プロローグ
プロローグ
僕の住んでいる屋敷のすぐ近くにはノース・ヴェルグという小さな村があった。村では村人たちがつつがない生活を送っている。
故に事件などは起こらす、村は平和なものだった。
そんな村の奥には鬱蒼と木が多い茂る森がある。森には多くの草花が生え、鹿やイノシシを初めとする動物たちが生息していた。
この森がなければ、村人たちの生活も成り立たないだろう。森との共存を村人たちは心懸けていた。
そして、森の中には千年以上も昔に建てられたという古代の神殿もある。
いかなる技術によって作られていたのかは分からないが、神殿は風化こそしているがその原型をしっかりと留めていた。
どうやら、建物の丈夫さには古代の魔法の力が関係しているらしい。ただ、それ以外のことはほとんど分かっていない。
いずれにせよ、古いと言うこと以外は、見るべきものは何もない神殿だ。
そんな神殿がある森を含めたこの付近一帯の土地を所有している領主の息子が僕ことグレッグ・G・グレイアムだ。
グレイアム家はアルダンティア王国から伯爵の地位も頂いているかなり有名な貴族だった。
伯爵である父さんは領民たちからは慕われていたし、その息子でもある僕も何不自由のない人生を送ってきた。
なので、将来は何事もなく父さんの跡を継げると信じて疑わなかった。
ただ、一度は本に出て来る冒険者のように大きな世界へと飛び出してみたいと思っていた。父さんも若い頃は色々な国を見て回ったと言うし。
そんな僕だが、現在、古代の神殿の中にいる。神殿は廃墟と化しているが、小さい頃からよく遊びに来ていた場所なので怖くはない。
もっとも、神殿の中は王宮の調査隊によって調べ尽くされているので、お宝の類いはないが。
だが、僕はそれでも何あるんじゃないかと期待を寄せながら、頻繁に神殿の中を探検している。
なので、今日も僕は村に住んでいる仲の良い友達たちと共に神殿の一番奥に来ていた。
「何だか怖いよ、グレッグ兄さん」
僕にとっては妹のような存在、ティア・アルフレックはか細い声で言った。ティアは栗色の髪をしていて、華奢な体をしている。年齢も僕より一つ下だった。
そんなティアの性格は控え目で、引っ込み思案なところがある。でも、思いやりがあり、人を気遣う優しさも持っていた。
僕とティアは血の繋がった兄妹ではないが、ティアは僕のことを本当の兄のように慕ってくれるのだ。
「そんなに怖がらなくたって何も出てきはしないよ。僕たちは小さい頃からこの神殿の中を遊び場にしてたんだから」
僕は気を楽に持たせるように言った。祭壇のある広間は壁に嵌めこまれた光石で照らされている。
光石は文字通り光を発する石だ。
光石は決して高価な物ではないので、色々な場所で使われている。特に古代の遺跡などでは千年も光を発している光石も珍しくないのだ。
「でも、神殿には入ったらいけないって村の人は言ってるし」
初めて神殿の中に入ったティアはあくまで弱気だった。
ティアの言う通り、村の人たちは神殿に入ると祟りに遭うとか言っている。それが本当なら僕なんてとっくに酷い目に遭っているはずだが。
「気にするなよ、ティア。このデイブ様の鍛え抜かれた拳があれば、お化けなんか出て来ても怖くはないぜ」
そう言ったのはデイブ・ブロイラーだ。
デイブは体が大きくて、太っている。ただ、腕力もあるし、走るのも速い。素手で喧嘩をやらせたら、村の中で適う者はいなかった。
「そうそう。僕の調べた限りでは、この神殿には危険なものなんてありませんよ。ただ、古代の神が奉られていたと言うだけで」
追従するように言ったのはラッド・ラドキンスだ。ラッドは体こそ小さいが、頭が良くていつも本を読んでいる。
