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秋の山、タカが描いた絵、女中奉公


 京都の北西に位置する西山連峰。

 春は鮮やかな新緑に染まり、夏は青々と、秋になれば(くれない)に燃えたつ山々の峰。


 あんなにきれいなのに、記憶の中にしかとどめておけない。


 もしも木の棒で地面にではなく、白い紙に鉛筆で描けたら、いろんな色の絵の具で色をきれいな色を付けられたら、タカはどれほど幸せな気分になれるだろう……。


「絵が上手やねぇ……。あんた、なまえは?」

「タカ、です」


 タカの絵を褒めてくれた人に名前を聞かれた。うれしい。ただ、うれしかったから、答えた。誰やろ? きれいな着物。きっと西陣織や。刺繍した帯に花の形の帯留めに、汚れていない草履。きっと大店のおかみさんやな。


「なあ、ちょっとこれに、これで描いてみ?」


 和紙を綴じた帳面(ちょうめん)と、鉛筆が渡された。


 鉛筆なんて、ここしばらく触っていなかった。しかもこんなに長い鉛筆だ。タカの持っている鉛筆はもっとちびていて、タカの手だとなんとか持てるくらい短いのだ。


 タカは帳面の紙へ絵を描いた。

 地面に描いたのと同じ風景だ。

 木の棒で地面に描くのとは違うけど、なかなか上手く描けた。


 褒めてほしくて女の人に絵を見せて、にかっと笑ったら、女の人もにっこりした。


「ほんま、上手やねえ。おじょうちゃんのお名前は?」

「タカ!」

「おタカちゃんか。絵を描くのが好きなんやな」

「うん!」


 あ、しまった。大人相手にはきちんと「はい!」と返事しないと行けないんだった。

 もじもじしていたら、「もう一枚、なんか描いてみ?」と言われたので、急いで道端に生えている彼岸花(ひがんばな)を写生した。それもすごく褒めてもらえた。


「これ、もろてもええか?」

「はい!」


 せっかく鉛筆で紙に書けた絵だったけど、こんなに褒めてもらえたのだ。贈り物にしない道理があるだろうか。

 そうしたら女の人は、帳面を破った。そして絵が描いてある二枚は自分が持ち、まだまっさらなほうを、タカへ持たせた。タカが首を傾げながら鉛筆を返そうとしたら、女の人は両手で、タカの鉛筆を握っている手を包み込むように握った。


「これもあげるさかい。絵のお礼や」

「でも……」

「ええから、ええから。破った帳面やけど、好きに使(つこ)たらええし」


 タカが目をパチクリさせて鉛筆と帳面を見ていたら、男の人の声がした。


「おかみさん」

「わかってる、いまいくさかい!」


 おかみさんと呼ばれた女の人は、タカの頭をかるくなぜた。


「悪いようにはせんからな」


 おかみさんは男の人と連れだって、村の方へ歩いて行った。






「おかみさん、それ、どうしゃはるんですか?」

「どう思う?」


「上手やと思いますけど」

「それだけか。着物の商売してる人間が、絵の目利(めき)きもでけんでどうするんや?」


「いえ、わても才能あるとは思いますわ。これだけ描けるのは下絵描きの作家でも少ないでっしゃろ。でもまだ子どもやないですか」

「どっかの工房に弟子入りさせて育てるんやったら、子どもでもかまへんがな」


「なにいうてますねん、今日は女中にする子を探しに()はったんでしょ。仲介人を通さず、ご自分で見たいとかいうて」

「べつにええやないの。今年の絹の出来具合がいまいちや聞いて、村の様子を見たかったんや。なんや、えらい不作で身売りが続いてるて話やんか」


「せやけど、おかみさんみずから見に来たところで、不作も身売りも、どうにもならんと思いますけど」

「そら、全部は助けられへんわ。でもな――おかげでええもん、見つけられたわ」


 もういちど、帳面の紙に鉛筆で描かれた西山連邦を見た。

 まるでここから見える西山連邦のつらなりをそっくり紙の上へ写し取ったようだ。


「ほんまに見事や」


 鉛筆の、細い線描きだけの白黒画。それでみごとに山の風景が描かれている。

 これを『画才』と言わずして、なんと言おうか。この子には絵を描く才があるのだ。


 プロの友禅作家は、筆一本で、曲がりくねった曲線から真円、ブレの無い直線までを自由自在に描き出すが、それに匹敵する技術を全くの独学で、いや、この子は絵の基礎を学ぶ以前にこれだけサラサラ描けるなんて、めったにいるものではない。


 定規も無しにまっすぐな線を引き、コンパスを使わずに歪みのないまん丸な円を一息に描ける才能と器用さ。探したって、そんじょそこらで見つかるものやない。


 なのにこの子には、手習いするための紙の一枚もあらへん。


 なんともったいない。


 この子は、運良くここで大きくなれたとしても、その過程で絵を描けなくなるだろう。生活に追われ、絵から離れ。世間に大勢いる「絵を描くのが好きだった人」になるのだ。


――いや、職人として一人前になれば、女子(おなご)でも一生自分で食べていくことが、できる――――。


「おかみさん……」

「なんや? なんか文句でもあるんか?」


「どっかの工房に弟子として押しつけるなら無理な話でっせ。先に話もしてないですやろ」

「うちで女中に仕込んでから、弟子入り先を探してもええやろ。心当たりはあるしな」


「家の女中を勝手に増やす気ですかいな!?」

「そのくらいかまへんわ。わての店はな、女中が一人増えたくらいで傾くような、小っさい身代やあらへんで!」


 彼岸花の絵を目の上に掲げた。

 陽に透けた紙の彼岸花は、黄金色の花弁に見えた。


「友禅の(がら)かて新しい才能を探しとるんや。時代も新しいなる。この子かて、もしかしたら新しい才能かも知れへんで」


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