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3. 支えてあげる。

 息子の元気な様子を見て安堵しきった王は、城中の者を集めて宴をしようと言った。


 数日後、城内で宴が開かれた。

 自分たちのせいで彼を危険な目に遭わせたと自責の念に駆られる衛兵たちも宴に招かれ、いくらか救われた気持ちになったようだ。


 リーナは長い髪をポニーテールに結っていたのだが、宴の準備中、肉を焼いていた火が髪に燃え移り、大変な騒ぎになった。

 近くにいたエリーゼが大慌てで水を被せたおかげで大事には至らなかった。しかし彼女の髪はちりちりと焼け焦げてしまった。


 ひどい有様のまま用意を済ませ、宴の会場である大広間のすみに立つ。

 点々と机が置かれ、レース編みのテーブルクロス上にはごちそうが載った大皿がある。真ん中の机には大小様々な取り皿があって、使用人も含め全員が、『どの料理を初めに食べようか』と考えている。


 王族が広間の真ん中に入り、最後にヘンリが堂々と現れる。彼の顔を見た途端にわっと拍手が巻き起こり、彼は少し照れたように笑った。

 前に一歩出て、大きな声で、淀みなく挨拶をする。そして最後に、


「……皆さん、今日は僕のためにありがとうございました。実は僕は長らく、この国の方針を決める役割を任されていました。けれどもうそういうことはやめようと思います。僕の父である王には、本当の王になって欲しいからです。きっとこれまで王らしいことをしていないので分からないことが多いと思いますが、皆さんには王を支えて頂けると幸いです」


 と結び、深くお辞儀をした。


 突然の告白と宣言に王が最も狼狽うろたえていたが、隣に立つ、ヘンリの教育係をしていた男性が低く言う。


「ヘンリ様は長らく、この現状を憂いていらっしゃいました。しかし陛下のことをお思いになって我慢されていたのです。そんなヘンリ様がこのような場で実情をお話しなさった。考えるまでもなくヘンリ様の覚悟は相当なものでしょう」


 王はがくりと子供のように肩を落とし、


「ああ……私は決して良い父親ではないが、ヘンリが我慢強い子であることくらいは知っている。子に我慢を、それもあの子が耐えられないほどの我慢を強いていたことを反省する」


 と力なく言った。

 教育係は「反省する」と言いつつも、口を尖らせて不服そうな態度を取る王を咎めようかと思ったが、ぐっと堪えた。


 自分が王を咎めることにはなんの意味もない。むしろ王とヘンリが正面から向き合う機会を奪いかねない。


 国の主体がヘンリから王に移ることで、一時的に国が揺らぐかもしれない。しかし自分が王を支え、より良い国を目指していこう。

 教育係は静かにそう決意した。


「では、豪華なお食事を頂きましょう」


 ヘンリの合図で、皆が各テーブルに散らばる。


 初めこそ使用人たちはくらいを気にして、なかなか食事を小皿に取り分けずにいたが、ヘンリや王の声掛けによって彼らも自由に食事を楽しみ始めた。


「わぁ、これ、美味しい!」

「複雑な味だからなんと言っていいか分からないけど、とにかく美味しいな!」


 これらの料理を作ったシェフたちですら感動していた。彼らは味見こそするが、純粋に食事として味わったことはないのだ。


 リーナも使用人の仲間たちとともに料理を皿に取る。

 綺麗に焼き目がついたチキンや、色とりどりのフルーツを包むゼリー。どれもきらきらしていて目移りする。


 好きなものばかりが乗った夢のようなプレートに目を輝かせ、大きな部屋の隅でちまちま食べる。大皿がこんなに並んでいるのに、一口で食べてしまったらあっという間に料理がなくなる気がした。


 ちらと見ると、ヘンリはたくさんの人に囲まれていた。

 これまで彼とほとんど話したことのない若い使用人ですら、その輪にいる。


 昨日彼と話したとき、


「明日は城の皆と話してみたいんだ。全員に声を掛けるのを目標に頑張ってみるよ」


 と言っていた。

 若い使用人がどこかおどおどしているのは、きっとヘンリに突然話しかけられたからだろう。けれどもぽーっとしたような目でヘンリを見つめているのは、きっと彼の人柄の良さに心奪われているからだろう。


