彼としては本望
私達人類が、文明の遅れた知的存在を<蛮族>と見下してきたことがあるのは歴史的な事実です。
ですが、だからと言って、
『人間こそが愚かな種族だ』
と言うのも違うと私は思います。
過去の過ちから学び自らを高めていくために行う<自省>と、自らを貶める<卑下>とは似て非なるものです。
私達はそれをしっかりと理解しなければいけないと考えています。
むやみに他罰的なのは軋轢を生む原因ですが、かと言って過度に自罰的なのも問題解決を遠ざけるだけでしょう。
重要なのは物事を客観的に捉え、冷静に分析することでしょうね。
なので、私達はこの世界において自分達がどうあるべきかを論理的に望まなければと心掛けているんです。
獣人達には、今、文明が芽生えつつあります。それに対して私達が過度に干渉するのは好ましくないと思いつつも、同時に、私達もここで生きていかなければなりません。
存在するだけで互いに影響を与え合うのはむしろ生物として自然なのことですので、多少の影響を与えてしまうことまでは過度に気にし過ぎず、同時に、意図的に、彼らを<蛮族>と見下して私達の望むままに変えてしまうことは控えたいと思っているんです。
ま、要するに、
『私達が慎ましく生きていく上で多少の影響を与えてしまうことまでは気にしないようにする』
ということですね。
『だったら<よろずや>をやってることはどうなんだ?』
と言われるかもしれませんが、彼らにもバンゴのような<まじない師>という役目を持った者がいることで、すでに、<職業>的な存在についての概念があり、バンゴに<まじない>を行ってもらう代わりに<謝礼>のようなものを差し出すという習慣はあるので、それと似たようなものであると解釈できるんじゃないでしょうか。
もっとも、それを『詭弁だ!』と言われればその通りですが。
でも、たとえ詭弁であっても私達にはある種の<線引き>が必要なのは事実だと思うんです。でないと、この世界にとって<異物>ともいえる私達は、排除される側でしょう。
獣人達に受け入れてもらいつつ、彼らと程よい距離感を保ちつつ、私達はここで生きていかなければいけません。
そのためには彼らに対してある種の<メリット>も提供するのがコツだと少佐は考えていますし、私もそれに賛同しています。
……相堂伍長は何も考えてなさそうですが。
まあでも、彼は彼なりに放っておいてもここで逞しく生きていくでしょう。獣人達と戦ってそれで命を落としたとしても彼としては本望みたいですし。




