早乙女さんはいっしょに食べたい
「上期が……上期が終わるよ……。上期が終わるんだよ松友さんただいま……」
「はい、おかえりなさい。今週も、いやほんとに頑張りましたね」
ただでさえ期末の忙しい時期に、なぜかかぶった実家のリフォーム。圧縮された仕事量は確実にミオさんをむしばんでおり玄関の段差を上がることすらままならない。
「ゔぅ、息をするのもつらい……」
「ほら、ふーちゃんも待ってましたよ。えらいねーって」
ミオさんからカバンを受け取り、代わりにぬいぐるみのふーちゃんを渡すとその場に溶けた。白いお腹に顔を押し付けて思い切り吸っている。
「きく……喫ふーちゃんがきく……」
「喫ふーちゃん」
「五臓六腑にじわってくる」
化粧品をつけないよう器用に避けている辺りに慣れが見える。
裕夏や、あと千裕姉も子供の頃にやっていたし、なぜ人はぬいぐるみを吸うのだろう。
「松友さんはアカイさんを吸ったことないの?」
「ありませんよ。一回しか」
「そっかー」
「何しろタコなので吸うと生臭くて」
「そっかー」
「……吸盤もあるから逆に吸われちゃうんですよね」
「だよねー」
相当にお疲れなようだ。明日も必要ならころちゃんも合わせたダブルにしよう。
一番効きそうなあーちゃんは、お腹に機械が入ってるから喫ぬいぐるみには向かないと前に言っていた。
「ほら立って。今日は……ご飯からですね」
「ごはんー」
「今日のおかずはですね」
「どんな大豆ー?」
あまり吸って中毒になられても困るしスーツに毛が付くので、一度手放してもらう。
ふーちゃんを追ってふらふら着いてくるミオさん。そんな雇い主を寝室へ誘導しつつ献立の説明をする。これで給料をもらっているのだから本当に人生は分からない。
そんなことを考えつつ、俺は満を持してミオさんの問いに答えた。
「サンマと栗ご飯です」
「さ」
「ンマです」
「旬の。栗の」
「今年は漁獲量が少ないらしくて高かったです」
「あの、脂……」
肉祭りを経て、また豆腐中心の食生活だったところに沸いた季節の味。
それに戸惑うのは分かる。
でも、今は秋なのだ。そしてミオさんはお仕事を頑張って疲れはてているのだ。
「いいですか、ミオさん」
「うん」
「ダイエットは、幸せになるためにやるんです」
「幸せ……?」
「ミオさんが不幸になるくらいなら中断したっていいんです」
「ま」
「ま?」
「松友さんが優しい……!」
「あの、俺をなんだと思ってます?」
「大豆の人……」
「ハム的な」
「ハム好き……」
「おいしいですよね」
「生ハム……つちやさんちの生ハム……」
「まだあるそうですよ。落ち着いたら理由をつけて食べに行かせてもらいましょう」
「ハムー……!」
村崎の家でも少し話に出た生ハム、かなり頑張っているらしいがまだ半分近くあるらしい。七月に買ったと聞いているし、三ヶ月経った今なら熟成して食べ頃だろう。
「ひとまず今日はサンマです。焼きたてを出しますから着替えてくださいね」
「着替える……!」
「お味噌汁は秋茄子ですよー」
ミオさんが寝室に消えたのを確かめて、ラップしておいたバットを取り出す。
中身は捌いたサンマに薄切りにしたタマネギ、そしてふたたびの秋茄子。それをバルサミコ酢ベースの合わせ調味料に漬け込んでおいた。
「サンマのマリネをガラス皿に盛って、と」
砂糖を減らしてみりんを入れ、少しだけ昆布だしを加えてある。洋風料理のマリネも、こうするとご飯や味噌汁ともケンカしない。
「で、と」
魚焼きグリルに火を入れる。豚のかばやきで使うために念入りに掃除したからまた使いたくなった、というのもサンマを選んだ理由だったりする。
マリネに刺身、唐揚げにすり身焼き。サンマの食べ方もいろいろある中で、原点にして頂点と言えばやはりこれだ。
「塩をしておいたサンマのしっぽを切り落として、と」
こうしておくと焼いて身が縮んだ時に骨からはがれるので、後で食べやすくなるのだ。
頭からしっぽまで、包丁が骨に当たるように切り込みを入れておくという方法もある。焼いた後、背中を丸ごと引っこ抜いてヒラキ状態にできるので子供でも食べやすい。
ミオさんは子供じゃないからやらないけど。そう、ミオさんは子供じゃない。
「で、グリルに投入、と」