でも、運動が苦手なわけではなく、ネズミのようにすばしっこい動きができるし、ナイフの扱いにも長けていた。
「じゃあ、こんなところで遊んでたら神様に怒られちゃうんじゃ」
ティアは胸の辺りで手を合わせながら言った。
「大丈夫、僕が付いてるよ、ティア。神だろうと悪魔だろうと、僕の剣があればティアは守れる」
僕は腰に下げた剣の柄に手を置きながら言った。その言葉通り、僕も剣の扱いには並々ならぬ自信がある。
屋敷の警備をしているディエゴ・ディゴリードに、小さい頃から剣の手解きを受けてきたからな。
ディエゴはアルダンティア王国の王立騎士団の副団長を務めていたこともある強者だし、剣を教えるのも上手だった。
「そうだぜ。ノース・ヴエルグの三戦士と言われた俺たちがいれば、古代の神なんて屁の河童だ」
デイブは太い腕を曲げて、力こぶを作って見せる。
ちなみに三戦士というのはデイブが勝手に言っているだけだ。本当は悪ガキ三人組と呼ばれている。
まあ、悪ガキと言われる原因を作っているのは大抵、デイブなのだが。
「ええ。こんなうち捨てられた神殿にいつまでも留まるほど、古代の神も酔狂ではないでしょうし」
ラッドは小動物のような笑みを浮かべた。
「そうだね。なら、三人とも、ちゃんと私を守ってね」
そう言って、ティアが安心したような顔をする。それから、僕たちは祭壇のある大きな広間を調べ始めた。
僕もこの広間には何か特別な意味があると思っていた。
ただ、祭壇に刻まれている古代語の文字は王宮の学者でも、その意味を解読できていないのだ。
僕はもっと勉強をすれば王都のアカデミーにも入れるかな、と思いつつ古代語に視線を向ける。
そして、十分ほど経っただろうか。
「おい、お前ら。こんなところに見たこともない仕掛けがあるぜ。こいつはまだ誰も作動させてないんじゃないか?」
デイブは壁に空いた小さな穴に手を突っ込んでいた。
「仕掛けだって?」
そう声を返したのは僕だ。
「ああ。こんなところに仕掛けがあったなんて、俺も気が付かなかったぜ。ひょっとして、こいつが神様のお導きってやつか?」
デイブはおどけように笑うと「動かしてやるぜ」と言った。
「ち、ちょっと、デイブ。そういう仕掛けは迂闊に動かしたら駄目ですって!」
焦るラッドが言い切る前に、デイブは穴の奥へと腕を押し込んでいた。すると、広間が地震も起きたかのようにガタガタと振動する。
これには僕もぎょっとした。
そして、振動が収まると、僕は辺りを見回す。デイブは穴に手を入れたまま棒立ちしていたし、ラッドは驚きに満ちた顔をしていた。
ティアも肩を震わせている。
一方、僕は祭壇の前にあった床が消失していることに気付く。それを受け、僕が恐る恐る祭壇に歩み寄ると、そこには下へと続く階段が出現していた。
「祭壇の前に変な階段が出てきたよ」
僕がそう声を上げると、デイブとラッドも慌てて走ってくる。
階段には光石が嵌めこまれていたが、それほど大きな光りは発していない。なので、人魂のように見えた。
「こりゃ大発見だ。ひょっとしたら、本当にお宝があるかもしれないな」
デイブは階段を見ながら嬉しそうな顔で言った。
「もし、魔法のアイテムがあったりしたら、大変な発見ですよ。魔法のアイテムは一生、遊んで暮らせるくらいのお金で売れることもありますし」
ラッドの声も弾んでいた。デイブもラッドも普通の家に住んでいる子供なので、僕みたいなお金持ちではない。
「それだけの金があればステーキは食い放題だな。言っておくが仕掛けを発見したのは俺なんだから、宝があっても、それは俺のもんだぜ」
デイブは肉を食べるのが本当に好きなのだ。
「その理屈は横暴ですよ。それにこれ以上、太ってどうするんですか?」
そういうラッドは肉よりも野菜を好んで食べる。だから、一向に背が伸びないのかもしれない。
