閑話:早乙女さんはイモータル・前編
やばい。
「おいしいおいしおいしおいしい!」
「はははミオさん、急ぐと喉につまらせますよははは」
こんなのはマンガの中の話だと思っていた。どうにか平静を装って笑ってみるが、もう長くはもちそうにない。姿勢を変えたり腰を浮かせてみたり、あらゆる手を駆使して抑えても五分が限界だろう。
イモを食っただけでまさか、こんな……。
どうしよう。
「おいしいおいしおいしおいしい!」
「はははミオさん、急ぐと喉につまらせますよははは」
こんなの、小説の中のお話だと思ってた。語彙を『おいしい』だけにして、その分の神経を下に回してるけど、きっと長くはもたない。『お』しか言えないところまで削ってガマンしても五分が限界かも。
おイモがおいしいだけでこんな、まさか……。
――一時間半前――
「それでですね、モッツァレラゲームで決着をつけようということになったらしいんです」
「モッツァレラチーズ! ってどんどんテンションを上げながら言っていくゲーム、だっけ?」
何かと暑くそして熱かった九月も終わり、十月に入った。何気ない会話をかわす祝日の朝のおとももアイスコーヒーからホットコーヒーへと変わっている。ちなみに今日の俺は休日出勤ではなく、年間休日数とカレンダーのズレから生じるれっきとした出勤日だ。
「でも実はその日、大山さんはひどい二日酔いでチーズを想像するだけで吐きそうなくらいで」
「えー……。それで?」
「一計を案じた大山さんはモッツァレラをそれとなくモーツァルトに……」
前職場の係長だった大山さんがモッツァレラゲームに挑んだ話を、ミオさんはこくこくと頷きながら聞いてくれている。俺もやったことはないけどミオさんもきっと未体験だろう。ひとりではできないゲームだし。
「と、こうして大山さんは奥さんを射止めたわけです」
「へーー!」
「それで……。あ、そうだ忘れてました」
「どうしたの?」
「俺の実家から宅配便が届いたんでした」
「お、なになにー?」
暦上は秋も折り返す今日このごろ、空は高く山は紅くサンマはあんまり安くならない中、俺の家にも小さい秋がやってきた。すっかり涼しくなった廊下から抱えてきたダンボールを、ミオさんは興味深げに見つめている。
「からいもの詰め合わせです」
「からいもの、つめあわせ」
「ミオさん」
「からいもの……」
ミオさんが遠い目をしている。
「何かすれ違いがある気がするので付け加えますが」
「へ?」
「唐芋っていうのは、九州の呼び方でサツマイモのことです」
「イモ」
「芋です」
「キャロライナの死神じゃなくて?」
「命を刈り奪る形はしてないやつです」
「よかった……」
「ありましたね、そんなことも」
三ヶ月ほど前だったろうか。長きに渡るミオさんの家の片付けが完結を迎えた日、ふたりでカフェ飯とやらをしに行ったことがあった。
なぜかそこに世界最強のデスソース『キャロライナの死神』が置かれており、ミオさんが好奇心で使ってえらいことになった。その後がミオさんと村崎の初対面だった気がする。
「この手のすれ違いを放置すると、思わぬ方向に向かう気がしますからね」
「そうなの?」
「そうなんです」
過去の経験から来るノウハウを語りつつ、ダンボールを開封する。中身を覆う新聞紙をどけると、土と蜜の香りがふわっと舞い上がった。
「白いサツマイモ?」
「黄金千貫です。でんぷんが豊富で甘いイモなんですよ」
黄金千貫。
皮は白く中はほんのり黄色い。九州の、特に熊本や鹿児島あたりでよく見かける芋だ。子供の頃に芋ほり遠足で掘りに行った記憶がある。芋焼酎に使うのもこのイモだったはずだ。
そんな懐かしいイモがダンボールにぎっしりと詰まっていた。二十本ほどはあるだろうか。
「いっぱいあるねー」
「土屋と村崎にも分けてやりますかね。ミオさんの職場にも好きそうな人がいれば持っていきますか?」
「映画を貸してくれる部長さんが好きって言ってた」
「ああ、あの得意先の」
「そう、あの……地下……ぁ、ば……」
「はいミオさん、吸ってー」
「すー」
「吐いてー」
「はー」
「大丈夫、大丈夫ですよー。ここは地上六階ですよー」
「あばばば……」
この前貸してもらった地下室ホラーを観てから、地下へ向かう階段を下りられなくなったらしい。排水溝に人食いピエロが出る映画を観て配管工をやめた人がいるという話があったし、同じような感じなのだろう。
おかげで東京なのに地下鉄が使えない不便を強いられているミオさんである。
「あぶなかった……。心が地下に囚われるところだったよ……」
「おかえりなさい」
「ただいま……」
もっとも、なぜそこまで深く心に刻まれてしまったかといえば。
クセになる怖さで、ついつい四回も観てしまったからなんだけども。そこまでハマっておいて部長さんを恨むわけもいかないから難しいところだ。
「じゃあ、部長さんに少しだけ持っていくね」
「はい、あとで包んでおきますね」
「……お返しで怖い映画が来たりしないかな」
