうすれば全てが解決します」


 セフィアは訴えかけるように言った。その声にはクリムナートを何とかして神として認めたようとしたいという気持ちが表れていた。


「そりゃ無理だ。おいらの本当の力はこの世界の創造者によって封印されてる。だから、あのラヴォナートを倒す力なんてない」


 クリフはきっぱりと言った。


「では、ラヴォナートの体のありかは?」


 セフィアは続けて尋ねる。


「知らない」


 プイッとそっぽを向いたクリフを見てそんな上手い話はないか、と僕もがっかりした。


「とりあえず話を戻すが、この辺りの海には水竜が出るんだ。それを倒すためにも、あんたらの力は是非とも借りたい」


 ラルフは実直に言った。


「水竜だって?」


 僕は不吉なものを感じていた。


「ああ。エレアドルって言う奴なんだが、こいつがまた恐ろしく強いらしくてな。もう何隻もの船が沈められている」


 ラルフの言葉に僕も危機感を募らせる。海の上では逃げることもできないし、下手したら死ぬぞ。


「だから、なかなか船が出せなかったんだ。でも、明日の朝になれば一週間ぶりにエシュロニア行きの船が出る。俺としてもそれを逃すわけにはいかない」


 ラルフの声には並々ならぬ意志の強さがあった。


「それは僕たちも同じだよ。となると、エシュロニアに行くには水竜とも戦わなきゃならないってことか。それはまた大変なことになりそうだな」


 ドレイク以上の強敵なのは間違いないだろう。


「だが、俺たちが力を合わせればきっと倒せるはずだ。悪い話じゃないと思うし、ここは一つ協力しようじゃないか」


 ラルフの言う通り、協力を拒む理由はない。とはいえ、こんな風に旅の仲間が増えていくことには抵抗を感じるが。


「分かったよ。僕たちとしても、君のような冒険者が一緒にいてくれるなら、こんなに心強いことはない」


 僕はそう承諾していた。

 ディエゴやセフィア、アルフィーヌも反対はしなかったし、僕たち五人で戦えば、ラヴォナートにも打ち勝てるかもしれないな。


「なら決まりだな」


 そう言うと、ラルフは気障な感じで笑った。


                   ☆

 

