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「あーうー」言ってる間に人類が滅んだんだが

「あーうー」


 緑の斑点が浮かぶ爛れた肌。

 流れっぱなしの涎。

 裏返って白目だけが晒されている眼球。


 言葉にならない呻き声を上げながら、腐乱臭を纏い練り歩くソレは紛れもないゾンビである。

 獲物である人間を求めて荒廃した住宅街をただ彷徨う彼らに、人であった頃の面影はない。


 突如として世界中で出現した歩く死体は、人々を襲って少しずつその数を増やしていった。

 社会機能は崩壊の一歩手前であり、生き残った人の多くは政府指定の避難所に身を寄せ合って暗い面持ちでこの地獄が収束するのを待っている。


 そして当然ながら、俺も避難所へ向かおうとした。

 家族は元よりおらず交友関係も狭かったので、今は自分の身の安全だけを考えて行動を起こさなければならない。

 一刻も早く自衛隊や警察が駐在している避難所に辿り着くことが目標である。


 そう思い家を飛び出した俺に待っていたのは、考え得る限り最悪の状況だった。


「嘘だろ……避難所へ通じる道が全部防がれているなんて…」


 倒れた街路樹、崩壊した家の瓦礫、横転して動かないトラック。

 そういった障害物たちによって包囲されてしまっていたのだ。


 その気になれば体を張って乗り越えることはできる。

 だが、周囲をうろついているゾンビたちがそれを許してくれるとは思えない。

 息を殺してこっそりと探索して回ったが、瓦礫を乗り越えている間は目立つし無防備になってしまう。

 その隙を突かれてゾンビたちに襲われるというイメージは容易にできた。


 つまるところ、この近辺から出る手段がないのだ。


「くっ…どうすれば…」


 悔しさが滲む。

 こうして家屋の影に隠れてやり過ごすというのも、いつまでしていられるか分からない。

 このままではじり貧なのだ。


 周りをふと見回す。

 俺は今、二つの一軒家の間の細い路地で身を潜めている。

 もっといい隠れ場所があっただろうと自分を責めるが、混乱しながら安全地帯を探していたため、冷静な判断が下せなかったのだ。


 まず、どうにかしてここ以上に安全な場所を探さなければならない。

 そして次に食料を調達する。

 この二つの条件が満たされなければ、明日にはこいつらの仲間入りだ。

 そのためにはやはり武器になるものを探すべきか……


――こうして打開策を探していたその時、事態は急変する。


「あーうー」

「……!!」

 

 路地にゾンビが侵入してきたのである。


 幸いながら電柱の影に隠れているので向こうはこちらに気が付いていない。

 だが放っておけばヤツは路地を進んで来て、やがて俺の存在を知ることになる。

 そうなれば、へなちょこボディの俺では抵抗叶わず襲われてしまうだろう。

 しかし今すぐ逃げようにも、路地の外では無数のゾンビが歩き回っているので恐らく助からない。


「まずい…」


 こうしている間にも少しずつヤツはこちらへ近づいてきている。

 死へのカウントダウンのように響く足音に、震えが止まらない。


 逃げ場もない。

 正面突破も不可能。

 隠れることも出来ない。


「一体どうすれば……!」


 ヤツはすぐそこだ。


 あと三歩。


 ……二歩。



 一歩。




 そして俺は覚悟を決めた。


「あーうー」

「あーうー」


 ………


「あー、うー?」

「あ、あーうー」

「……」

「……あーうー」


 いける。


「あーうー…?」

「あ…あーうー」

「あーうー」

「あーうー」


 …………。


「………あっぶねぇー!!!」


 こうして脅威は去った。

 