「大丈夫ですよ。まさかサツマイモのホラー映画なんて無いでしょうし」
「だよねー」
サツマイモのホラー映画なんて、まさかまさか。
「……無いですよね?」
「無い、はず……」
「それとなく伝えてください。次はコメディかアクションがいいって」
「そうする」
「というわけで、お昼時ですし何本か食べましょう。イモの時間です」
「イモの時間!」
心配の種はあれど、目の前には秋の味覚の代名詞があるのだ。さっそく食べなくてはもったいない。
大きめのを三本ほど取り出し、テーブルに置いた。
「よく見るとちょっと黄色いんだね」
「黄金千貫と呼ばれるゆえんですね」
「どうやって食べるの? 焼きイモ?」
「焼きイモも悪くはないんですが……」
黄金千貫はちょっと水気が少なく、ホクホクと粉っぽいイモだ。普通に焼いても安納芋や紅はるかのようなねっとりしっとりした感じにはならない。
「そうなんだ?」
「そんな特徴を活かせる料理がいろいろあるんですよ。見ててください」
じゃがいもと違い、サツマイモの皮や芽はそのまま食べることができる。土が残らないように丁寧に水洗いして、一本は大きく輪切りにして塩水といっしょに炊飯器に入れてスイッチオン。
一本はスティック状の拍子木切りにして日の当たる場所で軽く水気を飛ばす。残り一本は大きめの乱切りにすれば、下ごしらえは完了だ。
「これは何作ってるか私にもわかる」
「ですよね。水気を飛ばしてる間に洗い物しちゃいますね」
イモを切った包丁やまな板はイモのアクでベタベタだ。これを乾くまで放置すると簡単には落ちなくなる。使ってすぐに洗うのが賢明だ。
「サラダ油を薄く塗って、少し置いてから洗剤で洗うと簡単に落ちるんですよー」
「あー、そっか! 固形樹脂だから液体の油に溶かしてから界面活性剤で落とすんだ!」
「……あー、はい、そうそうそうなんですよー」
マーケティングの仕事柄か、ミオさんは化学や技術にもかなり明るい。唐突に専門用語が飛んでくるから油断していると火傷する。
そうこうしているうちに二十五分が経ち、一品めが出来上がった。
「おー」
「はい、ふかし芋です」
イモを塩水で蒸しただけの、原点にして頂点ともいえるイモ料理。ホクホク感の強い黄金千貫には焼きイモよりもこっちが合うのだ。
「あっつ、あっつ!」
「気をつけてくださいねー」
「あまっつ!」
「甘いんですね」
ミオさんがゆっくり食べている間に 二品目に取りかかる。使うのはスティック状の方だ。
一時間弱の乾燥では足りないかと思ったら、天気の良さが幸いした。表面がほどよく乾き、白い粉をふいている。ちょうどいい。
「鍋に揚げ油を入れて……」
温度は低めが基本だ。サラダ油の入った鍋を火にかけ、均一な温度になるのを待つ。
「ここに一気に投入」
大きいイモだったので二回に分ける。スティック状にした黄金千貫の半分を、一気に油へ。ここで時間差ができると出来上がりがムラになってしまう。
「弱火でじっくり、っと」
「カリカリの匂いがする……」
「お、ふかし芋は終わりました?」
「すごかった」
「それは何より」
何がすごいかといえば、すごく美味しかったのだろう。喜んでもらえたようで何よりだ。
「じゅわじゅわいってるねー」
「一〇分ほど揚げないといけないので、その間にこっちを煮詰めます」
別の鍋にグラニュー糖と水を入れ、これも火にかける。飴状になるまで焦げないようにかき混ぜながら水分を飛ばしてゆく。
「イモが揚がったらすぐにこれを絡めます」
「後から絡めるんだ?」
「ええ。先に揚げておいて次に飴を作ってもいいですよ」
「天ぷらみたいに、お砂糖の衣を付けて揚げるんだと思ってた」
「んー、多分ですけど」
「うん」
「黒塗りのイモ棒になりますね」
「黒塗りのイモ棒」
先に砂糖が焦げてえらいことになるだろう。というか下手したら火を吹くかもしれない。
ミオさんがひとりで試みなくて幸いだった。
「さ、揚がりましたよ」
イモの油を切り、ちょうど飴のようになった鍋へ。砂糖と絡めて、クッキングシートを敷いた皿に広げるとイモと飴で二重になった甘い香りが部屋に広がった。
「はい、完成です」
「芋けんぴ!!」
「水気が少ないからカリッカリに仕上がってますよ。揚げたてともなればまた格別です」
「おー!」
「ただ」
「あっっっっつい!」
「……砂糖で保温されてるせいか、見た目より冷めにくいので気をつけてください」
「おいひい……」
「麦茶 or ほうじ茶」
「むひひゃー」
「ムヒ茶ですねー」
作りたてを冷たいお茶といっしょにカリカリするのが大正義だ。そろそろ麦茶も終わりの季節、名残を惜しむように二人でカリカリする。もう一品あるので、半分くらいは残しておいて明日のお茶請けにしよう。
次の料理もレシピ自体はシンプルだ。それだけに小さなミスが大きく響く。注意深くレシピを思い返していた俺は、腸の発する警告に気づくことができなかった。
(後半へ続く)





