因縁 68 明るい声
「坊ちゃま、ご容赦下さい」
侍女の困ったような声が、何度も廊下に響く。
その侍女を困らせているのは、エルバルトで、彼女の手を握りしめ、ニコニコと微笑みかけている。
「お茶の約束をしているのです」
困った声のまま理由を告げても離して貰えず、侍女が周りに無言で助けを求めると、動こうとした使用人を、エルバルトは小首を傾げて微笑みかけ、その足を止める。
「坊ちゃま!本当に、困ります!」
とうとう耐えかねた侍女の叫びと、
「バル。ここに居たのね」
廊下の角から、顔を覗かせたヴィヴィアンナの声が重なった。
外は3日続けての雨で、ヴィヴィアンナの仕事が落ち着いたので、侯爵夫妻はゆっくりと過ごしている。
そして城の中で二人の子供がそれぞれ動き、ヴィヴィアンナが探すという、遊びをしていた。
エルバルトがにこりと笑って侍女の手の甲にキスをして手を離し、ヴィヴィアンナに駆け寄った。
「末恐ろしいわ」
エルバルトの手を取り、ヴィヴィアンナはミシェールを探す為に、また城の中を歩く。
侍女は腰が抜けてへたりと床に座り込んだ。
別れて探せば効率が良いが、二人で揃ってミシェールを探し、物見塔の最上階まで行った。
「居ないわね」
揃って階段を降り、普段行かない部屋も確認をする。
朝食の後から遊んでいて、そろそろ昼食となる。昼食には食堂に来るだろうが、それは何だか悔しくて、ヴィヴィアンナはどこだろうか?と首を捻った。
エルバルトは、侍女の声に誘われてすぐ見付ける事が出来た。
ふと、ヴィヴィアンナはエルバルトを連れて歩き出す。
そんな事ないだろう。と思いながらも、何故か確信もあった。
ヴィヴィアンナが自身の執務室をそっと開けたら、ミシェールはいつもの椅子に姿勢良く座っていた。
「見付かってしまいました」
振り返って言い、ミシェールは椅子から降りて、ヴィヴィアンナに歩み寄った。
昼食後そっと客室に入り、三人は様子を見る。
居間のソファーでデューが窮屈そうに寝ていた。
夜勤明けで、三人に挨拶だけして、朝ご飯も食べずに寝てしまった。なので、起こさないように部屋の外で遊んでいたのだ。
二人が慣れた事、大人が増えた事で、デューは夜勤を再開した。それまでは、朝と夜の時間を、二人に使えるようにと、夜勤を外して貰っていたのだ。
「可愛い」
ヴィヴィアンナがクスクスと笑った。
眉間に皺を寄せて眠る姿は、可愛いと思えなかったミシェールは、恋人だから。の一言で自身を納得させた。
エルバルトは見るのに飽きて、客室を出て行った。
ミハエルの執務室で、執事の真似事をする事が、最近の遊びとなっていた。
邪魔だろう。とは本人も思うのだが、ミハエルは厳しい点数を付けて楽しんでいて、執事は褒めて伸ばそうとしてくれる。
家令は、『私の仕事も覚えて下さると助かります』なんて冗談も言う。
『やらかせ』事件の後に、デューとヴィヴィアンナを心配させるに至ったミハエルを、困らせるつもりで始めたのだが、楽しくなってしまったのだ。
大事な話の時は、ミハエルと家令は隣りの資料室に籠もり、エルバルトはその間、部屋にある難しい本を読んで集中する。
ミシェールも恋人達だけにする為に、エルバルトが出た後に部屋を出た。
雨で外に行けず、仕事をしているヴィヴィアンナを見る事は出来ない。
寝ているデューを思い出し、ミシェールは厨房に向かう。
デューが起きた時の為に、何か作ろうと思ったのだ。
騎士は宿舎に行けば食事があるが、せっかくヴィヴィアンナの仕事が落ち着いた日だ。客室で食べられたら良い。と思った。
小鍋で出汁を温め、具材を細かく刻み、パラパラと入れていく。
厨房を貸してくれた料理長はニコニコ見守っていた。
味付けをして、少し贅沢に玉子を溶いて入れ、蓋をした。
パンは残っているものから二個貰い、器にスープを入れ、トレーに乗せる。
それを着いてきた侍女に持って貰い、客室に向かった。
侍女長が外で待機していて、侍女長がノックし、向こうからの許しが来て、ドアを開けたので、ミシェールは侍女と共に入る。
ヴィヴィアンナは椅子に座っていて、デューの姿勢は変わっていなかった。
「スープを作ったので、兄が起きたら、ご一緒にどうぞ」
それだけ言って、侍女にトレーをテーブルに置いて貰い、ミシェールは客室を出た。
ドキドキする胸を、ミシェールはそっと撫でた。
ヴィヴィアンナの口紅が、少し剥げていたのだ。出た時は綺麗だったそれ。
兄が取られたような、姉が取られたような、複雑な気持ちがあった。
この時ばかりは、表情が動かない事に感謝し、ミシェールは城の中を早足で歩き回った。
付き合わせる侍女には、申し訳ないと思うが、書庫で本を読む気にはなれず、エルバルトが居るだろう、ミハエルの所も行きたくなくて、気付いたら物見塔の最上階まで来ていた。
そして階段を下り、今度は1階まで向かった。
ふと、赤い髪が見えて、ミシェールは走るような早さでその角まで行く。
シモンが他の騎士と巡回中だった。
「お疲れ様です」
ミシェールが声を掛けると、シモンと騎士が礼をした。
「お一人ですか?」
「身体を動かしたかったのですが、雨なので城の中で歩き回っていました」
騎士の問いに、ミシェールが答えると、騎士は考える仕草をしてから口を開く。
「シモン、相手してやれ」
「え?でも」
「寝てる先輩を起こすのか?酷い後輩だな」
「仕事は?」
「閣下の大事なお客様を守るのも仕事だろ。そこのと代われば良い。シモンとお嬢様はお友達なんだろ?」
騎士は言ってミシェールの背後の護衛を指差した。
護衛が小さく頷くと、シモンが笑顔をみせる。
「ありがとうございます!」
「しっかり勤めろよ?」
騎士は護衛だった騎士を連れて、また巡回へと戻った。
「ミシェールお嬢様、どこへ行きましょうか?」
明るい声に、ミシェールは落ち着かない気持ちが少しホッとした。
知識としては薄っすらあるが、実際に濃紺なその痕跡を見てから、ミシェールはこの声が聞きたくなっていた。
置いていかれてしまうような、要らないと言われるのではないかという恐怖を、明るい声で払って欲しかった。
二人はそんな事はしない。と分かっているが、母親に根付かされた、いつか不要とされるのでは?と感情が死んで行った日々は忘れられないのだ。