 食堂で簡単な食事を済ませると、僕は宿屋の中にある部屋に行く。ディエゴは一人一部屋ずつ取ってくれたので、僕も気を休めて寝ることができる。

 なのに、僕はなかなか寝付けずに、天井を見詰めていた。すると、入り口の扉が開いて、酒の匂いが漂って来る。

 現れたのは麗しかった金髪をボサボサにしたセフィアだった。


「うー、気持ち悪い」


 セフィアの顔の表情は緩みきっていた。


「ど、どうしたの、セフィア。そんな酷い顔をして」


 僕は慌てて足下をふらつかせているセフィアの体を支えた。


「食堂でブランデーを飲み過ぎてしまいました。そしたら、何だか良い気持ちになってしまって」


 セフィアは僕のベッドに頭から倒れ込んだ。


「ここは君の部屋じゃないよ」


 僕はセフィアの体を何度も揺する。こんなところを見られたら、ディエゴたちにあらぬ誤解をされかねない。


「なら、ここで寝かせてください。私はもう動けそうにありませんし、追い出したりしないで…」


 セフィアは気持ちよさそうに目を閉じてしまった。


「でも、確か修道院の人間はお酒を飲んじゃいけないはずでしょ。なのに、何でこんなに泥酔してるのさ?」


 まあ、大方の理由は分かっているが。


「私ったら馬鹿みたいです。善神クリムナート様のためなら、身も心も捧げられると思っていたのに」


 セフィアは目から涙を溢れさせた。


「やっぱり、クリフを神と崇めるのは無理があるよね。僕もこの世界を作った神様があんな奴だったら、殴ってやりたくなるし」


 偽らざる本音だ。


「クリムナート様はポテトフライをたくさん食べて、食堂でグーグー寝ていました。その姿を見せられたら、私も自分が惨めに思えてならなくって」


 セフィアのアイデンティティーは完全に崩壊してしまったらしいな。さっきまでは平静を装っていただけか。


「そりゃ分かるけどさ。でも、人生なんてそんなもんだと思うし、自暴自棄になったらいけないよ」


 ティアを失った僕だって、似たような気持ちになった。


「私、本当は男の子とも付き合って見たかったんです。結婚にだって憧れていました。そんな気持ちをあんなドラゴンのために一生、封じていかなければならない」


 セフィアは打ち拉がれていた。


「それについては僕も同情するよ。でも、そこまで言うなら今から生き方を変えることはできないのかな?」


 全てはセフィア次第じゃないの。


「できません。そんなことをしたら、死んでいった神官長や修道女たちに顔向けできませんから。でも、そう言ってくれて、嬉しいです」


 そう呟くように言うと、セフィアはスースーと寝息を立てて眠ってしまった。それを受け、仕方なく僕はセフィアの部屋に行って眠ろうとする。

 すると、タイミングが悪いことにセフィアの部屋の前で、アルフィーヌが声をかけてきた。


「グレッグ、あんたこんな夜更けにセフィアの部屋に行こうって言うの。ひょっとして、二人はそういう関係だったわけ?」


 アルフィーヌが冷めた目で僕を見ていた。


「ち、違うよ。セフィアとは何もないんだ」


 僕は慌てて首を振る。


「でも、今からいやらしい関係になろうとしてるんでしょ。しかも、よりにもよってその相手に聖女様を選ぶなんて」


 アルフィーヌは腰に手を当てた。


「だから違うって」


 僕は声を荒げる。


「じゃあ、さっさと自分の部屋に戻りなさいよ。それともあたしの部屋に来てキスの一つでもしていく」


 アルフィーヌは頬を真っ赤にしながら言った。


「ぼ、僕は」


 僕はジリジリと後退りする。


「そんなに強張った顔してないでよ、ただの冗談なんだから。まったく、頭の固いセフィアなんかのどこが良いんだか」


 アルフィーヌは大仰に肩を竦めた。


「ご、ゴメン」


 僕はそのまま走って二階の通路から出て行く。それから、息を弾ませながら一階にある部屋へと下りてきた。

 確かここにはディエゴの部屋があったはずだ。床でも良いから、今日はここで寝ることにしよう。

 部屋に入るとディエゴは大きな鼾を掻いて寝ていた。よっぽど疲れていたみたいだな。ま、一日中、馬車を走らせていたんだから、無理もないけど。

 僕は、ディエゴには苦労をかけているなと思いながら、木の床に横になった。


                   ☆

 