「とにかく、あれこれ言う前に下に降りてみた方が良いんじゃないの?僕はちょっと嫌な予感がするけど」
僕は階段から漂ってくる異質な空気を感じ取りながら言った。デイブとラッドも互いの顔を見て、少し引き攣ったように笑った。
それから、僕たちは慎重な足取りで階段を下りていく。すると、そこには大きめの部屋があった。
「ここは?」
僕の視線の先には大きな魔方陣があった。それが神秘的な光を発しているのだ。
見たこともない文字や幾何学的な記号が踊っているのを見て、僕はこの魔方陣は古代のものに違いないと思った。
その上、魔方陣からは背中がじっとりと汗で濡れるような圧迫感も感じる。
「何かが封印されているようですね。大きなエネルギーがうねりを上げているようにも感じられますし」
ラッドが分析するように言った。魔方陣の上は空間が揺らめいて見える。見えないエネルギーが魔方陣から吹き上がっているようだった。
「それにしても不思議な光りだね。これも魔法の力かな?」
そう言った、ティアの顔も不思議な色合いの光に照らされている。それから、怖いもの知らずのデイブは魔方陣の中に入ろうとした。
すると、バチバチッという音と共に大きな体が弾かれる。
「こりゃ結界だな。手が痺れちまったし、力尽くで入れるようなもんじゃねぇぞ」
デイブは手を押さえながら言った。
それを見て、僕もデイブを叱り付けたくなる。下手したら手が痺れるどころか死んでいたかもしれないんだぞ。
古代の魔法を甘く見たらいけない。
「不用意に近づくのは危ないですよ。ここは慎重に調査しましょう」
理知的なラッドは床に落ちていた小石を魔方陣に向かって投げる。すると、小石は見えない障壁のようなものによって弾き飛ばされた。
これにはラッドも思案するように顎に手を添える。
一方、デイブは魔方陣の周りをグルグルと歩き回っていた。どこかに結界を解くことができるような仕掛けがないか探しているのだろう。
僕は怖がるティアの横に立ち、二人の様子を見守る。
「おっ、この綺麗な球は持って帰れば、けっこうな高値で売れるんじゃないのか?」
デイブは魔方陣の周りに配置されていたオーブのような物に目を付ける。黄金色のオーブは何とも美しかった。
「駄目ですよ、デイブ。この魔方陣は何かを封印しているみたいですし、迂闊に物を動かしたら何が起こるか分かりません」
ラッドの言葉はもっともだった。
「そんなの知るかよ。俺はこの金ピカの球を持って帰る。そして、道具屋に売りつけてステーキをたらふく食ってやるんだ」
デイブは聞く耳持たないと言った感じで、床に埋め込まれていたオーブを取り外してしまった。
その瞬間、魔方陣から目も眩みそうな光りが膨れあがる。凄まじいエネルギーが嵐のように荒れ狂った。
僕も危うく、エネルギーの奔流に巻き込まれ尻餅を付くところだった。そして、魔方陣からスーッと光が消えると広間が静まり返る。
僕も目を瞬かせた。
すると、魔方陣の上に紫色の光りの球が現れる。それは凄いスピードで、僕たちの方に向かってきた。
「キャッ!」
紫色の光りの球は吸い込まれるようにティアの体の中に入ってしまった。すると、ティアが苦悶の表情を浮かべて膝を突く。
「大丈夫、ティア?」
僕はすかさずティアの背中に手を回した。ティアは体をガクガクと震わせているし、その表情の歪み方は尋常ではない。
「か、体が熱い。助けてよ、グレッグ兄さん」
そう声を絞り出したティアの皮膚は紫に変色していく。あっという間に、全ての皮膚が毒々しい紫色になってしまった。
それを受け、僕は反射的にティアから離れた。
すると、ピタリと苦しむのを止めたティアの背中から黒い羽が生えた。お尻からは蛇のような尻尾も生える。
