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大人になったタカが理解したこと、花街、花柳、西陣の町

 京都の北西にある北山連峰。

 東には鷹ヶ峰三山があり、船山、神山があり。雲ヶ畑は京都を流れる鴨川の源流として有名だ。


 そのさらに、さらに西北にある西山連峰。

 西陣のずっと西北の山の奥。


 山の上に降った雨は山肌を流れて染みこみ、地下水となる。


 山々は水を分け、水は幾筋もの流れに分かれ、低地へ流れる川となる。

 川の源流は、地図を見ても山の中のどこかとしかわからない。そこにも昔からの人の営みは連綿とあるのだ。


「でもね、嵐山の渡月橋から下流は桂川なんやけど、渡月橋から上流は大堰川(おおいがわ)やし、この大堰川も、亀岡から保津峡を流れる間は保津川と呼ばれるんやで」

「なんや、ややこしいなあ。うち、桂川でええわ」

「そやね。わても桂川でええわ」

「なんや、もうつかれたん?」

「ううん、ちょっと山に見惚れてしもて」


 山はいつもそこにある。


 しばし足を止め、二人でしみじみ、懐かしい山を、長い歳月変わらぬ風景を眺めた。

「ほんまに子どものころ見たんと、ぜんぜん変わらへんわ……」




 四十年前のこと。

 タカは九歳だった。


 小学校は行ったり行けなかったり。

 家の仕事が忙しいとそうなるのだ。この辺りでは、子どもも労働力だから。


 畑仕事に、お(かいこ)さんの世話に、幼い弟妹の子守、それからもちろん掃除洗濯、食事の仕度。

 すべてタカにかかっていた。


 なぜなら今はタカが、この家の長女になったから。子どもの順番が繰り上がったのだ。


 つまるところ、姉がいなくなった。

 姉がいたときは近所の子と遊べた。いなくなってからは、タカが友だちと遊べる時間が極端に少なくなった。


――ねえちゃんはどこいったんだろう?


 いくら考えてもわからなかった。


 しかたないとあきらめた。


 というのは、遊ぶ時間を作れても、肝心の友だちが、遊べないのだ。

 お互いに遊べない。みんな忙しすぎるのだ。


 タカのいちばんの仲良しは、幼馴染みのミエだった。末っ子の三女で姉二人がいるミエは、ほかの子よりも遊ぶ時間があった、うらやましい子だった。

 最近はそのミエすら、忙しく過ごしている。


 タカが弟をおぶって家の周りを散歩してたら、もう一人の幼馴染みのサトがやってきた。


 サトはミエと同い年だ。ここらでいちばん勉強ができるしっかりものと評判だが、今日はいまにも泣き出しそうな顔をしていた。

 タカを見ると駆け寄ってきた。


「あのな、あっちの角の家のヒロちゃん、明日、連れて行かれるやて!」


 タカより五つ年上のヒロちゃんは、この界隈(かいわい)でも評判の器量よし。「将来が楽しみやな」と大人がよくうわさしていた。三年ほど前まではタカもよく遊んでもらった。


「行くて、どこに?」

「大阪や!」


 大阪かあ。京都よりも都会だと、よく大人が話している所だ。

 でも、もっとすごい都会は、天皇陛下のいらっしゃる東京やそうやけど。


 大阪は京都よりうんとにぎやかで、京都よりすごく人が多くて、とても珍しいものが、信じられないほどたくさんあるらしい。

 とても美味しい物もたくさんある。と、お父ちゃんが、晩酌をしながらお母ちゃんと喋っていた。


「ええなあ。うちもいっぺん大阪へ行ってみたい。それでデパートていうすごい大きなお店で、いろんな物を買い物してみたいわ」

「アンタはバカか! ええことあるわけないやろッ!」


 サトが怒鳴った。

 タカはびっくりして目をまん丸くした。

 サトの目は充血していて、見る見る涙があふれ出た。


「あのな、年に一度ここへ来るあの男の人に大阪に連れて行かれたら、二度と帰って来れへんねで。女中奉公とちゃうで。ヒロちゃんは家に借金があるから、お金を返す代わりに、ヒロちゃんが大阪の赤線に売られたんや!」

