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僕たちはまだ愛の正体を知らない

 ある日の放課後。


「うわあ! 何も分かんねえ!」


 今日は、というか、今日も秘密基地の日だ。ヒデキは問題集の問題が解けなくて絶望し、地面に寝っ転がっている。あちこちから聞こえるセミの鳴き声と、このモワモワとした暑さが、僕たちの思考能力を奪っているんだろう。


「あはは、まだ大丈夫だよ。これから夏休みもあるし」


 僕はヒデキの真似をして地面に寝っ転がる。真っ青な空の中で、入道雲がゆっくりと形を変えている。僕たちは進路も決めて、後はそれに向かって勉強をするのみだ。と言っても、僕たちがやることはあまり変わらない。


「はあ……なあ、ショウタ」


 ふいに、ヒデキがぼんやりと空を眺めながら言う。


「愛って何なのかな」

「うん? えっ、それは……」


 その声は、いつもの元気な声とは違い、どこか疲れているような、そんな言い方だった。


「死んじゃった時のことを想像して、悲しかったら、愛ってことじゃないかな」


 僕はおばあちゃんのことを思い出しながら答えた。


「じゃあショウタはさ、誰か死んで悲しかったことある?」

「おばあちゃんが死んじゃったのは悲しかったよ。でも、おじいちゃんは僕が生まれてすぐくらいに死んじゃったから」

「覚えてないか」


 遠くから、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。おばあちゃんのことを思い出していると、その鳴き声まで悲しそうに聞こえてくるから不思議だ。


「でも、おばあちゃんから、おじいちゃんの最期を聞いたことはあるよ」


 ある日おじいちゃんは夕飯を食べ終わると、珍しく、美味しかったよ、と言ったらしい。それからテレビを見ながら何か喋っていて、おばあちゃんが食器を洗い終わって見に言ったら、もう息が止まっていた。――と、僕は説明した。


「それで? おばあちゃんは悲しかったって?」

「うん。でもやりたいことをやり切ってたから、泣くほどじゃなかったって」

「やりたいことって?」

「いろいろあったみたいだけど……最後にやりたかったのは、二人で一緒に孫の顔を見ることだったって」


 僕は曖昧な記憶を辿りながら、そう答えた。


「そっか。じゃあショウタが生まれて、嬉しかったんだな」

「なんで急にそんなこと思ったの?」


 ヒデキが体を起こして、僕を見つめる。


「今日の授業でさ、例え男同士でも女同士でも、愛は愛だって言ってたじゃん」


 ヒデキが言っているのは、今日の性教育の授業で聞いたことだ。人間の恋愛対象は脳の視床下部という部分の形で決まっていて、その形は親から受けるホルモンなどの影響で決まるらしい。実はその脳の形と体の形は、()()()()()()人がほとんどで、そのほとんどの人は自分の外見に騙されて異性を愛しているだけ。


「うん。性同一性障害のこと?」

「そう、障害ってついてるけど病気じゃないって話の時に、ビデオ見たじゃん」


 でも現実にはそう簡単に騙されない人も居る。そういう人が、性同一性障害と診断される。ただ、『障害』とついているけど厳密には障害でも病気でもないと考えられている。という内容だ。


「うん、諸説あるとは言ってたけど……」

「あのビデオに出てたようなのが、愛し合ってるってことなんだよな?」

「そうだね」


 その授業で見たビデオでは、『様々な愛の形』とか、『君は誰を好きになるのかな?』というようなことをやっていたと思う。思う、というのは、僕は正直、なんだか恥ずかしくてちゃんと見ることができなかったからだ。


「でもさ、俺のオヤジとババアはさ、ビデオの人たちみたいな、あんな幸せそうな顔したことないんだよ」

「う、うん……」


 僕は言葉に詰まった。ヒデキがこういう話をするのが嫌なわけではない。けど、どう答えればいいかが分からなくて、それでヒデキを傷つけてしまうんじゃないかと思うと、不安な気持ちになるのだ。


「男と女が愛し合った場合は子供ができる、って言ってたけどさ。オヤジとババアは本当に、愛し合ってたのかな……。俺、愛って何なのか分かんねえよ」

「普通に、好きっていうことじゃないのかな。ヒデキの親は、その、すぐ好きじゃなくなった、とか……?」


 僕はヒデキの気持ちを想像しながら、言葉を選んだ。


「じゃあ、俺がショウタに持ってる気持ちは愛なのか?」

「それは友情だと思うよ……。だって、手繋ぎたいとか思わないでしょ?」

「うっ、確かに……」


 気付けばもう帰らないといけない時間だ。赤と紫色に染まった入道雲が、オーロラのように空を漂っている。その幻想的な景色と、丘の上を吹く風が、昼間の日差しで熱くなった体を冷やしてくれている。


     *   *   *


 数日後。今日は休みの日だ。僕が机に向かって勉強をしていると、窓の外から声が聞こえる。


「ショウタ! ショウタ!」


 ヒデキだ。僕は慌てて窓を開けた。ヒデキが下から僕の方に向かって手を振っている。


「ヒデキ! どうしたの!」

「秘密基地! 来てくれ!」


 ヒデキは緊迫したような表情で言うと、秘密基地に走りだした。


「お母さん、ちょっと出かけてくる」

「はいはい。昼ご飯までには帰って来るのよ」

「うん!」


 秘密基地は家から見える距離ではあるけど、走って行くと結構きつい。それでもヒデキは走っていったのだ。よっぽどのことだろう。


≪オヤジとババアは、俺が生まれて嬉しくなかったのかな≫


 僕の『脳内のヒデキ』が、そう言ってきた。ヒデキは僕が思っている以上に思い詰めていたのかもしれない……。そう思って、僕もなるべく急いで秘密基地へ向かうと、彼は案の定、息を切らしながら寝っ転がっている。


「はぁ、はぁ」

「はぁ」


 少し呼吸を落ち着かせて、僕は恐る恐る聞く。


「ヒデキ、なにがあったの?」

「ショウタ! 俺……塾に行けることになった!」

「え!」


 けど、そんな心配は杞憂だった。僕は思わず目を見開く。


「ババアがさ、なんか再婚するらしいんだよね。とりあえず夏休み中は塾に通っていいって! それで他にもいろいろ買ってくれるようになったんだよ!」


 なんだか頭がフワフワとして、一瞬、僕が僕じゃなくなったような気持ちになった。


「よかったじゃん! もう絶対全部うまくいくよ!」

「ああ、これで高校も一緒に行けるな!」


 ヒデキが本当に嬉しそうにしているのを見て、僕も嬉しくて、ちょっと泣きそうになった。あの時、僕は『友情』って言い方をしたけど、好きとは違うだけで、これもまた愛なのかな。なんだかそんな気がする。

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