因縁 46 束の間の
一通り拭き終わり、ヴィヴィアンナは腰を落としてミシェールとエルバルトの髪を撫でる。
「濡れなくて良かったわ。怖がらせてしまったかしら?」
ミシェールとエルバルトが首を横に振ると、安堵の表情を浮かべ、ヴィヴィアンナは侍女長を仰ぎ見る。
心得たもので、侍女長は侍女と従僕に視線をやる。
侍女と従僕は、ミシェールとエルバルトを、近くのベンチに促した。
「気を抜くからこういう事になるんだ。反省しろ。騎士としてなってない」
岸辺で申し訳なさそうにしていたシモンに、騎士が厳しい声で言っていた。その騎士の前に、ヴィヴィアンナの手が翳され、説教を止める。
「ここへは副団長の許可があっての事よね?」
朗らかな声ではなく、少し責めるような厳しい声は、ミシェールとエルバルトは初めて聞いたものだ。
「はい!それは勿論!くれぐれも、気をつけるようにと」
勢いよく頷き、だんだんとシモンの声が尻窄みになった。
池では相変わらず優雅にフィビーが泳いでいる。
「ああなると、呼び寄せるのも大変なのよね」
ヴィヴィアンナは溜め息を吐いて、そちらを眺めた。
普段は聞き分けが良いのだが、水遊びを始めたら、なかなか上がって来ないのだ。
「副団長を呼んで来ます」
「今は、ミル様の所よね?ご迷惑になるわ。気が済むまで、遊ばせましょ」
騎士の言葉を断り、ヴィヴィアンナはシモンを改めて見る。
頭にタオルを巻いて、身体にもタオルが掛けられている。
「宿舎に戻って身体を温めてらっしゃい。処分は後程下るから、大人しく待つのよ」
「はい。申し訳ございません」
シモンがヴィヴィアンナに頭を下げて、続けてミシェールとエルバルトに頭を下げ、池から離れて行った。
すぐにヴィヴィアンナの視線が、舟に同乗した騎士へと向く。
「貴方の働きに感謝するわ。身体を大事にして頂戴」
「勿体無いお言葉を賜り、ありがとうございます。御前を失礼させて頂きます」
騎士の礼をとり、騎士が宿舎へと向かって行く。
「発言宜しいでしょうか?」
従者がそっと手を上げた。
ヴィヴィアンナが無言で頷くと、従者は一礼してから口を開く。
「ボールを投げたら、戻って来るかも知れません」
「試してみましょう」
ヴィヴィアンナが柔らかく言うと、従者は頭を下げ、走って城へと向かっていく。
「あの子が満足するのが先か、ボールが先か。お転婆さんには困ったものだわ」
困ったように言って、ヴィヴィアンナは小さく笑った。
「奥方様も、結構でございますよ」
「まあ!」
侍女長の静かな指摘に、ヴィヴィアンナは楽しげに笑う。
周囲の使用人も楽しそうに笑っていて、先程の厳しい声のヴィヴィアンナが嘘のようだ。
ヴィヴィアンナが二人の座るベンチに近付く。
「オヤツにしましょ」
屋根のあるベンチに向かい、ヴィヴィアンナの隣りにミシェールが座りその隣にエルバルト。侍女達が陶器に入ったプディングとスプーンを配る。
「貴方達も、召し上がって」
プディングを受け取り、ヴィヴィアンナが言うと、侍女が頷き、先程敷いた敷布とベンチに、侍女達と従僕が分かれて座り、小ぶりな陶器の器を取り出し、楽しげに笑い合う。
いつもの事なのか、誰もそれを咎めたりしない。
メイドと従者も、同じように寛いでいて、侍女長と、騎士だけは立ったままだ。
「使用人と共にするなんて、十分お転婆かと存じますよ」
「貴女も座れば良いのに」
溜め息を吐いた侍女長に、ヴィヴィアンナは微笑みかけるが、静かに首を横に振られて無言で返された。
ヴィヴィアンナがここに来る時は、毎回使用人達にもオヤツを用意して貰っているのだが、侍女長だけは頑なに後で食べている。先程のようにヴィヴィアンナに冗談を言うお茶目さはあるのに、仕事に関しては忠実な彼女を、ヴィヴィアンナは気に入っている。だからこそ、オヤツくらい一緒に摂りたいのだ。
城に向かった従者が走って戻ってきた。その後ろに騎士服のデューも続いた。
「デュー!」
思わぬ登場に、ヴィヴィアンナが慌てて立ち上がった。
チラリとヴィヴィアンナを見て、デューが目元を緩めて頭を下げ、従者がボールをデューに渡す。
デューは上着を従者に預け、指笛をピューと鳴らし、フィビーの興味を引き、ボールを持った手を高く上げて、ボールに気付かせ、手を水平にぐるぐると回し、さらに興味を引き寄せる。
ボールが投げられると、フィビーがそれを追って池の中央へと向かって泳ぎ、水に浮かんだボールをくわえ、身体の向きを変えてデューの元まで泳いで戻る。
「よし!」
しっかりフィビーのリードをデューが握り、引き揚げると、犬がぶるぶると身体を震わせて、水を飛ばした。
近くにはデューだけで、予想出来ていたので諦めの表情でそれを受けた。
従僕がタオルを持って近付きそれを渡す。
「妃様、お騒がせした事、ご迷惑をおかけした事、お詫び申し上げます」
タオルを肩にかけて、デューはヴィヴィアンナと少し距離をおいた前に立ち、頭を下げた。
「いえ。身体を冷やさないように気を付けてね」
手を上げかけて、諦めたようにもう片方の手で抑え、ヴィヴィアンナは笑顔をデューにみせる。
デューが視線を泳がせ、一つ咳払いし、一歩ヴィヴィアンナに近付く。
「冷えてない?」
騎士の時の距離を置いた声ではない、優しい声に、ヴィヴィアンナは目を見張り、花が咲いたように微笑んで頷く。
「私も、二人も平気よ」
それに笑顔で頷き返し、デューは一歩後ろに下がり、一礼する。
「御前失礼しました」
ヴィヴィアンナとミシェールとエルバルトに頭を下げ、デューは上着を受け取り、フィビーを連れて宿舎に向かっていく。
それを姿が見えなくなるまで、ヴィヴィアンナは立って見詰め続け、首を振ってミシェールとエルバルトに振り返えった。
「大変だったけど、楽しかったわね」
ベンチに座ったヴィヴィアンナの手に、木のコップに入った果実水が侍女長から渡される。
ミシェールとエルバルトにも侍女長から配られ、空の陶器の器が回収された。
「ヴィヴィアンナ様のお好きなイチゴでございますよ」
侍女長の優しい声に、ヴィヴィアンナが侍女長を見た。
彼女が『ヴィヴィアンナ様』と呼ぶ時は、デューと恋人として居る時だけだ。
その優しさに気付き、ヴィヴィアンナは泣き笑いの表情を浮かべて小さく頭を下げる。
「使用人に頭を下げるなど、滅相もない事ですよ」
「もう、イヂワルね」
続けて言われた言葉に、ヴィヴィアンナは苦笑し、コップに口を付ける。
今はここに居ないが、侍女長のおかげで、すぐ横にデューが居てくれるような気がして、ヴィヴィアンナは心が跳ねているのを感じた。
甘いイチゴの香りを楽しむように、ヴィヴィアンナは大事に果実水を飲む。この香りがしている間は、そこにデューが居てくれるのだ。