「おいおい、どうしたって言うんだよ、ティア?」
デイブが悪魔のような姿になったティアを見て青い顔をして言った。
「我が名はいにしえの神、ラヴォナート。封印を解いてくれたことを感謝しよう」
ティアは紫に変色した顔で、そう言葉を発した。
「ら、ラヴォナートだって!」
そう素っ頓狂な声を上げたのはラッドだった。
「な、何を言ってるの、ティア?」
僕は気持ちの悪い汗が噴き出すのを感じながら、ティアに詰め寄ろうとした。すると、ティアが横に手を一閃させる。
その瞬間、目に見えない力で僕は大きく吹き飛ばされた。
凄まじい勢いで床に叩きつけられた僕は意識が途切れそうになる。だが、必死に意識を繋ぎ止めると、何とか首を巡らせた。
すると、僕と一緒に吹き飛ばされたのか、デイブとラッドもぐったりと倒れていた。
そして、僕が朦朧としていると、ティアは僕の体の横を通り過ぎて部屋から出て行ってしまった。
それを目にした僕は何とかティアに声をかけようとしたが叶わなかった。そして、今度こそ僕の視界はブラックアウトした。
☆
僕は背中に痛みが走るのを感じながら、目を覚ます。意識がはっきりしないせいか、ここはどこなんだろうかと思ってしまった。
が、すぐに神殿の中に探検に来ていたことを思い出す。もちろん、悪魔のような姿に変貌したティアのことも。
僕は慌てて立ち上がると、倒れているデイブのところに行った。デイブは意識を失っていたが、死んではいないようだった。
だが、いくら体を揺すっても目を開けない。今度はラッドの方に行ったが、意識を取り戻す気配はなかった。
僕はとりあえず気絶しているだけの二人は放って置いて、ティアを追いかけようとする。それから、駆け足で隠されていた階段を上り、そのまま神殿を出た。
神殿の外は森になっている。だが、少し走ればすぐに村へと辿り着くし、村人たちにティアのことを教えないと。
僕は何かが焦げたような臭いを嗅ぎ取っていた。
それを受け、胸騒ぎを感じつつ、僕は村へと向かう。村に近づくにつれて臭いは強くなっていく。
そして、覆い茂る木々がなくなり、視界が開けると僕は絶句した。そこには燃え盛る村があったのだ。
どの建物も一つ残らず燃えている。道には倒れている村人たちが何人もいた。
その光景に僕は戦慄する。
誰がこんなことをしたんだと思っていると、血相を変えたような男たちが僕の方に駆け寄ってきた。
「ご無事でしたか、坊ちゃん」
そう声をかけてきたのは屋敷の警備主任を務めるディエゴ・ディゴリードだった。他の男たちも屋敷で警備の仕事をしている者たちだった。
「どうしてこんなことに…」
僕は地獄絵図のような村の状態を見ながら言った。
「分かりません」
ディエゴは怖々とした顔をしながら言葉を続ける。
「ただ、屋敷の方に逃げてきた村人によると、ティアが村人たちを手当たり次第に殺し、建物に火を放ったそうです」
ディエゴの言葉に僕は背中が寒くなった。
「そんな馬鹿な」
あの優しいティアがこんなことをするわけがない。
「ええ。俺としても信じたくはありませんが、逃げ延びてきた村人たちが嘘を吐いているとは思えませんし」
「そっか」
僕はティアの禍々しい姿を思い出していた。
「ティアは黒い羽を生やした悪魔のような姿をしていたそうです。坊ちゃんは何か心当たりがありませんか?」
「実は…」
僕は神殿の中で起きたことをディエゴに話した。それを聞くと、ディエゴも納得したような顔をする。
「そういうことでしたか。とにかく、ここは危ないですし、一端、屋敷に戻りましょう。グラッド様も待っていますから」
ディエゴは僕の肩に手を置いた。
「うん」
早く父さんにこのことを伝えないと。
