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戦後のタカの実家、姉の真相、結果としての未来

 タカの家の先祖代々の墓とミエの家の墓は、やっぱり近所にある。


 二人は菩提寺(ぼだいじ)の住職に挨拶して、ご本尊にご挨拶して、久しぶりに墓参りにいった。

 墓は実家にいる親族が管理している。


 でも付き合いは無い。


 けっして裕福ではない両親がいるあいだは、タカもわずかながら仕送りをしていたが、その両親が亡くなったあとも金の無心が途絶えない親族に呆れ果て、縁を切った。


 両親が眠る墓には、タカが新しい工房を建てたこと、タカの絵が立派な賞をもらったこと、子ども達も立派に成人したこと、墓参りをするのはこれが最後でもう来ないだろうことを報告した。


「ほな帰ろか」


 同じ京都府内でも、京都市内からバスと電車を乗り継いで、一日がかりの大移動。ちょっとした小旅行である。


 帰りは嵐山へより、温泉付きのお宿で一泊する予定だ。

 温泉に入って、美味しいご飯を食べて、ミエがふと、顔を上げた。


「なあ、ヒロちゃん達は赤線へ売られたのはわかったけど、タカのおねえちゃんは、けっきょくどこへいかはったん? とうとう、わからへんかったの?」

「あれ? ミエちゃんは知らんかったの?」

「知らんがな。いまやから言うけど、あの当時、大人は誰もその話をせえへんかったんや。あんなに噂好きな人らが何も言わへんなんて、変やなあとは思とったけど。親に遊郭(ゆうかく)へ売り飛ばされたんやったら、子どものわてが訊くのも、あかんと思たし……」


 ミエが唯一、小耳に挟んだ〈真相〉とやらは、『金に困ったタカの両親は、小金惜しさに仲介人を通さず女衒(ぜげん)を呼び、タカの姉をこっそり売り飛ばしたが、その金もすぐに使い果たしてしまい、家の恥なので沈黙している』という噂だった。


「うち、話さへんかったか?」


 そう言われてみれば、姉のことはタカの両親も禁忌(きんき)のように口をつぐんでいて、タカ自身、幼い頃は姉がいたという思い出すら曖昧(あいまい)になっていた。

 タカが真相を聞いたのは、姉がいなくなってから何年も後、タカが結婚して子を産み、里帰りしたときだった。


 どうやら姉は本当にひっそりと姿を消したので、両親も事情が皆目わからず、周囲に話すこともできなかったらしい。


 さらにその真相が判明したおりには、ますます理由を漏らすわけにはいかない気持ちになったのだろう。


「せや。わて、聞いてへんえ。だからこのおまんじゅうはわてが食べるわ」


 旅館の部屋に置いてお着きお菓子のまんじゅう三個目をパクパク食べてお茶を飲んでから、ミエは怒ったように唇をとがらせた。


「ごめんな、ミエちゃん! 悪かったわ、堪忍(かんにん)してえな!」


 タカは笑いながら謝った。


「じつは、姉ちゃんな、好きな人と駆け落ちしたはってん!」

「ええ!?」


 ミエは四個目のまんじゅうを食べるのを忘れて、口をパカッと開けた。




 両親が姉をどこかへ働きに出そうと考えていたのは、本当だった。

 経済的に裕福ではないにせよ、それまでは地道に暮らせていたのだが、その年、初めて恐ろしく困窮(こんきゅう)したのである。


 はじめに両親が考えたのは、姉を女中奉公に出すことだった。


 だが、その年にかぎり、女中奉公の口は、どれだけ探しても見つからなかった。

 次に両親が考えたのは、器量よしと評判だった姉を、伝手をたどって京都のお茶屋へやり、舞妓(まいこ)にすることだった。


 だが、当時の姉はすでに十七歳。昔の舞妓は、もっと若い頃から修行するものだったので、姉の歳だとなれなくもないが、やはり遅いと思われ、姉を引き取ってくれるお茶屋も見つからなかった。


