こたつ
県立ブルキナファソ図書館は、建設されてから今年で六十年を迎える、地元で愛されている図書館だ。地元住民の多くが一度は利用したことがあり、特に学生の調べ物や勉強の場として人気を博している。
私立ンジャメナ学園の生徒もそれは例外ではなく、寧ろ、学園から徒歩七分という立地も相俟って、多くの生徒が利用していた。
弘前依翼と丸岡未彩も、そういう生徒の一人だった。
今年、三年生となった二人は受験を控え、受験勉強を円滑に進めるための静かな場を求めていた。その時に最適な場所として目をつけたのが、この県立ブルキナファソ図書館だった。
図書館という絶対的に静けさが保たれている空間は二人にとって好都合で、放課後になると図書館を訪れ、二人で黙々と勉強を進めるということがここ数週間の日課となっていた。
そして、それは今日も同じだった。放課後を迎えた二人は揃って図書館に赴き、そこで一言も交わすことなく、黙々とそれぞれ持参した問題集を解き始めるのだった。
静かな空間に本を捲る音と、シャーペンが紙の上を走る音が響く。どこかで誰かが小さく会話する声も、今はただのBGM程度にしか聞こえなかった。
二人はほとんど顔を上げることすらなく、黙々と問題集を進めていた。そのため、ここまでかと区切り良く、未彩が顔を上げた時には、既に図書館の閉館時間が差し迫っていた。外もそろそろ暗くなる頃合いで、未彩は流石に帰るべきだと思って、軽く依翼の前に手を伸ばす。
「ヨッちゃん。もうそろそろ閉館だから帰ろう」
顔を上げた依翼に未彩がそう声をかけると、依翼は手元のスマホを確認し、時間に納得したように頷いていた。
「もうこんな時間なんだ。早いね」
低く落ちついた声で依翼が言う。それは未彩も思っていたことで、テーブルの上に広げた問題集を鞄の中に仕舞いながら、深く溜め息を吐いていた。
「本当だよ。できれば、もっとここで勉強したいな。最近、家だとちょっと厳しいし」
未彩が不満を漏らすように呟くと、依翼が不思議そうな顔で見上げてきた。
「何かあったの?」
「最近、家の近くで工事が始まって、夜はいいけど、休みの日とか、集中できなくなったんだよ」
深く溜め息を吐く未彩に依翼は同情するように頷いていた。
「確かにそれはきついね」
「でしょ?」
「ヘッドフォンで音楽を聞くとか、どう? ノイズキャンセリング付きなら、集中できるんじゃない?」
「イヤフォンは持ってたんだけどね。ちょっと前に壊れちゃって。だから、今は仕方なく、工事の音に負けないくらいの音量で、スピーカーから流してるよ、般若心経」
「それ、安らかに眠ってた人も墓から這い出て抗議してこない?」
依翼は未彩の行動に戸惑った表情を見せていたが、未彩の悩み自体は共感するようだった。「まあ」と気を取り直すように口にしてから、「環境は大事だよね」と未彩に同意するように口にする。
「私もできれば、理想の環境で勉強したいっていう気持ちはあるし、ミサの悩みは良く分かるよ」
「ヨッちゃんの理想の環境って?」
「ん? そうだな……」
そう言いながら、顎に手を当て、考えるように少し首を傾けてから、依翼は「やっぱり」と言葉を続ける。
「コタツ、だね」
「…………ん? えっと、何て?」
「コタツだよね」
「それはえーと、コタツに入って勉強したいってこと?」
「ううん。コタツが家だといいよね」
「ちょっと何言ってるか分からない」
依翼の口から飛び出した発言に、今度は未彩の方が戸惑っていた。コタツで勉強したいという話なら、まだ分かるのだが、コタツを家にしたいとは意味がまず分からない。
「コタツのある家に住みたいとかじゃなく?」
「コタツがある家っていうか、コタツみたいな家だね。やっぱり、コタツって理想の住居だと思うんだよ」