「お前たちは生き残っている者がいないか探せ。ただし、ティアを見つけても絶対に手は出すなよ。坊ちゃんの話が本当なら、お前たちにどうこうできる相手じゃない」
ディエゴが檄を飛ばすように言うと、男たちは緊張した顔をしながら僕とディエゴから離れていった。
☆
幸いにも火の手は上がっていなかった屋敷に戻ると、そこには村から避難してきたたくさんの村人がいた。
みんな怯えたような顔をしている。中には泣いている子供もいた。
それを見ながら、僕は屋敷に入ると、ディエゴと共に父さんのいる書斎に向かった。
すると、そこにはいつになく厳しい顔をしている父さんがいた。父さんは無事だった僕を見ても、決して喜んだりはしなかった。
いつも寡黙な顔をしているのが父さんなのだ。
そして、僕の方も父さんことグラッド・G・グレイアムに事のしだいを打ち明ける。
「なるほど。その話が本当ならティアは古代の神ラヴォナートに取り憑かれてしまったと言うことか」
父さんは顎髭を撫でながら言った。
「ラヴォナートなんて本当に実在したんですか?」
名前だけは聞いたことがある。
ラヴォナートは、かつてこの世界を混沌に陥れた神らしい。でも、神々の力を借りた勇者の手によって打ち倒されたと聞いている。
「それは分からない。ただ、伝説ではラヴォナートは魂と肉体を分けられて、いずこかに封印されたと言われている」
ラヴォナートは完全に死んだわけではないってことか。
「じゃあ、ティアの体に入り込んだのはラヴォナートの魂だったわけですね」
あんな神殿にラヴォナートの魂が封印されていたなんて夢にも思わなかった。灯台もと暗しとはこのことだろう。
「そう決めつけられるものではないが、ティアの体に邪悪な存在が宿っているのは事実だ。お前は殺されなかっただけ運が良い」
確かに、一歩、間違えば僕の命もなかっただろう。
「でも、ティアを探さないと」
僕は焦燥に駆られながら言った。
「探してどうなる。今、ティアと会えば今度こそ殺されるぞ。お前も軽はずみな行動は取ってくれるな」
父さんの諫めるような声に僕は唇を噛んだ。
「だけど、村があんなことになったのは僕のせいなんです。その責任は取らなければなりません」
僕は毅然とした態度で言った。
「お前のような子供に責任などない。責任があるとすれば神殿の危険性を十分に認識していなかった我々、大人だ」
「でも」
僕は食い下がろうとした。
「お前はもう休め。神殿で気を失っているデイブとラッドの二人は屋敷の者に運ばせるから」
父さんがそう言うと、僕は悔しそうな顔をしながら書斎を出た。
☆
何のアクションも起こせずに三日が経った。
僕は朝になると、自室を出て二階の窓から屋敷の外を見る。そこにはテントを張った村人たちがいた。
村から立ち上っていた煙も完全に消えている。もちろん、炎も収まっていた。なのに、村人が村に戻らないのは、ティアの存在を恐れたがためだ。
とはいえ、屋敷の前にいれば安全というわけでもないのだが。
僕は一応、何があっても良いように剣を手にして屋敷の外に出る。すると、そこにはデイブとラッドの姿があった。
「デイブか。やっと目を覚ましたんだね」
デイブは昨日の夜まで意識を失っていたのだ。
「俺のせいだ。俺が金ほしさに封印なんて解かなきゃこんなことにはならなかった」
デイブは涙を流しながら言った。
そう、デイブの両親はティアに殺されてしまったのだ。その体はバラバラにされていたというのだから悲惨としか言いようがない。
「責任は僕にだってあります。危険に気付いていた僕が体を張ってでもデイブを止めていれば、こんな事態は避けられたんですから」
ラッドも悔しそうに下を向く。ラッドの両親は幸いにも逃げ延びることができた。
「父ちゃんや母ちゃんも死んじまった。これからどうすれば良いんだよ」