 固いパンにチーズやサーモンが乗った料理に齧り付いたとき、ヘンリと目が合った。大口開けた顔を見られたのが恥ずかしく、壁のほうに身体を向けたが、ヘンリはリーナに近寄ってきた。


「美味しい?」

「は、はい。すみません、このような場での振る舞い方が分からなくて……」

「特に振る舞い方なんてないよ。ふふ、リーナがあまりに幸せそうに食べるから、僕まで幸せな気持ちになってきた」


 にこにこ笑うヘンリは、つい先ほど堂々と挨拶をしていた人と同一人物だとは到底思えない。“純朴な青年”といった風だ。


「全員とお話しされましたか」

「んーん、やっと半分超えたくらい。でも今日はもうリーナといていいかな? さすがにちょっと、疲れちゃって」


 彼が「疲れた」と口にするのは珍しい。ラシュ家に制裁を加えるかどうか議論したり、王の仕事を続けて良いものか悩んだりと、忙しく過ごしていたぶんの疲労が、気の緩みと同時にどっと押し寄せていた。


 リーナの笑顔がせめてもの救いだと、心から思っていた。


 ヘンリの小皿には、小さな乳白色の汚れだけがついている。初めに取り分けた一口ぶんのクリームパスタしか食べる余裕がなく、使用人たちと話すのに精一杯だった。


 少しやつれたような彼が、リーナは心配だった。

 自分の小皿に載ったミートボールを、フォークで半分に切る。片方を刺すとヘンリの口の前まで運ぶ。


「ほら、もっと、召し上がってください!」


 面食らった様子のヘンリは、さっと顔を背けた。少しの間そうしていたかと思えば、突然リーナのほうに顔を向ける。

 リーナのフォークを握る手を、上から握り締める。そして口を近付け、やけに熱っぽい瞳でリーナを見つめながら、ミートボールを口に含む。


「ん、美味しい。ありがとう」

「い、いえ……良かったです……」


 物凄く気恥ずかしくなってきて、今度はリーナが顔を背けた。


 そのとき彼女の髪に目が行った。

 毛先が縮れて、焼き切れたようになっている。


 ここどうしたの、と尋ねようと彼女の髪を指先でちょんと触れると、彼女は顔を真っ赤にして髪を抑え、ヘンリと目を合わせた。自分が過剰反応したことに気が付いてうろたえる。