 そしてついに、大阪の花街の話が出た直後の夜に、姉は姿を消した。


 なんの前触れも無く、いきなりの失踪だった。両親は神隠しだと恐れおののいたそうだから、まさに身一つの、覚悟をきめての家出である。


「おねえさんは、行く当てがあらはったん?」

「村長さんの次男さん、覚えてる?」

「だれやったっけ」

「時々村でも見かけた、かっこええおにいちゃんがいたらしいけど」


 じつはタカも覚えていない。

 あの村での記憶は、姉といっしょに村の出入り口へよく散歩に行き、一人で地面に絵を描いていたことだけだ。


「そんな人、いたかいなあ。子どもの頃のことなんて、もう忘れたわ。ろくなことなかったやん」


 ミエの記憶もいいかげんだ。


「そのおにいさんな、けっこう早く家を出はったそうやから、うちらはあんまり見てへんねや。うちも会ってたんやけど、ねえちゃんのことしか覚えてへんね」


 幼いタカを、姉は村の出入り口の道へ、よく散歩につれて行った。

 タカの家から村の出入り口の道までは、ちょっと遠いのだ。

 幼い子が一人で行くのはあぶないと、止められる程度には。


 でも、姉はタカをつれて、よくそこまで散歩した。

 その場所で、恋しい男と会うために。


「まあ、逢瀬(おうせ)いうたかて、昔のことやし、うちもいたしな。ねえちゃんとにいちゃんはお互いの顔見て、ちょこっとお喋りするくらいやったけど。うちはお菓子をもろたりして、一人で機嫌良う、絵を描いてたらしいわ」


 タカは一人で地面に絵を描きにいっていたと思ったけど、まだ幼いタカが一人で村の出入り口まで歩き回っているはずがなかった。ずっと姉がいっしょだったのだ。


「二人は仲良う道端の石に腰かけて、地面に絵を描いて遊んでいるうちのことを見守りながら、将来のことを語り合ってたそうや」


 二人が知り合ったのは幼い頃。

 村同士の交流やらで、縁ができたという。


 家を継がない次男坊は、若い内から海軍に入ることを決めており、計画通りに海軍に入り、姉を迎えに来る準備を整えていた。


 彼は、姉の家の事情をよく知っていた。タカのことも気に掛けてくれていた。


 海軍で頑張(がんば)って、なんとか出世したとはいえ、お金持ちになったわけではなく、タカの両親が望むような額の結納金は渡せない。結婚を反対されることは予想済みだった。


 確かに、あの頃の両親の様子では、姉はふつうの縁談よりも、花街へ渡される可能性の方が高かったかも知れない。

 なにせ、姉がいなくなったあと、母はタカを見て「この子はどうや?」といったくらいだから。


 その意味は、いまならわかる。


 当時のタカの年齢なら、舞妓の修行に出すのに、ぴったりだったからだ。


「それで駆け落ちかあ……。タカちゃんのねえちゃん、根性あるお人やったんやなあ」

「おにいさんが、肝が据わったお人やったんやわ。念入りにねえちゃんと付き合っていることを隠して、舞鶴の方でねえちゃんと暮らす家やら用意してたそうやから」


 そして、いよいよ姉が売られる危険が高まったとき、姉は義兄と打ち合わせたとおり、身一つでの神隠しとも思われる失踪劇を、見事にやってのけたのである。


 タカの母が亡くなる前に、タカに告白していったことがある。


「あの子がいなくなってしばらくしたら、お金が送られてきたんや。旦那さんが海軍で働いている伝手で、自分も近所のまともな食堂で働くようになったってな。それで、タカが大人になるまで自分がわずかだけど仕送りをつづけるから、どんなことがあってもタカは売らないで欲しいて……」


 両親は姉のことを近所の誰にも打ち明けず、タカにも話さなかった。

 タカは姉が仕送りしていたことも知らなかった。


 両親は姉の連絡先を知っていたけれど、一度も連絡せず、お金だけを受け取り続けた。


 仕送りはタカが女中奉公に出たあともしばらくつづき、タカが職人の弟子になった頃に、とうとつに途絶えたという。


 タカの弟は、そのお金で上級の学校まで行き、東京で就職して帰ってこなくなった。

 いまではタカの実家は近所の親戚が管理していて、名義も親戚のものだ。


 タカには母の形見として、姉の連絡先が描かれた小さな手帳が渡された。


「それで、タカちゃんはおねえさんに()うたんか?」

「いっぺん電話で喋って、そういうことをいろいろ教えてもろたんやけど、まだ会うてないんや。遅うなったけど、これから会おうと思てる」

「よかったな」

「ミエちゃんも一緒に行く? 舞鶴へ」

「行こかな。海が近いから、なんか美味しいもん食べよか」

「ええな、それ! 京都戻ったら丸善の本屋よって、舞鶴の観光案内買わなあかんな!」


 タカは大人になった。小さな村で一生を過ごすことはなく、外国にまでいけるのだ。

 これほど広い世界を、誰が(うと)むだろう。




 絵を描くたびに、その絵が完成するたびに、タカはしみじみ思うことがある。


 もしもあのとき、一人で地面に絵を描いていなかったら。


 あのお山に降った雨がいくつかの川の源となって、分かれて京都へくるように。

 あの時こそ、タカの人生の流れがまったく別の運命へと導かれる分岐点、まさに分水嶺のときだったのだろうと。

                                   〈了〉


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