デイブの両親は太っていたが、気の優しい人たちだった。
僕もデイブの家に遊びに行く度に、手作りのチョコレート・ケーキを食べさせて貰ったし。
「二人ともティアがどこに行ったのかは知ってる?」
僕は切り込むように尋ねた。
「東の方角に歩いて行くのを見たって言う村人はいましたよ。ノース橋をティアが渡ったのは確かみたいですし」
ラッドの声は精彩を欠いていた。
「そうか」
僕は踵を返すと、その場から立ち去ろうとする。
「どこに行くんですか?」
ラッドの声が背中に投げかけられた。
「僕はティアを追いかけに行く。ティアは僕の妹みたいなものだし、このまま放っておくわけにはいかない」
僕は断固たる口調で言った。この三日間の間に僕も腹を決めていたのだ。
「正気ですか、グレッグ?ティアには古代神ラヴォナートが取り憑いているんですよ。のこのこ会いに行ったら確実に殺されてしまいます」
ラッドの言葉は正論だ。それは僕も分かっている。
「そんなのやってみなきゃ分からない。それにこのままティアを放置していたら、今度は他の人間が殺されるかもしれない」
僕は剣の柄を握る力を強めながら声を絞りだす。
「そうなる前に僕の手で…」
最悪、ティアを殺さなければならなくなることは僕も覚悟していた。
「そういうことなら、俺も付き合うぜ、グレッグ。父ちゃんと母ちゃんのカタキは必ずこの手で取ってやる」
デイブが奮起したように言った。
「僕も付いていきますよ。責任は二人だけのものではありませんし、僕の知識もきっと役に立てるはず」
ラッドは頼もしく言った。
「分かった。でも、危険な冒険になるよ」
下手すれば殺された村人たちの二の舞になる。
「承知の上です」
ラッドが頷くと、僕たちは三人揃って村を出ようとする。すると、村の入り口の前には一人の男がいた。
「止めておけ、三人とも」
そう言ったのはディエゴだった。
「ディエゴか、止めても無駄だぞ」
僕は剣呑な空気を発しているディエゴを前にして言った。
「どうしてもここを通りだければ、俺を倒して行くんですね、坊ちゃん」
ディエゴはいきなり鞘から剣を引き抜いた。そんなディエゴの目は僕と剣の鍛錬をしていた時のものではない。
敵を倒すことを覚悟した戦士の目だ。
僕も慌てることなく剣を構える。すると、ディエゴは目にも留まらぬ早さで斬りかかってきた。
僕はその剣を慌てずに受け止める。相変わらずディエゴの剣は早くて重い。その上、的確に急所を狙ってくる鋭さもある。
だが、今まで散々、手合わせをしてきた相手だし、対応できないほどものではない。
ディエゴはスーッと剣を引くと、今度は強烈な振り下ろしを僕にお見舞いした。その一撃は大木ですら真っ二つにできるだろう。
僕はその剣を稲妻のように弾き返すと、すかさず足を踏み込みディエゴに斬りかかった。ディエゴは軽々と僕の斬撃を受け止める。
それから僕たちは四度、剣を打ち合い鋼の音を響き渡らせた。まあ、手の内を知り尽くしているのはお互い様というわけだ。
それに対し、僕は怯むことなく流麗な動きで、斬撃をディエゴに浴びせ続ける。あらゆる角度からディエゴの体を切り刻む斬撃が舞い踊った。
だが、ディエゴはその斬撃を見切ったように全て捌ききると、雷光の如き一撃を僕に繰り出してきた。
僕はその一撃を何とか受け止めたが、筋肉が悲鳴を上げ手が痺れてしまう。そして、今度はディエゴが熾烈な斬撃を浴びせてくる。
僕は必死にその斬撃を捌くが、手の痺れは増すばかりだ。僕は手の感覚がなくなる前に勝負を決めようとする。
そして、反撃とばかりに空を貫くような突きを放った。
ディエゴはそれをひらりとかわしたが、僕の剣はいきなり軌道を変えて、横へと振り払われる。
だが、その変則的な攻撃に対してもディエゴが動じることはなかった。
