10・残された花言葉
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がらんどうとした大聖堂の中で、俺は愕然とした。
「レナーテが消えただって!?」
いらだちのあまり怒鳴りつけると、一列に並んだ警備の騎士や魔術師が頭を下げる。
「申し訳ありません、ユリウス王太子殿下。聖女レナーテが大聖堂周辺に張っていた魔術防壁と結界が消えたので中を確認すると、彼女は跡形もなく消えていまして……」
「嘘をつけ! お前らが見張っていないせいで逃げ出したんだろう! お前らのせいで!!」
「およしなさい、ユリウス」
俺の隣で、この世のものとは思えない恐ろしい存在……いや、母がこちらを睨んだ。
「お前らのせいお前らのせいと、見苦しい。自重なさい」
「しかしこいつらのせいで、レナーテがいなくなったんですよ!!」
「違います。彼らは持ち場の警備を全うしていたようです。それでレナーテがいなくなったのなら、誰に任せても同じこと。つまり不測の事態に対する指示を出せなかった私の責任です。文句なら私に言いなさい」
父より俺より背の高い母が、女王の貫録と迫力で俺を見下ろしている。
その耐え難い眼光に、俺の額から冷や汗が流れ出した。
「……いえ、その。なんでもないです」
「それならまず、あなたがレナーテに愛想をつかされたこと。そのために彼女がこの大聖堂から旅立った事実を認めなさい」
「そ、それは俺だけじゃなくて、あのジジ、司教たちが……」
「司教たちなら、レナーテが窓から飛ばした資料で彼らの不正が発覚したため、国内外から批判が相次いでいます。彼らは厳しく断罪されるでしょうが、それは教会の問題です。女王である私が話しているのはこの国の問題、あなたが勝手に婚約破棄をした結果、聖女レナーテを失ったことです」
「……」
母の威圧感は全く和らぐ気配がない。
「ユリウス、黙っていても事実は変わりません」
「ひ、ひゃい……」
「いいですか。彼女を繋ぎ留められなかったのはあなたの過失です。愚かなあなたの選択で、間違いなく国益が損なわれています。レナーテがここを去ったのですから」
「ですが母上、レナーテの前世は『処刑を受けた大罪人』ですよ! 俺の将来の妃としてふさわしいはずがありません!」
「あなたが学業をおろそかにしていたとしても……歴史上の英雄がそのような側面を持っていることくらい学んでおいて欲しかったわ。少し発想を飛ばせば容易に想像できるでしょう、彼女がそうだった可能性は大いにあるということを」
「レナーテと過去の偉人を比べるなんて……母上、さすがに大げさな」
「どうかしら」
母は祭壇の上に残された、一輪のタンポポを拾い上げる。
この時期に珍しいな。
綿毛もきれいに残っているし、聖女の癖に魔術で細工をしているのかもしれない。
大聖堂の外に咲いている野花を置いていくなんて、見張りを欺いて出てやったという嫌味だろう。
「その花、俺たちへの当てつけですね」
母は深々とため息をついた。
「ユリウス……婚約指輪といい、あなたのボロ雑巾のような感性と思考力にはがっかりしているわ」
「ボロ……!?」
「いい? これは『さようなら』なのよ」
ああ、花言葉か。
意外とメルヘンチックなところもある母は、タンポポを見つめて楽しそうに微笑んでいる。
しかし、レナーテがいなくなって国益を損なうなんて大げさな……。
「ユリウスは残念ながら気づいていないでしょうけど、レナーテのことは魔術師ベルタも目をかけていたのよ」
ああ、以前俺が座学をサボるための仮病を見破って、バカ呼ばわりした偉そうな老婆か。
「その理由が今わかったわ。レナーテが大聖堂に構築した結界に魔術防壁を、国内の解呪師や魔術師では誰ひとり破ることができないなんて。彼女は聖女と魔術師、どちらとしても最高峰の力を持っている。おまけに私が長年手を出せずにいたこと、我が聖国と教会を対立させることなく、司教たちを内側から一掃してしまう才覚と手腕もある……」
母は殺気すら漂う凶悪な気配を垂れ流し、ぎりりと歯噛みした。
「愚かなあなたのしたことで、この聖国はレナーテという財産を失ったのよ。ユリウス、国益に対する大罪を自覚して、廃太子を覚悟なさい」
俺の聞き間違いかと思うほど、母は信じられないことをさらりと言った。
「母上が冗談とは、珍しいですね」
「……」
母の眼光が鋭すぎて、俺は目を逸らした。
仕方がない。
こうなれば早くレナーテを見つけ出したほうがよさそうだ。
俺の抜群のセンスでおしゃれな指輪を与えてあげれば、機嫌もすぐ直るだろう。