「あかせん? なにそれ」


 九歳だったタカは、ほとんど家から離れたことがなかったし、まだ赤線の意味さえ知らない子どもだった。


「ちゃうわッ、花街(はなまち)のことや!」


 それが花街とも呼ばれる、遊郭(ゆうかく)やお茶屋、いわゆる風俗営業(ふうぞくえいぎよう)などの店が集まった特殊な場所を表す言葉だと知ったのは、タカがすっかり大人になってからだ。


「お花を売ってるの?」


 タカは、花の街とは、植物のお花を売る花屋さんかと思ったのだ。


「アホの子なんか知らん!」


 サトは泣きながら走っていった。

 お母ちゃん達は、サトはとても賢い子だと話していたし、サトはときどき大人みたいな話し方をするから、大人の話をいろいろ聞き覚えていたのだろう。


 人身売買。お金と引き換えに、女の子を遊郭へ売ること。


 姉と一緒にいたとき見た、男に連れられていく少女達は、親に売られたのだ。あの男は女衒という、女を商品として売り買いする商人だった。

 いまならわかる。あのときのヒロは、大阪の花街へ連れて行かれたのだ。


 売られた女の子達は、遊郭から親に渡されたお金を返すために――その金額は、女の子達の借金になる――決められた年月、その店で働かねばならない。


 借金を完済するか、年季が明ければ自由にもなれる。が、タカが人伝手に聞いた話では、そういったところで働いた女達は、たとえ年季が明けても、生まれ育った土地には戻らないことが多いそうだ。


 ヒロもけっきょく戻ってこなかった。その消息はようとして知れない。


 タカの生まれ育った村では、ヒロがたどったような運命は、珍しくもない話だった。いや、日本の各地で、貧しい家に生まれた女の子には、あり得る運命だったのだ。

 それよりマシな運命とは、そうなる前に、親が必死でいい家との縁談を探してきて、早々に嫁へ出してもらえることだ。


 もしくはこの村では、京都の西陣の辺りにある大店から、女中奉公の声をかけてもらえること。

 なぜ西陣かといえば、ここらの家はほとんどが養蚕(ようさん)をしている。絹織物とは切り離せない産業ゆえに、西陣とも深い関わりがあった。


 京都の西陣といえば、西陣織の町。


 西陣織は絹織物の最高級品だ。最高の着物が完成するまでには、多くの工程を経る。


 そんな高級な西陣織を扱う呉服屋は、京都でも指折りの大店であった。

 しかしながら、どれほどの大店でも、そこで働く奉公人は、そうそう入れ替わりがあるわけではない。

 どちらかといえば一生奉公だ。働ける人は限られている。


 一度奉公に上がったからには、なんらかの事情で勤め先を変わるか老齢で引退するまで、ずっとその店で働き続けるものだ。


 女中奉公もそうだ。


 新しく女中になる女の子が引き取られるのは、ふつうは二、三年おき。子どもの奉公人は奉公に上がって二年くらいしたら、病気にかかって死んだりする子もいる。その穴埋めのため、仲介人が新しい子を探しに来るのだ。


 それに、何らかの事情で奉公先からいなくなる子もいる。ほかにも、事情があって奉公先を変えざるをえなかったり、運良く良い結婚相手を見つけて結婚して仕事を辞めたり。


 奉公先の家でお見合いを世話してもらえ、面倒見の良い奉公先なら、その家の子として嫁へ出してもらえることもあるのだ。


 その大店の旦那さんかおかみさんが仲介人か村の世話役に連絡し、次の女中奉公に出られる子を探しに来るのだ。


 たとえば、この村から十二年前に女中奉公に出たナッちゃんの上の姉は、五年間女中として働き、その働きぶりを認められて見合いを世話してもらい、いわゆる中産階級の、いい家の嫁になることができたそうだ。

それも、その家から嫁に出してもらったというから、タカたちから見れば破格の出世だ。


――玉の輿や。そんな人もいるんやなあ……。


「そんでね、この秋に、西陣の大きな店のおかみさんが、新しい女中になる子を探しに来るんだって!」


 大人の集まりで、村長さん達がそんな話をしていたのを、漏れ聞いたらしい。


 その話をしていたナッちゃんは、後日、親戚の援助で上の学校へ行けることになり、村から出て行った。


 そんなことをつらつら思い出しながら、タカは拾った木の棒で、地面に絵を描いていた。


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