3.そうだ下着店へ行こう(後編)
暫く待っていると、マルレットさんとかなり年配の女性が可動式のテーブルを押して奥から出てきた。
違う、あれは親じゃない。長く勤めてくれている従業員なのだろう。
早速運ばれてきた下着に目を向け、俺の思考が停止した。
ハッとして横を見ると、下着を凝視し間抜けな顔を晒したまま思考の停止したクリスが居た。
俺は確信した。この店主はバカだ。
クリスの母君も御用達との事だったが即刻こんな店とは縁を切るべきだ。
「マルレットさん、これは……」
「お嬢様どうなされたのですか?さぁ、シオン様にお好きなのを選んでいただきましょう」
「店主、流石にこれは……。あと俺に様を付ける必要はない」
「素敵でしょう!!貴族のご婦人に大変人気なんですよ!!」
聞きたくなかった衝撃の事実。貴族って淑女ではなく痴女だったんだな。
目の間に広がる下着はどれも本来隠れるべき所が全て見える様になってしまっている。
本来胸を覆うはずの下着は、何故か紐が丸くなっているだけだし、下に関してもアレが出し入れしやすい様に穴が開いている。
これ考えた奴、不敬罪で処刑されても文句言えないだろう。
こんな下品極まりない商品は、店に並べられるわけない。最悪所有しているだけでも罪に問われたりするんじゃないのか?
「流石にこれは選べない」
「それはなりません。秘密を知ったからには購入していただかないと困ります」
共犯者にして黙らせる。どこの悪徳業者の手口だよ。
「これ所有しているだけでも罪に問われるのではないか?」
「その心配はありませんので、安心してお選び下さいませ」
その自信ありげな態度に深い闇を見た気がした。
「クリス、さっきから間抜け顔のまま微動だにしないが大丈夫か?」
「だ、だ、だ、だ、大丈夫です。す、少し驚きましたが、シオン……え、え、選んでください」
選ばないと帰れないならさっさと済ませてしまった方がいいだろう。
テーブルに陳列された商品をまじまじと見つめる。
どれも隠すべき所が隠せていない煽情的なデザインは変わらないのだが、その中で黒い下着に目が留まった。
隣にいるクリスを横目に見ると、開いた両手で目を覆っていた。
興味があるのを悟られたくないのだろうな。
普通に見ればいいのにと、つい微笑ましい気持ちになった。
「この下着を着けた姿をいつか誰かが見るのだろうか。羨ましいな……」
「へ!?」
意図せずそんな事を言ってしまった。
慌てて手をやるがもう遅い。
くそっ、隣にいたクリスに聞かれてしまった。
「シオン、今……」
「すまない、今のは忘れてくれ……」
「あらあら、嫌がっている素振りをしていても本当は…….」
羞恥のあまり店主を睨み付けるが、ニヤニヤしながら更にとんでもない事を言い始めた。
「シオン様、大丈夫ですよ。クリス様も照れているだけで、不快には思っておりませんよ」
「はぁ……」
「それでどれにされるか決まりましたか?」
「もういい。黒い下着がクリスに似合うと思うからそれで」
「そのデザインを選ばれるとはお目が高い。そちらは新作なんです」
「それはいいから、いくらなんだ?クリス、さっさと買ってこんな店早く出よう」
「それはなりません。こちらの下着はデザイナーとの取り決めで購入前の試着が義務付けられております」
体形にしっかり合うか確認するという意味合いだろう。
変な所で職人気質なのが気に入らない。
クリスにさっさと試着させて帰ろう。
「クリス様、しっかりして下さい。ささ、シオン様と試着室に行きますよ?」
「俺が行く必要ないだろ?」
「選んだ男性が満足するかを判断するのにクリス様お一人で行っても意味がありません。それにシオン様も先程見たいと仰っていたではありませんか……」
盛大な溜息を吐く店主の態度に、遂に俺は切れた。
「はぁ!?公爵令嬢に婚姻前に男に肌を晒せとか何を考えているんだアンタ」
「例え公爵令嬢と言えど、例外は認めません」
やはりこの店は狂っている。
