因果 1 彼の生い立ち
彼は、自身の住まうエクレナール国の筆頭公爵家の嫡男であった。名はデュクリス・ロー・アストリア。銀色の短い髪は真っ直ぐで、緑色の目は少し細いのが悩みだった。
国を興した初代王の王弟が初代で、何代か毎に王家から婿入り、嫁入りがなされ、彼の曾祖母も王家から嫁いできている。
祖父が公爵の家督と王宮務めをしており、祖母は屋敷を取り仕切っており、母親が公爵家の跡取りとして執務を覚えている最中で、父親は侯爵家から婿入りし、公爵補佐の仕事と、いざという時の公爵代理となれるようにと祖父から学んでいた。
物心つく前に乳母は退職したらしく、従僕とメイド、教育係が気付いたら側にいて、彼の成長に合わせて教師は増やされていた。
4歳の頃には、12〜3歳未満の高位貴族の子息、令嬢が集まる交流会に参加するようになっていた。お茶会デビュー前の社交の予行訓練の場であり、友達作りの場所でもある。
母親は、その中から数人を屋敷に招待し、サロンにて勉強会をさせたり、婦人の集まりのお茶会に連れて出たりと、教養と教育を厳しく教える人で、彼を呼ぶ時は「デュクリスさん」と愛称ではなく「さん」付けで、彼の行動にそれは相応しいのか?と、問いかけて甘えを許さない人であった。
祖母も厳しい人で、デュクリスの講師と勉学の日程を決めており、マナーは講師より祖母に教えられたといっても過言ではない。伝統ある家系で、王家と縁深いのだからと、ムチを振るう事もあった。祖母直々の指導の間は、侍女長が控えているだけで、メイドも従僕も下がらせ、部屋の外に侍女を立たせ、中に入れるのは母親だけであった。たまに訪れる母親は黙って見ており、侍女長が入れたお茶を飲み終わると、黙って出ていくだけだった。
祖父は、仕事漬けの人で、食事の時間も別で、たまたま出くわしても、一言あれば良いほうで、一瞥だけですぐに家令へと顔を向けるほどだった。
覚える事が多かったであろう父親は、食事時に頑張りを誉めてくれていたものの、ゆっくり話をする事が出来ず、申し訳なさそうな顔で祖父や祖母の元へと出向く事が多かった。
必然に、彼は厳しい環境を当たり前に育ち、疑問も寂しさも感じる事はなく、逆に期待されているとさえ思っていた。
6歳の時に産まれた妹は、不思議な甘い匂いがして、身体は触るのが恐ろしい程小さくて柔らかく、声もほわほわと頼りなく、その命を前に、デュクリスは強くなろうと決意した。そして、騎士から剣を学びたいと、祖母に初めて強請った。恵まれた環境と、甘えを許されない環境であった為に、強請るなんて事を思い付きもしていなかったので大変緊張した。
勉強に支障が出たら止める。という条件で許可が出て、部屋に戻ってから小さく跳ねてしまった事は、大人になってもよく覚えている。
妹が母親のお腹に来てから、祖母の関心はそちらへと向かっていた。身の回りを世話する侍女を増やし、療養の為にと母親と侍女数人とで領地へと向かい、産まれてから2ヶ月経って屋敷へと戻ってきた。屋敷に戻ってきた祖母は神経質になっていた。妹へ少しでも不用意な事がないように、乳母とメイドに目を光らせており、侍女も交代で一人つける程に。そして、早々と言語の講師をつけ、講師が詩集だったり、文学書を読んで聞かせている間は、祖母もその部屋で過ごし、部屋のドアには侍女長が立ち、入室制限をしていた。それでも、時折デュクリスへと関心を向ける事があった。大体がデュクリスの失態を叱責する時で、後は講師の変更だったり講義を増やす説明をしたりであった。
10歳の時に弟が産まれ、護る存在が増えた事で、デュクリスは剣を学ぶ意欲がさらに高まり、後継の為の勉強も頑張ろう。と思えた。弟、妹が笑顔で暮らせるように。と。
やはり祖母の関心は弟へと向かった。まだ幼い妹を連れて領地へ行く以外は、妹の時と同様であった。屋敷に戻ってからは、弟の周りは妹の時に任せた信頼出来る者だけで堅められた。そうして弟の安全を確信すると、祖母は妹の教育へと熱意を注ぎだし、デュクリスへの関心はさらに薄まった。とはいえ勉強の進捗は確認されていたのか、祖母の思惑より遅れている時に、デュクリスは書斎へと呼び出され注意を受けた。剣を学ぶ条件を忘れないようにと。
11歳の誕生日を迎える3ヶ月前、弟はふっくらしてきて、首が座るようになり、乳母に抱かれて庭を散策したり、ベッドの中で手足を良く動かしたりしており、赤ん坊の成長を目にするのは2度目なのに、デュクリスは新鮮な気持ちで見守っていた。
その頃に、祖父から母親へと公爵の家督が譲られ、母親は女公爵となった。
祖父は領地へと移り住み、祖母は屋敷を取り仕切る為に王都に残った。母親は女公爵としての仕事がある為に、女主人の役を担っていたが、デュクリスの誕生日の1か月と5日前、胸を押さえ倒れ、病床に伏して9日で儚くなった。その為、11歳の誕生日を喪に服して過ごしたのであった。
デュクリスの子供時代で、重要な女の子が一人居る。
デュクリスが5歳の頃から、月に一度、特定の女の子とその母親、彼の母親、彼とで細やかな交流がなされるようになった。母親が長期間王都を離れている時は、代わりに文を交わした。
恐らく、このままその女の子と婚約して、結婚するのだろうと、恋にも満たない、不思議な淡い確信は、11歳の時に終わりを迎えた。
彼女と、第二王子との婚約によって。
その女の子は、侯爵家の長女で11歳であった。
名はヴィヴィアンナ・サン・モントルア。背中の中程まである金色の髪は緩やかな曲線を描き、青い瞳を持ち、小さな口は薄紅色をしていて、勉強会の一員であった。
父親は外交官として忙しくしており、母親は目端が効く人物で、御婦人方に一目を置かれており、8歳の弟が居た。
たまに父親に対する愚痴を口にするが、不在がちな父親に見せるための日記を、父親が出向いている国の言葉で一生懸命に書いていたし、帰国の日が近づけば落ち着きがなくなる程には、父親が大好きな様子であった。