無世界
いつもと同じ、日常。体育の時間。50mを並んで走る生徒達。
それを横切ろうと走る。タイミングが悪かったのか・・・
走ってきた奴とぶつかりそうになった。僕はとろいな・・・。
鐘がなって授業の終わりを知らせる。校庭の砂の上にいた生徒達が水道のある方へと
移動して行く。5ヶ所しかない蛇口の前に列を作って、汚れた手や膝を洗う。
真夏だから、冷たい水が気持ち良い。水道から離れ、僕はその景色をボーっと眺めていた。
周りを見渡すと、数名の女子生徒が近くから、遠くから・・僕を見ていた。
あざ笑うような視線、気持ち悪がるような視線で。
「アンタ、女の癖に・・気持ち悪い。男みたいにしちゃって」
声の主はポニーテールの女の子。なんか・・腹が立った。
「・・お前ブサイクだな。性格が全部顔に出てんだよ」
言ってやった。悪態をついて、背を向けて、僕はその場を後にした。
次の時間は移動教室だった。自分のクラスとは違う別のクラスに、僕は向かった。
同じクラスの仲の良い生徒が、先に座って雑談している。僕が席に着くと、会話が止まる。
「おっすー!前さ、一回だけこの時間一緒だったよね~」
・・・・何の話をしているのだろう? 訳がわからない。
・・そういえば、この選択授業って確か同じ人達と当たるってのは滅多にないんだっけ。
ふと気づく。また嫌な視線を周りから感じる。のん気に会話をしている場合じゃない・・・。
「あぁ、そうだね」
適当に返事をして、席を立つ。
「保健室・・行ってきます」
小さい声で教卓に立つ女性に呟いてから、僕は教室を出た。
空き教室の黒いカーテンを盗んで、体にまとった。女子の制服・・女の体・・・。
嫌で嫌で、黒一色で覆い隠した。塗りつぶした。マントのようだ。
“僕”を包む闇色のマントは、歩く度にひらひら揺れて、なぜかそれがかっこ良く思える。
まるで全てを闇で固めて生きている、魔王になったような・・そんな気分。
―この場所に『僕』を受け入れてくれる存在は皆無だと思った。
静まり返る廊下。窓ガラスを睨む。『女の子』の姿をした、自分が映る。
数分“それ”と睨みあって、拳を握る。唇を噛む。目を瞑って歯を食いしばって・・
握った拳を思いっきり窓に振り下ろしてガラスを割ってやった。
誰か来るかもと思ったけど・・幸い誰も気づいてない様子。
誰かに見つかったら、弁償しろとか・・グダグダ言いやがるんだろうな。だけどさ。
―僕の心は、こんなもんじゃない。もっと酷い。だから同じように壊してやったんだよ。
粉々に壊れた、ズタズタに切り刻まれた僕の心に比べたら、価値なんかないね。
叫びたくなる狂いそうな感覚を押し込めて、僕はまた、学校の中を彷徨い歩く。
階段を上がって、保健室が見えてきた。戸が丁度開いて、教師の姿がチラっと見える。
「あ・・・」
僕は足を止めた。
あぁ、そうか。この場所に来ても『僕』を受け入れてくれるような、そんな理解力のある人間など・・いはしないんだったな。
僕の“これ”は誰にも解りなんかしないんだ。解ったフリする人はいても、本当に心の奥底から解ってくれる人なんて・・僕と同じ種類の人間だけだ。
でも・・他人と馴れ合うのは好きじゃない。あぁ、そしたら独りぼっちだな。
まぁいいけどさ。もう独りは慣れたよ。
このまま独り、闇の中の・・何もない無の世界を生きているさ。
<ジリリリリリリ>
・・・あれ?
目を開けたら、全く別の世界だった。布団に横になっている僕。ゆっくり体を起こす。
・・なんだ、夢か。眠い目をこすって、立ち上がる。
顔を洗って、コーヒーで一息ついて、歯を磨いて・・・。
さて、今日も『僕』を隠して、“僕”で・・辛いけど頑張ろう。
― 物語が終って、また僕の本当の日常が始まった。