因縁 74 開放
客室に入ったミシェールは、ヴィヴィアンナが居て、自覚したばかりの好きだという思いを思い出して、少し恥ずかしくなった。
ヴィヴィアンナが、並んだ隣りの椅子を勧めてきたので、怒られるのを覚悟でそちらへと、向かう。
エルバルトは、アンナジョリーと向かい合ってダンスの練習をしていたが、足を止めてそちらを向いた。
「シェリー、勉強を私情で休むのは良くないわ」
椅子に座って、上半身を捻って見上げてきたミシェールを、ヴィヴィアンナも、上半身をそちらへと向け、静かに嗜めた。
ミシェールは視線を合わせて返事をしてくる。
「はい」
「自分から勉強したいと望んだのよ。ミル様が手配して下さったの」
「はい」
「分かっていても、休んだのね」
「申し訳ございません」
目を見て返事を続けるミシェールに、ヴィヴィアンナが溜め息を吐いた。
「手を出して」
請われるままに、ミシェールの両手が手の平を下に、ヴィヴィアンナに差し出される。
眉を下げ、ヴィヴィアンナはその手を一度両手で包む。子供に手を出してと言うと、大体が両手を上に向け、何かを貰えるようにと揃えられる。それは与えられる事が当たり前としているように、ヴィヴィアンナは思え、下を向いた手の平が悲しく見えた。
自身の右手を上げて、パチン!とミシェールの手の甲を打つ。ミシェールは微動だにせず、ヴィヴィアンナを見詰めていた。
ミシェールの手を、手の平を上に向けさせて、左手で掴み、ヴィヴィアンナは右手を侍女長に向けた。
侍女長がトレーに乗っていた包み紙を渡し、ヴィヴィアンナはそれをミシェールの手の平に乗せる。
「オヤツよ。お腹が空いたでしょ?沢山歩いて、汗もかいたわね」
濡れたタオルを侍女長から受け取り、ヴィヴィアンナはミシェールの綺麗な額に当てた。
ミシェールは瞬きをして、ヴィヴィアンナと手の平を順に見て、口を開く。
「もっと怒らないのですか?」
「反省しているのに、これ以上怒る必要ないわ」
言いながら、ヴィヴィアンナはミシェールの髪の生え際、耳の裏、顎下をタオルで拭う。
手を差し出したままのミシェールの腕に触れ、そっと膝に降ろさせ、ヴィヴィアンナは穏やかに笑う。
「シモンの罰を軽くした事を覚えているわね?」
「はい」
「一応、私は大公妃だから、善意での行動だったとしても、私に危険な思いをさせてしまったの。本来ならシモンは騎士を辞めさせなきゃならない事だったのよ」
「え?」
「とはいえ、形だけの妃で、目撃したのは身内だけだったし、実害もなかったし、本人も凄く落ち込んで反省もしてたから、騎士団長には無理を言って、罰をかなり軽くして貰ったのよ。シェリーとバルにも頼まれてしまったし」
「辞めさせる程だったなんて」
思っていた以上に、シモンの罪が重かったと知り、ミシェールは愕然とした。
確かに少し怖い思いをした。落ちたら大変だったと思うが、周りには騎士達がいて、使用人はタオルを用意していた。だから、シモンの罪を軽くして欲しいと、ミシェールは願った。
自分達を楽しませようとしてくれただけなのだと。
軽々しく望んではいけなかった。とミシェールはその言葉を反省した。
俯いたミシェールの頭を、ヴィヴィアンナが撫でる。
「水の事故は怖いのよ。ドレスを着ていると特に危ないの。事故だとしても、シモンはリードを持っていたから管理責任があったの」
「はい」
「それだけの罪でも、罪は軽く出来たのよ。勉強を休んだくらいで、こんなに反省している貴女を、これ以上叱れだなんて、私には拷問だわ」
「ありがとう、ございます」
頭を下げたミシェールに、ヴィヴィアンナは身を乗り出してつむじに口付けをした。