 次の日、僕たちは船着き場へと来ていた。

 そこには大きな船があり、そのバックには青い海が広がっていた。向こうに見える陸地はエシュロニア王国だろう。

 僕は船に乗ったことなんてないので興奮していた。それから、ディエゴは馬車を船へと乗せる。

 僕たちもそれに続いた。すると、船と船着き場を繋いでいた橋が取り払われ、船がゆっくりと動き始めた。

 白い帆が大きく広げられた船は次第にスピードを上げていく。その周りを海鳥たちが、鳴き声を上げながら飛んでいる。

 僕は甲板で海を眺めながら、何も出できませんようにと祈っていた。


「船に乗ったのは初めてでしたよね、坊ちゃん。スピードがある分、かなり揺れていますし、船酔いとか大丈夫ですか」


 そう言う、ディエゴは何度も船に乗ったことがあるという。


「大丈夫だよ。それにしても、船に乗って別の大陸なんかに言って、本当に戻ってこれるのかな」


 もう二度と、故郷の地を踏めないなんてことはないと思いたい。


「分かりません。全てはラヴォナート次第でしょう。ですが、今の俺たちなら不思議と負ける気はしませんね」


「そっか」


 ディエゴの言葉は単なる楽観ではないようだった。


「何にせよ、今は水竜にだけ注意を払いましょう。船が沈められたら、いくら俺たちでも死んでしまいますからね」


「うん」


 どうにも海には怖いというイメージがある。僕も泳ぐのは得意じゃないし。まあ、海は魔物だと言うし、水竜よりも嵐の方が怖いかもね。


「あのー、グレッグ」


 僕の後ろから現れたのはセフィアだった。その顔色はすこぶる悪い。


「どうかしたの、セフィア」


 僕はこめかみの辺りを引き攣らせているセフィアに尋ねる。


「昨日は恥ずかしいところを見せてしまいましたね。修道院の女性が酒を飲んで酔い潰れるなんて」


 セフィアは忸怩たるものを感じているようだった。


「気にしなくて良いよ。セフィアももっと肩の力を抜いた方が良いんじゃないかな」


 すぐにそれができるとは思わないけど。


「分かっています。私も色々と考えてみましたが、やはり聖女としての生き方は捨てられません」


 セフィアは美しい金髪をふわりと舞わせる。


「どうして」


「神がどんな方なのかは重要ではあまりません。本当に重要なのは神を信じて正しく生きている人たちがたくさんいると言うことです」


 セフィアは二日酔いの顔を無理に引き締めながら言葉を続ける。


「おそらく、そういう人たちを導くのが私の役目なのでしょう。これからは神のためにではなく人のために生きることにします」


「それは良いかもね」


 そう言いつつも、僕はそれも何か違うなと思っていた。


「その言葉を聞く限りでは本当にグレッグとは何もないみたいね、セフィア」


 セフィアの横に並んだのはウェーブした桃色の髪を風に靡かせているアルフィーヌだった。


「どういう意味ですか?」


 セフィアが眉を持ち上げる。


「何でもないわよ。とにかく、セフィアも私のように自由奔放に生きれば良いのよ。やっぱり、誰かのためじゃなく、自分のために生きなきゃ」


 僕もそれが言いたかった。


「ですが、誰かのために力を尽くせることが人間の素晴らしさではないでしょうか」


 でも、自分を捨ててまで他人に尽くすことが正しいとは思わない。


「そうね。あたしは王族としての立場を放棄しちゃった身だし、その辺については、あんまり偉そうなことは言えないけど」


 アルフィーヌにも思うところはあるのだろう。


「私はアルフィーヌが羨ましいです。ですから、アルフィーヌは自分のよしとした生き方を貫いてください」


 セフィアは心からそう思っているようだった。


「分かってるわよ。ま、あたしも世界に名を轟かせるような魔導師になったら、大手を振って王宮に戻ってやるわ。それで、あたしの生き方を頑固な父上に認めさせるの」


 アルフィーヌも何か人に言えないものを背負っているのかもしれない。


「頑張ってください。それと、これからはもう少し仲良くしましょうね、アルフィーヌ」