 ヤツはこのまま路地を通り抜けて、どこかへ歩き去っていった。



 俺が土壇場で捻りだした作戦は、「ゾンビのフリ」だった。

 持ち得る演技力を全て総動員し、出来るだけ頭を空っぽにして、ゾンビたちの気持ちを考えながら演じた。

 その結果は、大成功である。


 途中、めちゃくちゃ疑われていた。

 凝視して来るし、訝し気に「あー、うー?」とか問い掛けてきたし。

 ゾンビに職質されている気分だった。


 何はともあれ、危機は乗り切った。

 ここからどうにかして生き延びる道を探そう。






 そして一週間の時が経った。

 俺は結局自宅を拠点にしながら生き延びていた。

 時折近くのコンビニに食料調達に赴き、腹を満たす。

 勿論その時はゾンビの物真似で道中を切り抜けていた。

 今でも心臓はバクバクしてるが、今のところは上手く行っている。




 一か月が経った。

 依然として同じような生活を繰り返しているが、少しずつ危機感が薄まっていくのを感じる。

 気のせいかもしれないが、ゾンビの物真似で街を歩いているときにふとゾンビから挨拶されているような感覚に陥る。

 たまにこちらを向いて体を揺らしながら「あーうー」と言ってくるし、それに「あーうー」と返せばどこかスキップ気味に去っていく。

 まあでも気のせいだろう。

 少し気を引き締めないといけないようだ。




 半年が過ぎた。

 最近は、特に用が無くても散歩と称して街を歩いている。

 近所のコンビニの食料が尽きたので、別のコンビニで食料調達をしているのだが、どこに行っても俺のゾンビ物真似は通用していた。

 あと、いつの間にかこの一帯の外に出られるようになっていた。

 少し前に台風が来て、その時に飛ばされてきた木々が上手く橋のようになって積み重なっていたのだ。

 でもなぜだろう、避難所へ赴く気にはならなかった。




 一年が過ぎた。

 近頃の日課は、お隣のゾン子さんとゾン太郎さんとの井戸端会議だ。

 ゾン太郎さんがいつも「あーうー」と可笑しなことを言って、それに対してゾン子さんが「あーうー」と華麗なツッコミを入れる。

 それを時折俺が「あーうー」と茶化すのがいつもの俺達の日常だ。

 因みに、最近この辺りでゾンビの真似をした人が現れるという噂を聞いた。

 きっとゾンビたちを倒すために機を見計らっているに違いないので、その時には俺が「人」の誇りにかけてこいつらを守ると決めている。




 三年が過ぎた。

 この頃、周りのゾンビたちが次々と亡くなっている。

 推測だが、死した後もバイオウイルスによって電気信号が送られ続け活動を続けていた彼らも、ウイルスによる細胞制御の効力が落ち始めてきて遂に腐食がそれを上回ったのだろう。

 悲しいことにゾン子さんが数日前に亡くなり、ゾン太郎さんが悲しみのあまり「あーうー」と呻いていた。

 そのゾン太郎さんも、ふと転んだ拍子に怪我を負ってしまい、明日にも土に還ることだろう。




 五年が過ぎた。

 周りのゾンビたちは全て消えた。

 ここ一年近く、ゾンビを目にしていない。

 暇つぶしがてらに付近の避難所もいくつか見て回ったが、ゾンビだけでなく人もいなくなっていた。

 見たところ襲われた形跡があったので、きっと殺されたのだろう。

 どうやら人類は絶滅ルートを辿ったっぽい。



 もういいだろう。

 そろそろいいだろう。


 いい加減言うぞ。


「なんでゾンビに物真似が通用するんだよっ!!!」


 おかしいだろ!

 ゾンビなんだからもっと何か別の器官で人を認識しろよ!

 なんでアホ面して「あーうー」言ってればゾンビ判定なんだよ!


 というか俺も俺で途中からやばかったぞ!

 誰だよゾン子とゾン太郎って…。

 普通に日常生活送ってんじゃねえよ!

 そういえばゾンビの前以外でもゾンビのフリしてた気がするし…完璧にやべーやつじゃん……


「で!?俺が物真似してる間に人類は滅んでしまいましたと!?」




――――俺はそれから残りの人生をすべて使って世界を旅した。


 日本は勿論、気合で船を作って気合で大陸に渡って世界中を歩いた。

 どうにかして生き残りを見つけようと全力を出したが、結果は惨敗。

 確認できる範囲では、人も人の痕跡も確認できなかったのでまあ絶滅といってもいいだろう。


 こうして失意と呆れのなか、生まれ故郷の日本に戻ってきた。

 自称ハンサムフェイスはいつの間にか皴だらけのボロ雑巾のようになり、髪は真っ白に染まっていた。

 ただ一つ、世界をずっと歩き回っていただけあって、肉体は健康体なのだ。

 ジジイの癖にボディービルダー並みの体格である。

 俺は当然ながらゾンビではないが、これはこれで人体の摂理に反している気がする。



 そうこうして辿り着いたのは、やっぱり自宅。

 少年時代を過ごし、ゾンビ達に囲まれながらも過不足なく暮らした思い出の地。

 もう老朽化で倒壊してしまっていたが、この場所が戻るべき土地であることが確かにわかる。



 ボーっと暮らしてたらゾンビパンデミックが世界中で起こっていてびっくり。

 「あーうー」言ってたら人類滅んでてびっくり。

 世界中を旅して帰ってきたら、老人の癖にブ〇リー体型でびっくり。


 まったく理解に苦しむ人生だったが、やっぱりこの言葉で締めくくられるべきだろう。


「あーうー」


 なんてな。


 と、呟いた時である。


「あー、うー?」


 ふと背後から声が聞こえた。

 振り向くとそこには、在りし日のようにこちらを疑り深く見つめるゾンビの姿が。


 まさかと目を擦り再び確かめると、不思議なことにそこに立っていた筈のゾンビは消えていなくなっていた。


 どうやら幻覚が見えていたようだ。


「…俺にも迎えが来たみたいだな。随分と遅いお迎えだが」




 こうして、「あーうー」とか言っている間に人類は滅んだのである。


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