権威を楯にするのは不本意だが、クリスの事を思えば俺の矜持なんか取るに足らない。
「クリスの父君、イルレフォン公爵にこの事は連絡させていただく」
「お好きになさって下さい。奥様よりクリス様が男性とこの店に来たときはウチの流儀で対応して構わないと言われておりますので」
「そ、そんなバカな!?いや、だがしかし……」
「あ、そうでした。奥様よりいただいた書簡をお見せ致しましょう。少しお待ち下さいませ」
差し出された書簡の封蝋にはイルレフォン公爵家の紋章が押されていた。
ウチにあるものと同じなので、本物で間違いないだろう。
これはもう打つ手なしか……
「いかがですか?ご理解いただけましたでしょうか」
「ああ、この件は改めて公爵にお伺いする事にする。クリス、こんな事になってすまない」
クリスは相変わらず微動だにしないが、このままこうしている訳にもいかない。
彼女に対し、どう責任を取れば良いか見当もつかないが、最悪この命をもって償おう。
「いや〜、それにしてもクリス様もこんなにも思っていただける男性に巡り合えて幸せですわね。しかも下着を選ぶセンスが素晴らしい」
やけに上機嫌な店主が憎らしい。
「そこまで考えて選んだつもりはないがな」
「ご謙遜を。実はその下着だけは、元からワンサイズしかないのですよ」
「そうなのか、自分が選んだから優れているというつもりは、量産しても売れたのではないか?」
「ええ、そうなんですが。その下着はある方の要望をデザイナーが形にした特別なんです」
「要望があって作ったなら、その人に渡さないでいいのか?」
自分が欲しくて作らせたものではないのだろうか。
「実はそちらは試作品だったんです。献上させていただいた物と寸分違わず作成しおりますが、最初という事もありそちらの方が縫製の面で少しだけ劣っております」
「そういう事か。でもそれ売り物にして良かったのか?」
「依頼主が折角作ったのに、誰にも使われないのは勿体ないと……」
「それならそっちも献上したら良かっただけでは?」
「遊び心のあるお方なのです。自分がデザインした下着を見知らぬ男の妻が使っているのが面白いと……」
ああ、こんな下着をオーダーするぐらいだから、まともな理由があるわけないか……。
「とても高尚な趣味を持たれた御仁なのですね」
「ええそれはもう。なんせ依頼主は国王さ……あ゛……」
「……………..」
「今の聞こえてしまいましたか…….?」
「何のことでしょうか?ああ、それでご相談なのですがもう一度下着を選んでも宜しいでしょうか?」
「え!?あ、試着前ですが変更をご希望ですか。か、構いませんよ」
「それと先程の試着の件ですが、クリス一人でも構いませんよね?」
「いや、そ、それはちょっと…….」
「構いませんよね?素直に肯定しておいた方がお互いにとって良いと思いますよ」
「わ、分かりました…….」
こちらの意図を正しく理解した店主は、顔を引き攣らせながらクリスを伴って試着室に消えて行った。
何を血迷ったのか俺が最初に選んだ黒い下着も一緒に買おうとしたので、それだけは止めさせた。
こうして意図せず、俺はこの国の真理を知る事となった。
この国で最も高貴な女性が身に着けている下着が淑女にあるまじき物だった事。
この国で最も高貴な男性が、自分と同じ感性を持っていたという不名誉極まりない事。
最後に今回の下着を付けたクリスを、俺がこの目で見たかどうかについてだが......彼女が機嫌が悪くなるので、ここでは触れないでおこうと思う。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。前に書いていたものに少しだけ手を入れて投稿させていただきました。異世界恋愛に投稿して申し訳ございませんでした。ハイファンタジーという感じでもなかったのであまり考えずにジャンル決めてしまいましたが、どっちつかずの中途半端になってしまいました......