 ヘンリは優しく笑むと、


「髪、どうしたの?」


 と聞く。


 リーナは今朝あったことを話し、自らの不注意を謝った。ヘンリは首を横に振ってまた笑った。


「なにも謝ることはないよ。せっかく綺麗な髪なのに。……ねえ、もう宴抜け出しちゃおうよ」

「え? ヘンリ様はこの宴の主役ですから、いないわけには……えっ、どこに行かれるんですか⁉︎」


 リーナの手から小皿を奪って近くのテーブルに置き、手首を掴んでどこかへ引っ張っていく。

 彼女の素っ頓狂な声に、振り返りながら弾む声で、


「僕がリーナの髪を切ってあげる!」


 と答えたヘンリの表情は明るい。


 まさに無邪気という風で、メレラ家に引き取られてすぐの、対等だったあの頃を思い出す表情だ。

 幼い頃の記憶が蘇り、リーナも無邪気に笑う。“宴を抜け出す”なんてあり得ないことを、ちょっといたずらしちゃおう、くらいの気持ちでやってしまう。


 楽しい気分で満ちたまま辿り着いたリーナの部屋で、ヘンリは彼女の髪にそっと触れた。

 ジャキン、というハサミの音の凶暴さに対し、彼の手つきはまるで小さなガラス玉を扱うようで、少々くすぐったい。

 リーナが目を瞑っている間に、彼は手際良く髪を切っていく。


「……うん、かわいい」


 頭を撫でるようにして髪を整える。


 リーナがゆっくり目を開けると、肩にちょうどつかないくらいの長さのボブヘアになった自分が鏡に映った。丸みを帯びたシルエットが可愛らしい。

 まるでプロを呼んだときような仕上がりに感激する。


「やはりヘンリ様は素晴らしいお方です。本当に手先が器用でいらっしゃいますね」


 ヘンリは照れ笑いを浮かべて、リーナの正面に移動した。

 前髪を指で摘まみながら、


「前髪も切ろうか? 顔をもっと出したほうがかわいいと思うんだ」


 と尋ねるが、リーナは彼の顔があまりに近いので前髪どころではない。


 彼女が顔を真っ赤にしているのに気付き、ヘンリも赤くなったものの、離れようとはしなかった。

 互いに呼吸を止めるような緊張感。シルク生地のような滑らかな時間が流れる。


 「リーナ」


 脳が溶けそうな声色で名前を呼ばれる。


「ヘンリ様……」


 名前を呼び返すのが精一杯だった。


 頬に指が触れる。ついびくりと身体が反応して、目をぎゅっと瞑る。

 見えていなくてもその温もりで、彼の顔が近付くのが分かる。

 温かい息を感じた。リーナとヘンリの間では互いの息がぶつかって、混ざり合っている。


 額同士がこつんと当たった。リーナは期待を裏切られたような気分になって、目をぱっと開いたが、そのときにはもうヘンリの顔は遠ざかっていた。

 彼は俯いていてその表情は窺い知れない。


「前髪はまた今度切ろうか」


 ヘンリの少し上ずった声が、部屋に静かに広がる。


 頷きながら、リーナは、自分が『期待』をしていたことに気付いた。期待していたのは、思い浮かべただけで顔が熱くなるようなそんなことだ。

 どうしてこんな期待をしていたのだろう、と考えても、なんだか答えはひとつしかないような気がする。


 思考が水車のようにくるくる回って、あり余ったエネルギーが体内に溜まる。身体の中心が熱を帯びる感覚がして鳥肌が立つ。


 こんな状態になっているのはリーナだけではなかった。

 口紅を塗ったように唇を赤くしたヘンリは、


「ねえ、僕のこと、気持ち悪いと思った?」


 と普段の彼なら絶対に口にしないことを尋ねた。

 まるで身体の中心にある熱源に突き動かされたようだった。


 リーナも初めは驚いたが、彼女も熱源に突き動かされ、


「いいえ、むしろ……幸せな時間でした」


 と返した。


 二人のうちどちらかが、この熱さ任せに大胆な行動に出ていたら、きっと彼らの関係は名前を変えていただろう。

 しかし二人の片想いはあまりに長すぎて、こんな熱さ程度では揺らがない。


〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


「……で? 結局なにもなし?」


 マルコの冷たい声がヘンリに刺さる。


「なくはないだろう。幸せな時間だって、そう言ってもらえたんだ。リーナが僕のことを悪く思っていないことを知れただけ、大きな収穫だったよ」

「そんな収穫はとっくのとうに出来てるんだよ、こっちはさ」

「うん?」


 マルコは顔を背けて、手をパタパタと振った。本当になんのことやらわかっていない彼の純粋な瞳を、直視出来なかったからだ。


「僕、この一年頑張るよ。リーナに素直な気持ちを伝えたいんだ」


 ヘンリが呆れ顔のマルコにそう宣言しているとき。


 リーナは花瓶を落として派手に割っていた。

 ああ、エリーゼに怒られる、と言う怯えきった自分の声がどこからか聞こえる気がする。


 シャンデリアの光をきらきらと反射するガラス片を、恐る恐る摘まみ上げる。

 まるでヘンリの瞳のようだと思った。彼の瞳のことを考えているうちに、先日の熱さを思い出した。


 偶然にも、ヘンリと同時に、リーナはこう決意した。


『彼を一番近くで支えるのは自分がいい。でも今みたいに、与えられた仕事すら満足に出来ないようでは彼を支えるなんて到底無理だ。

 頑張って、頑張って、頑張って。

 自分が完璧な人間になれたなら。


 ……彼に、自分が一番近くにいる存在でありたいと、わがままを言おう』


 と。

 読んでいただきありがとうございました。

 恋愛もの書くのは楽しいです。ちゃんと恋愛ものっぽいのはこの第三話くらいになってしまいましたが……

 次もよろしくお願いいたします。

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