2.そうだ下着店へ行こう(前編)
俺達の暮らすこのオルリナル王国には大小30ほどの街や村がある。学園のある王都オルリには国の中枢を担う貴族、商人、平民が明確に区分けされて住居を構えている。
平民が貴族の居住区に立ち入る事は、特例以外では禁止されているが、貴族はどの区画にでも自由に移動できる。
しかしながら仕事としてではなく、平民の居住区にわざわざ来る貴族なんて、この幼馴染ぐらいだろう。
「今日はどこに行こうかな~♪」
俺の少し前を歩くクリスはご機嫌な様子で、時折こちらを振り返っては後ろ歩きをしている。
「クリス、危ないから前を向いて歩けって」
「大丈夫よ、私が気配に敏感なのは知っているでしょ?」
水属性の魔術に適性のあるクリスは、気配探知が確かに得意である。だが無機物に対してはその効果は及ばない。
俺の視界には、クリスの歩く先にある中途半端な大きさの石。
この様なやり取りの後には、決まってお約束が起きる事は今までの付き合いで嫌と言うほど解らせられている。
俺は何食わぬ顔をしてクリスとの距離を詰める。
「あ……」
そんな気の抜けた声とともに、体勢が崩れる。
急いでクリスの腕を掴みこちらに引き寄せたが、思いのほか勢いがつき過ぎてしまったらしい。
俺の腕の中にすっぽり収まった彼女は微動だにしない。
「だから言っただろ。大体このやり取り何度目だよ……いい加減ちゃんとしろよ」
「……………………」
俺の小言に反応したのか、小刻みに震えている。
そんなに怖かったのかと思い、顔を覗き込めば耳まで赤く色づいていた。
「こ、こ、これで…….勝ったと思うなよ!!」
「な、なんの事だよ。そして押すな押すな、危ないって」
よく分からない事を言いながら、俺の胸を一生懸命押してくる。
助けてやったんだから、そんなに嫌がらなくてもいいだろうに……。
俺の腕の中から解放され脱兎の如く逃げ出す彼女の姿を、やり切れない思いを抱えながら、追いかける。
「私ばかりドキドキしてなんか頭にくるな……そうだ、いい事を思いついた……」
そんな彼女の悪だくみを、距離の離れていたこの時の俺は気づく由もなかった。
商業区画を、まるでお目当ての店があるかの様に歩き続けるクリスに、どこに行くのか尋ねても着いてからのお楽しみとしか答えない。
良からぬ事を考えているのだろう……。
本人は隠しているつもりなのだろうが、左の耳たぶをしきりに触っている仕草を見ていれば、否が応でも解ってしまう。
とある店の前で、彼女は足を止めた。少し待っててと言われたので素直に従う。
この店の名前は聞いたことがある。確か男性物の衣服を取り扱っていたはずだが、ここに用があるのだろうか?
