合い言葉はクズ無くして名作無し
あるアパートの一室に冴えない物書きの男が住んでいた。男は原稿に向かうでもなく、なんだか気分が乗らないからと布団に横になって天井を眺めながら考え事をしていた。
優れた創作者は個性的だ。我が強く、自己中心的で、人の迷惑を顧みない、そんなクズエピソードを多く持つ。逆にいい人の作品というのは控えめで、平凡で、退屈なものだ。全てのクズが名作を創れるわけではないが、名作を創った者はすべからくクズだと思う。表に出ないだけだろう。
玄関の鍵が開いて女が部屋にやってきた。バイトを終えて帰ってきたのだ。その帰りに夕飯の弁当も買ってきた。
彼女とは結婚を前提に付き合っている、ということになっている。だがそれは嘘。結婚する気など無い。次の作品に出すキャラの参考にするために一緒に生活しているだけだ。用が済んだら婚約を解消する。全て利用する。他人など知ったことか。俺たちの合い言葉はクズ無くして名作無し。
それからしばらくして2人は半年の付き合いを終えて別れ、話題作の小説が世に出された。その小説のあらすじはこうだ。
女主人公が付き合っていた男に婚約破棄を言い渡されて追い出される。その男は女がいなくなってから世話になりっぱなしだったことに気づき、寄りを戻そうとするがもう遅い。なんやかんやあって男は身から出た錆で破滅する。
この小説はそのクズ男とまるで一緒に暮らしているかのような精緻な描写と、それでいて不快だが先が気になって読めてしまう高い文章力、そして正義は勝つという期待感と爽快感で構成された刺激的な作品だった。
男はそれを読んでその描写に覚えがあった。あの合い言葉も出てくる。娯楽性を高めるべく手が加えられていたが、間違いなくあの生活から着想を得たものだった。
そして敗北感に打ちひしがれた。同じ体験でも自分の感受性および表現力とは圧倒的な差があることを悟ったのだ。
男が街を歩いていると橋の上で偶然にも別れた彼女と出会い話をした。そこで男は衝撃的な事実を知った。
実は彼女も小説家であり、しかも3年前から既婚者だったというのだ。リアリティを求め、旦那を傷つけてでも他の男と共同生活をしたのだ。良識を疑われると不愉快になって橋の向こう側へ去っていった。
その物書きの男は利用するつもりが利用された。
所詮、この男のクズさなどありふれたもので、没個性的だったのだ。
個性的を目指して想定がマイナス方面のクズだけなあたり発想が貧相な主人公ですね。負けても仕方なし。