「えっ、ヨッちゃんはコタツみたいな家を見たことがあるの?」
「ないよ」
「ないんだよね」
百歩譲って、そういう家がどこかにあって、それを目撃したことで羨ましいと思ったのなら、まだ分からなくもないと思ったが、そういう淡い期待は一瞬で打ち砕かれ、未彩の困惑は鍋の底にこびりついて剥がれそうになかった。
「ちょっと家のディティールを教えて。コタツみたいな家って、どんな感じ?」
「やっぱり、あのコタツの魅力って、あの中に入っている時の安心感だと思うから、まずは全部が布で囲われているよね」
「あー、窓とかはない感じ?」
「まあ、一旦」
「ない方向だね。分かった。それで?」
「後はやっぱり、あの温もりだよね。あれがないとコタツとは言えないから、天井につけて、部屋全体が温もるようにしたいな」
「ちょっと危なくなってきたかな?」
依翼の話を元に、未彩は頭の中で家の様子を想像してみるが、それはただコタツを大きくしただけのものであり、それを家とするには様々な問題があるように思えた。
「換気不十分で、酸欠にならない?」
「酸素ボンベを置いたら、何とか?」
「それ、熱で爆発とかしない? 大丈夫?」
「大丈夫……かな?」
依翼は不安そうに首を傾げ、未彩はかなり怪しくなってきたと感じていた。いや、そもそも怪しいことに変わりはないのだが、話の怪しさというよりも、依翼の思考回路の方に不安を覚える怪しさが強まっていた。
「ていうか、その家、薄らサウナに入り続けているみたいにならない? 熱中症とか、脱水症状で死なない?」
「それは……まあ、クーラーをつければいけるんじゃない?」
「本末転倒だね」
暖めたいのか、冷やしたいのか、はっきりとしない行動に、流石の依翼も異様さを覚えたのか、やや怪訝げに眉を顰めて、首を傾げていた。
「もしかして、コタツって家に向いてない?」
「もしかしなくても向いてないね」
「そ、んな……」
未彩からの全うな指摘に依翼は愕然としている。自分の考えていた理想が理想でしかないと分かり、絶望しているような表情だ。
「コタツが無理なら、私はどこにあの安心感を求めればいい……?」
頭を抱え、俯く依翼は何かを必死に考えているようだった。そこまでのことなのかと未彩は思うが、もしかしたら、コタツを家にするということは依翼にとって、かなりの夢だったのかもしれない。もしそうだとしたら、下手に現実を教えたことは間違いだったかと、未彩は今更ながらに後悔を覚える。
「いや、待てよ……」
そこで不意に依翼が顔を上げる。
「安心感だったら、他にもあった。しかも、元から家っぽいから、住みやすい」
「えっ? そうなの?」
コタツから始まったこともあって、未彩は不安に思いながら聞くと、依翼は力強く頷き、自信満々に口を開いた。
「かまくらだよ!」
「ヨッちゃんは北国在住なの?」
コタツといい、かまくらといい、発想が全て寒い地域に偏っていると、未彩が思っていると、依翼は少し照れ臭そうに頬を染めた。
「まあ、ちょっと暑がりなところがあるから」
「コタツの中に住もうとしていた人が?」
寧ろ、寒がりなのではないかと未彩が思い、そう言おうとしたところで、二人から少し離れたところから咳払いが聞こえてきた。未彩と依翼は会話をやめ、二人で揃って、咳払いの聞こえた方に目を向ける。
そこには図書館の司書が座っていた。横目で二人を鋭く睨みながら、何かを伝えるように再び咳をしている。
その様子を見た未彩と依翼は共に察し、ゆっくりと顔を見合わせると、どちらからともなく、口を開いた。
「帰ろうか」
二人は止めてしまっていた手を再び動かし始めて、帰り支度を再開するのだった。