どうやら俺の推測は間違っていたらしく、クリスはその店を素通りして三軒隣の店に入っていった。
そのまま暫く待っていると店からクリスが出てきた。
「いつまでそうしているの?早くこっちに来て」
待てと言ったのは彼女なのに、その物言いは理不尽極まりない。すぐに動かず不機嫌そうにしても彼女は気にも留めない。
「もう、早くしてよね。少しだけ貸し切りにしてもらったのに時間がなくなっちゃう」
「貸し切り?他の人に迷惑だろうが……そうやって身分を振りかざす行動は……」
「このお店は、お母様も贔屓にしているし、店主のマルレットさんも大丈夫って言ってくれたわ」
「分かったよ。それでここは何の店なんだ?」
「入れば分かるわ、早く早く」
イタズラが成功した子供の様な笑みを浮かべた彼女に店内に招き入れられた。
俺の目の前に広がる光景は、白、赤、青、緑、水色、ピンク、紫、黒……
色とりどりの女性の下着が所狭しと並べられていた。
「今日はなんと下着を買いに来ました!!シオン、さっきは転びそうになったのを助けてくれてありがとう。お礼に好きなの選んでいいわよ」
「バ、バカだとは思っていたが、お前……大バカだろ」
「なっ!?バカならまだしも淑女に向かって大バカはないでしょ」
「どこに婚約者でもない男に自分の下着を選らばせる淑女が居るか!!本当の淑女の方々に謝れ!!」
バカは許容範囲なのか。公爵令嬢なんだからそこは許容するなよ……。
そんなやり取りを暫く続けていたが、微笑ましくこちらを見ていた店主の視線に気づき、俺達は恥ずかしくなって黙り込んでしまった。
「あまりの仲の良さに見入ってしまいました。初めまして店主のマルレットと申します。先程は不躾な態度で申し訳ございませんでした、以後お見知りおきを……」
女性用の下着を取り扱う店の店主と今後接点があると思えなかった俺は曖昧に言葉を濁した。
「お嬢様、最近密かに人気のある商品がちょうど入荷しております。ご覧になられますか?」
「マルレットさん、今日はその自分で選ぶのではなく……彼に選んでもらいたいから……」
照れながら俺を見つめるクリスに少しだけドキッとする。
勘違いするな俺。そもそも身分が違い過ぎるし、俺じゃクリスに釣り合わない。
「お嬢様、その人気商品はデザインも色も豊富なんですよ。訳があって、お店に並べることが出来ないのですが極上品なのです」
「訳ありというのは気になりますが、でもお高いのでしょう?今回は普段使いの物が欲しいので遠慮しておきます。折角提案してくださったのにごめんなさい」
「お、お嬢様!?頭を上げて下さい。こんな事が奥様の耳に入ったらこの店は……」
眉を八の字にして謝罪するクリス、突然の謝罪に慌てふためく店主。
そもそもこれぐらいのことが、大きな問題になるのだろうか?
ちょっと俺には理解しがたい世界だ。
「ああ、私の考えなしの行動がマルレットさんにご迷惑を…….お店が無くなったらどうしましょう……」
「ああ、そんな……。このお店は親から受け継いだ大切なお店なんです。遠くにいる両親に何とお詫びすれば……」
そう言って、マルレットさんは天井を見上げる。
ああ、天国にいる両親に合わせる顔がないってことね。
「困りましたね。頭を下げた事実は変わりませんが、事態を好転する方法はないかしら?」
「私がオススメした商品がお嬢様に購入していただけたら、奥様もお許し下さるとは思いますが」
「でもその商品って、確か男性に選んで頂かないと購入できないと聞いたことが……」
「お嬢様は、本日偶然にも男性とご来店下さってますね」
二人がこちらをチラリと横目に見た。
「でもシオンは選んでくれなさそうな素振りを見せましたし……」
「そうでしたね。嫌がるのを無理やりというのも気が引けますし……困りましたね」
「ええ、困りましたね」
そんなやり取りを、わざとらしくこちらに視線を送りながら繰り広げている二人。
俺はこの茶番をいつまで見ていればいいのだろうか?
周りから見たら、下着ぐらいさっさと選んでやれば良いと思うだろうが、ここでクリスの望み通りの行動を取るのはダメだ。嫌な予感しかしない。
言葉は尽くしたという事だろう。無言で二人が俺をジッと見ている。
こういうのは視線を逸らした方が負けだ。俺は負けない。
「シオン、選んで欲しいの……お願い//////」
頬を赤く染め上目遣いのクリス、俺は反射的に目を逸らしてしまった。
「分かった……俺の負けだ。選ぶ、選べばいいんだろ」
「お嬢様、早速お持ち致しますね。王都で最も有名なドレスデザイナーの商品なんですよ」
そう言ってマルレットさんは店の奥に引っ込んだ。
何やら階段を上る音と一緒に『母さん、例の商品を並べるの手伝って』という声が聞こえたが、きっと気のせいだろう。
「楽しみね!!さぁ、シオン。あなたの好きなの選んでね」
さっきまでの神妙な面持ちは消え、騒ぎ始めたクリスを見て俺は小さく溜息を吐いた。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。次がラストです。