 セフィアがそう言うと、アルフィーヌは照れたような顔で枝毛を弄り始めた。


「良い風だな。この船のスピードなら、三時間もあればエシュロニア王国のある大陸に付くだろう」


 ラルフは首の辺りの髪を撫でつけた。その白い肌の横顔を見て、まるで少女のようだと思った。


「水竜は出てこないね」


 僕はこのまま出てこなければ良いのにと思う。


「これからさ。ま、水竜を倒した人間には、漁業組合から報酬も支払われるみたいだし、俺としてもそのチャンスは掴みたいところだな」


 ラルフは腰に下げた立派な剣の柄を叩いた。


「そうだね」


 そう言うと、僕は海鳥の群れに視線を向けた。その瞬間、甲板に大きな声が響き渡る


「水竜が、出たぞー」


 船員が血相を変えて指さす先には、蛇のような長い体をした青い竜が海から顔を出していた。


「やっと出てきたな、エレアドル。その首、討ち取らせて貰うぞ」


 ラルフが喜々とした顔で言うと、僕たちはエレアドルが顔を出している船首の方に走っていく。

 すると、エレアドルは滑るような動きで甲板の上に乗った。その体長は優に三十メートルを超えるだろう。

 もし、船が大きくなかったら、エレアドルの重みだけで沈んでいたかもしれない。

 そして、エレアドルは僕たちを見ると、いきなり尻尾で薙ぎ払おうとする。その一撃で、数人の船員たちが吹き飛ばされて、海へと投げ出された。

 僕もエレアドルの尻尾をしゃがみ込むことで何とか避けたし、剣を手にしたラルフも無事だった。


「お前たちは船から落ちた船員を拾い上げてくれ、ここは俺一人で良い」


 ラルフはそう頼もしく言った。だが、僕は逃げることなく、剣を構えながらラルフの横に並んだ。


「悪いけど、僕も戦わせて貰うよ。ラヴォナートと戦う前に、少しでも良いから実戦を積んでおきたいんだ」


 経験を積み重ねることが、僕に求められている。


「あたしも。あの水竜には大きな魔法を食らわせてやりたいし、ここらであたしの凄さも見せておかないと」


 アルフィーヌは掌に、大きな炎の球を作りだしていた。

 一方、僕の顔を見たディエゴとセフィアは無言で頷くと、船員たちが落ちていった方に走っていった。


「分かった。その代わり足を引っ張るなよ、二人とも」


 そう言うと、ラルフは疾風のように、エレアドルの方へと駆けていく。それから、閃光のような剣の一撃をエレアドルに加えた。

 しかし、エレアドルはその一撃を巧みに避けると、口から青白い炎を吐き出す。その肌が焼けるような熱は僕の方にまで伝わってきた。

 ラルフはその炎を縫うようにして避けて、エレアドルに更に鋭さを増した一撃をお見舞いする。

 その一撃はエレアドルの尻尾を半ばまで切断した。が、すぐにエレアドルの傷口から、ブクブクと沫が吹き出す。

 すると流れていた血が止まり、傷口が綺麗に消えた。

 それを受け、ラルフが舌打ちすると、今度はエレアドルに向かって火球が飛来する。それはエレアドルの顔にぶつかり大爆発を引き起こした。

 エレアドルの頭が、轟々と燃え盛る。

 が、エレアドルは頭を激しく振って火をかき消す。その顔には焦げあと一つ、付いていなかった。

 それから、エレアドルは長い尻尾の一撃をアルフィーヌに食らわせようとする。鉈のように尻尾が振り下ろされた。

 とても女の子に避けられるようなスピードではない。

 だが、その尻尾を風のように走り抜けた僕が切断していた。切り飛ばされた尻尾はビクビクと跳ね回りながら海に落ちる。

 これにはエレアドルも痛みに耐えかねたのか咆哮を上げる。

 僕も手応えはあったと思ったが、すぐに驚くべきことが起きた。切断された傷口が蠢いたと思ったら、飛び出すようにして新たな尻尾が生えたのだ。

 これには何という再生力だと僕も舌を巻いた。

 だが、僕は二の足を踏むことなく、エレアドルに斬りかかる。ラルフも幾度となく、エレアドルの尻尾を串刺しにした。

 初めての共闘にしては、僕たちの繰り出す攻撃は息が合っていた。

 特にラルフの動きは残像すら生み出すほどの早さだったし、エレアドルの尻尾は殺人的な早さで切り刻まれていく。