ディエゴは僕の一撃を身を低くしてかわすと、自らの体をクルリと旋回させる。と、同時に烈風のような横なぎの一撃が僕に襲いかかった。
僕は無理やり剣を引き戻すと、側面から迫るディエゴの強烈な一撃を受け止める。だが、その勢いを殺しきれない。
僕は横に飛び退くと、斬撃の勢いを何とか削いで見せたが、たまらず片膝を付いてしまった。
そして、僕が剣を持ち上げた時にはディエゴの剣が首筋に突きつけられていた。
「くっ」
僕はまだまだディエゴには適わないことを思い知らされた。
一方、僕たちの戦いを見ていたデイブとラッドは目を丸くしている。恐るべき剣の技量を持った者同士の立ち合いだったことは二人にも分かったのだろう。
これを見せられてはデイブも僕に喧嘩で勝てるなどとは言わないはずだ。
「この俺に勝てないようでは、ラヴォナートに打ち勝てる道理はありません。大人しく屋敷に戻ってください、坊ちゃん」
ディエゴは剣を静かに鞘に収めるとそう言った。肌がピリピリするほどの闘気も消えてなくなる。
「それはできない。ここでティアを追うのを諦めたら、もっと大勢の人間が犠牲になるかもしれないし」
僕は立ち上がるとディエゴの瞳を見据えた。
「なら、俺も坊ちゃんに付き合います。それで良いですか?」
ディエゴは思っても見ないことを言った。
「えっ?」
この時の僕は本当にマヌケな顔をしていたに違いない。
「ただし、デイブとラッドは村に戻れ。坊ちゃんならともかく、お前たちの力ではただの足手まといにしかならない」
ディエゴの声は厳然としていた。
「そんなことない。俺だって喧嘩なら誰にも負けないぞ」
デイブは拳を構える。
「なら、掛かってこい」
ディエゴがそう言うと、デイブは大振りな動きでディエゴに殴りかかった。だが、ディエゴは余裕のある動きで、デイブの腹に正拳月をお見舞いする。
「ぐあっ」
デイブは体をくの字に折り曲げて、前のめりに倒れた。そして、そのままピクリともしなくなる。
それを見たラッドは慌ててデイブの肩を揺すった。
「なんてことをするんですか、ディエゴさん。デイブが目を回してしまったじゃないですか!」
ラッドは批難するように言った。
「ここで目を回していた方が幸せってことだ。とにかく、ティアを追いかけて良いのは俺と坊ちゃんだけだ、分かったな」
そう言うと、ディエゴは村の入り口から出て行く。その後ろ姿をラッドは恨めしそうに見た。
「行ってくるよ、ラッド。必ず、ティアを助け出して、村に戻って来て見せる」
僕は力強く言った。それを受け、ラッドもどこか吹っ切れたように顔で頷く。
「分かりました。では、村のことは僕に任せてください。僕もグレッグが無事に村に戻ってくることを祈っていますから」
ラッドは弱々しく笑いながら言った。
「ありがとう」
そう言うと僕はラッドに背を向けて、ディエゴの後を追いかける。すると、そこには一台の馬車が止めてあった。
「どうして馬車が?」
この馬車は屋敷にあったものだ。
「グラッド様は坊ちゃんがティアを追いかけに行くことを見越していたのです。だから、俺に坊ちゃんの護衛を任せました」
ディエゴは首の後ろを掻いた。
「だから馬車も貸してくれたのか。賢い父さんらしいやり方だな。僕の軽率な行動なんてお見通しだったってことか」
僕はこそばゆいものを感じた。
まあ、父さんも僕に対しては「お前ももう十五歳だし、村から出て広い世界を見た方が良いかもしれない」と日頃から言ってたからな。
「ええ、馬車があればティアにも追いつけることでしょう。ですが、ティアに会ったら、その時はどうするか、坊ちゃんも分かっていますね」
ディエゴの目が光る。
「うん」
僕は真剣な面持ちで頷くと、馬車に乗り込んだ。
第一章に続く。