「悪い事と分かってても、実行出来たのは、良い事よ。シェリーがそれだけ、甘えてくれている証拠だと思えて嬉しいわ。誰かを傷つけたり、貴方達が怪我をしなければ、もっと悪い事をしても良いの。応接室の貴重な物に落書きしたりとか」
「それはさすがにしません」
即答したミシェールに、ヴィヴィアンナがコロコロと笑い、椅子に座り直し、
「ミル様も、あれには落書き出来ないの」
そう言って再びコロコロと笑う。
ミシェールは頭を上げて、手に乗せられた包み紙を開く。
コロリとした砂糖菓子が出てきて、四つ葉の形をしていて、口に入れるとホロホロと溶けてなくなっていく。
「会えて嬉しかったかしら?」
ヴィヴィアンナに問われ、ミシェールは、シモンを見つけ出そうとしてた事を、気付かれていた事に気まずさを覚えながら、聞かれた事を反芻して、首を傾げて考え、口を開く。
「避けられてたと知れて良かったです。せっかく恵まれた職場なのに、仕事を放棄してるのかと、心配でしたので」
「そう。他には何か思って?」
「仕事はしてたようで安心しました。あと、勉強になりました」
「そう」
「私は、ヴィア様が好きなようです」
「まぁ。嬉しいわ。私も好きよ。愛してるわ」
ヴィヴィアンナが立ち上がり、椅子に座ったままのミシェールをそっと抱き締めると、エルバルトが近寄り、ヴィヴィアンナを見上げた。
その視線に気付き、ヴィヴィアンナはミシェールを開放し、膝を着いてエルバルトを抱き締める。
「バルも好きよ。いつまででも抱き締めていたいくらい、二人を愛してるのよ」
「ヴィヴィはすっかり母親の顔ね。二人にはお祖母様と呼んで貰わなきゃ」
アンナジョリーが愉快そうに笑い、
「あら、お母様、気が早いわ。正式に養子縁組するまでお待ちになって」
ヴィヴィアンナがエルバルトの頭を一度撫でて、立ち上がり小さく笑う。
お茶が机に並べられ、四人でお茶をし、ヴィヴィアンナは子供達を見る。
「シモンの罪でも、被害者の私、シェリー、バルが罰を望まなかったから軽く出来たの。貴女達の罪も同じよ。亡くなられた殿下のご両親であられる両陛下、私自身、私の両親も、貴女達を罰する事を望んではいないわ。だから罰なんてないのよ」
優しく言われ、ミシェールとエルバルトは小さく頷いた。
アンナジョリーが、それに続けるように言う。
「あの方の罪を忘れろとは言わない。その罪の重さで、身動きが取れなくなったら、銀のスプーンを思い出して。生まれ変われると、私達の託した思いなの」
二人が再び小さく頷くと、ヴィヴィアンナは怒ったように言う。
「だいたい罪を背負うとか、冗談じゃないわ。私、この事には少し怒ってるのよ。望んでもいない罰を、勝手に受けようだなんて身勝手だわ」
そして二人の子供に膨れっ面を見せた。
「すみません」
言って頭を下げたミシェールの隣りで、エルバルトも頭を下げた。
「だから、私も身勝手をする事にしたのよ。愛を沢山与えて、甘やかして、楽しい事を一緒にして、離れたくなくなるように頑張ってるの。だから、好きだと言われて、作戦が成功して嬉しかったの」
途端ヴィヴィアンナはにこやかに笑う。
母の罪を知ってから、ズンと重くのしかかってた物が、羽根のように軽くなり、ミシェールの手の平に下りてくるような錯覚がし、ミシェールはそれを掴まえるように、そっと両手で包む。そこには何もないけど、黒い鳥の羽根があるように、ミシェールには見えた。
重さはなくなっても、事実は変わらなくて、後ろ指をさされる事もあると分かっている。
手をそっと持ち上げ、ミシェールはその黒い羽根をパクリと口に含んだ。