 だが、それでも、致命的なダメージは与えることができなかった。与えた傷もすぐに再生されてしまうし。

 それを見かねたのか、アルフィーヌは特大の火球をエレアドルに向けて放った。それはエレアドルの体全体を包み込むようにして爆発した。

 だが、燃え盛る炎の中から無傷のエレアドルが現れる。エレアドルの体は粘膜に覆われているし、炎には強いようだ。

 一方、エレアドルは青白い炎を執拗に僕たちに浴びせてきた。僕もラルフもそれを避けるだけで精一杯だ。

 正直、息を吐く暇もないし、尻尾による攻撃も目まぐるしく襲いかかってくる。

 そんな僕たちが戦っている甲板の上では、赤い炎と青白い炎が絡み合っていた。このままだと船が燃えてしまうな。

 すると、ラルフの肩から、クリフがふわりと飛び立つ。それから、クリフの体は見る見る内に大きくなり、体調が六メートルほどの威風堂々としたドラゴンになった。

 これには僕も唖然とする。

 だが、ラルフは顔色一つ変えることなく、素早くクリフの背中に飛び乗った。と、と同時にクリフは勢いよく空へと舞い上がる。

 僕はその様子をハラハラしながら見守っていたし、アルフィーヌも口を半開きにしてポカンとしている。

 一方、クリフの背中に乗っているラルフは物語に出て来る伝説の勇者のように剣を構えていた。

 クリフも大空を自由に飛びながらぐるりと旋回して、エレアドルに接近する。ラルフもキラリと光る剣の切っ先をエレアドルに向けた。

 そして、エレアドルとクリフの体が際どいタイミングで交錯した。

 その瞬間、迅雷の如き早さで繰り出されたラルフの斬撃がエレアドルの頭部を口の辺りから切り飛ばしていた。

 バシュッと血が吹き上がると、同時にエレアドルの口から上の頭部はクルクルと回転して海に落ちた。

 残った体の方も張り詰めた糸が切れたようにドサッと横倒れになる。それっきり、エレアドルの体が動くことはなかった。

 僕は勝負が付いたことにほっと胸を撫で下ろす。


「どうやら勝てたみたいですね、坊ちゃん」


 僕の肩を後ろから叩いたのはディエゴだった。


「うん。全てはラルフとクリフのおかげだよ。僕の剣とアルフィーヌの魔法だけじゃ、とてもエレアドルは倒せなかった」


 ラルフを仲間に加えたのは正解だったな。


「そうですか。まあ、船員たちも全員、引き上げられましたし、死者が出なかったことは幸いでした」


 甲板の火は他の船員たちが水をかけて、消している。


「そうだね」


 僕も死者が出なかったことは純粋に嬉しかったのだ。

 一方、セフィアはぐったりとしている船員に治癒の魔法をかけていたが、それを切り上げると僕の方に近寄ってくる。


「手を貸せなくてすみません。私も炎から身を守るバリアくらいは張ることができたんですが、すっかり忘れていました」


 セフィアは悄然とした表情で言った。


「別に良いよ。船員たちはちゃんと助けられたんだから」


 僕よりもセフィアの方が、この船の人たちにとっては恩人だろう。それから、僕は空に浮かぶ太陽を眩しそうに見る。

 そこには羽をはばたかせているクリフがいた。


「よっと」


 クリフが甲板の上に着地すると、ラルフはその背中から飛び降りた。


「船が沈む前にエレアドルを倒せて良かったな。ま、これでたんまりと報酬をせしめることができる」


 そう言って、ラルフは美しい金髪を掻き上げながら笑った。

 すると、クリフの体も見る見る内に小さくなっていった。最終的には元の手乗りサイズになる。


「クリフの背中に乗って、空を飛べるなら、わざわざ船に乗らなくても良かったんじゃないの?」


 僕の疑問にラルフは苦笑する。


「もっともな意見だが、こいつは五分しか大きくなれない。だから、海を渡ることなんて無理だ」


 ラルフの言葉に僕も合点がいく。一方、クリフはラルフの肩に乗ると、猫のようににんまりと笑った。

 その後、船が港に着くと、僕たちは馬車と共に船から下りた。



 第四章に続く。


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