74・野良猫の望み
「あいつはずっと、ヴァレリーを案じていた」
「どうして?」
「お前はいつだって、自分の望みを叶えながらも傷ついていた。たとえその結末が、どのようなものだとわかっていても。あいつの前ですら泣かなかった」
「……」
うまく言葉が出てこない。
ディルからはじめて聞かされたカイの胸の内は、まったく想像のつかないものだったから。
「あいつはお前を助けたかった。強くなりたかった。でもあいつはお前にほどこしを受けている、足の悪い猫でしかない。離れずにお前を守りたくても、ついて行けば邪魔になることもわかっていた」
カイの切実な感情が、ディルの声に滲んでいる。
「あいつはヴァレリーが殺された別れの瞬間に、助けることのできない自分の弱さを思い知った。無力な自分を憎んだ。変わりたかった。お前と出会ってから、今までずっと」
「もしかしてディルが、理由もわからず力を求め続けていたのは……」
「あいつの生まれ変わりである俺は、前世からの悔恨に憑りつかれていたのだろう。そうとも知らず、俺は強さを渇望する自分の衝動をおぞましくさえ思っていた。しかし魔帝となり、力によって争いを生まない世界を望んだ理由も、今ならわかる」
ディルはそばの大窓に寄り添うと、眼下に広がるきらめく帝都の夜に向き合った。
「あいつはいつか巡り合えると信じて、お前が無暗に悲しまなくてもいい平穏な世界を求めていた。レナと出会ったときに、守れるほどの力と場所がほしい。それが、あいつの望みだ」
そう言って微笑むディルの横顔は、なにか吹っ切れたかのように清々しい。
「だからもう、俺も力を欲することにためらいはない。それでよかったと思える」
私は頷いて、ディルの胸に手を当てた。
「ありがとう。あなたのこと、好きになってくれて」
カイが……ディルが自分のことを大嫌いなんて、本当はさみしかったから。
「でもね、ディルが自分のことをどう思っていても。私があなたを大好きだってことだけは、なにも変わらないからね」
「その言葉がレナの本心だとはわかっている。しかし俺の魂剥離が治れば、お前は俺の元を去っていくつもりだろう。前世の断頭台での別れを恐れて。あいつに……俺に、あのときのような悲しい思いをさせたくない一心で」
「だって私がディルに望むことは『元気になってほしい』だから」
怪我だらけのカイと会ってから、ずっと願っていた。
だけど私はカイの痛めた足も治せなくて、別れのときはこれ以上ないほど傷つけてしまった。
でも今のディルは魂も戻っていて、私に執着しなくても心身ともに安定している。
「今のディルに主は必要ないもの。今まで……」
告げようとした別れを遮るように、ディルは私の手を取った。
「俺はレナの知っている非力な猫ではない。しかしまだ足りないのなら、俺はお前が望むだけ強くなると約束する。俺に力がないばかりに、もうレナが傷つかなくてもいいように。お前の望みを叶える手足となりながら、そばで守らせてくれないか」
「でも、魂は戻っているんでしょう? まだそんな風に言ってくれるなんて」
「魂剥離の症状や前世からの執着ではないと、今なら信じてほしい。出会ってからずっと、俺はレナから目が離せなかった」
ディルの青い瞳には、不思議そうな顔をした私が映っている。
「誰よりもそばでレナの強さと危うさを見てきた。ここまでお前のことを知って……愛さずにいられるわけがないだろう?」
繋がれた手を、気づけば握り返していた。
……そう、私もディルのことを知ってしまった。
私たちが同じ気持ちでいたことを、今さらになって思い知る。
「あっ」