ミオさんが大人のお姉さんだと自分に言い聞かせつつ、二尾のサンマを予熱しておいたグリルへ。
この予熱が意外と重要だ。旨味を逃がさず焼き上げることができる。
「このサイズなら一〇分くらいかな」
待っている間に味噌汁をあたため、栗ご飯の具合を確認。
ちょうどグリルのタイマーが回りきったところで、ミオさんの寝室のドアが開いた。
「松友さん?」
「なんですか?」
「テーブルのこれ、なーにー?」
「サンマの骨せんべいですよ」
サンマは実は骨まで美味い。
内臓を抜いてカラッと揚げれば骨ばかりか頭まで食べられるくらいだ。一度だけ試したことがあるが、サンマの頭は旨味とDHAの塊だった。
「骨のおせんべい……」
「マリネを作った時に出た骨を揚げたものです。見た目以上にカリカリしてますよ」
「してた」
「早い」
もうためらいは無いらしく。物珍しそうに木皿の骨せんべいをポリポリしている。
「さ、あとはご飯の後です」
「サンマー!」
「と、栗ご飯です」
「おおぉぉぉ……」
グリルから出したサンマを皿に移し、大根の先っぽのほうをおろしたやつを添えて。
マリネと味噌汁を添えて食卓に並べれば、これで国際秋定食だ。
「ま、松友さん! はやくたべよ!」
「はいはいはいはい」
魚の臭いが家に定着しないよう魚焼きグリルを冷却し、すぐさま食卓へ。
熱と共に秒単位で失われゆく秋の味覚をこれ以上損なってはならない。
「いただきます!」
「いただきます」
まずはやはり塩焼きだ。野菜が先が体にいいと人は言うが、刀は熱いうちに打つものだ。
「うお、脂が!」
みりんを塗ってほどよく焦げ目のついた皮に箸を当てると、パリッと軽い手応えとともにジワリと脂がにじみ出す。背中の身を切り出して口に入れた瞬間、ほろりと溶けるほどの汁気が米と絡んで口に広がった。
サンマは脂の多い魚だが、頭のすぐ後ろから盛り上がるほどに脂ののったやつはなかなかお目にかかれない。この脂っこさが苦手という人もいるが、ミオさんはどう「ウンまぁああ~~~い!!」よかった。
「豚の生姜焼き以来のリアクションでしたね」
「秋だよ……秋がきたよ松友さん……。まだちょっと夏っぽいのに一ヶ月くらいは先に進んだよ……」
喜んでもらえたようで何よりだ。
今日の語彙力はまだ生きてるようで、さらに何よりだ。
「時が進むほどですか」
「進んだ。サンマ一匹で一ヶ月くらい進んだ」
「秋茄子と栗も合わせたら三ヶ月進みますね」
「とてつもなく秋になるよ……!」
「冬ですね」
「冬」
今は九月。九+三したら十二月である。
「それにしても、栗ご飯がうまくできてよかったですよ。意外と難しいんですよね、生栗を剥くのって」
「甘栗みたいにいかないの? ぱきっ、って」
「それは自然界で生きていけない強度ですね」
「そっかー」
他愛もない話をしていたら、ミオさんが何かを思い付いたようにスマホを取り出した。
「どうしました?」
「きらんちゃんと今日はお話しできてないから、これの写真撮って送ろうかなって」
「いいんじゃないですか。村崎もひとりの食卓でしょうし」
誰かと食べる飯はいいもんだと、ミオさんに雇われた六月から痛感するばかりだ。たとえスマホごしでも、誰かと繋がりながらの食事は味が違う。
「お?」
「返事きました?」
「『ありがとうございます』って」
「さすがにシンプル。さすがのシンプル」
「きらんちゃんのメッセージって無駄がないよねー」
「そういえばビジネスメールは苦手でしたね」
意外と定型文とか多いからな、ビジネスメール。
「つちやさんちに生ハム食べに行く時はきらんちゃんも来てくれるかな」
「うっ」
「松友さん?」
「ああいえ、生ハムメロンパンを想像して」
さすがの村崎もそこまではしないだろう。
しないよな?
「うっ」
「とりあえず、食べちゃいましょうか」
「そだね」
このあと一応検索してみたところ、あった。
生ハムメロンパンは実在した。
意外といけるらしいので、村崎の見舞いに持っていってやろうかと思う。
なぜ人はぬいぐるみを吸うのだろう。妹もぬいぐるみを吸っていた黄波戸井ショウリです。
投稿直前にいい描写を思いついて書き直してたらこんな時間。
具体的には芋ご飯を栗ご飯にしました。嘘です。
今年はサンマが不漁でかなしい。





