早乙女さんは知らない
「おう裕夏、届いたか?」
『届いたー。中のデータ、見とらんよね?』
「見てないって」
肉祭りを終えて一日挟んだ火曜日の夜、スマホ越しに聞こえるのは半月ぶりの妹・裕夏の声。先週送った、復元したスマホのデータが入ったメモリカードが無事に届いたという連絡だ。
お盆に水没させたスマホを預かって、わずか二週間足らずでデータを返せたわけだ。土屋がネットで見つけ出したという例の業者は本当に神がかった技術をお持ちだと思う。
『見とらん? ほんとに?』
「本当だって。見られたら困るものでもあるのか?」
『環くんとのキス写真とか……』
「おい誰だ。誰だそいつ」
裕夏に告白し、ばあちゃんの実家まで巻き込んでの騒動を起こした男子小学生はそんな名前じゃなかったはずだ。こいつ、いつの間にそんな男を。
『おっけ、ほんとに見とらんっちゃね』
「は?」
『こっそり見とったら、男の子との写真が無いことくらい知っとるやん?』
ちなみに環くんは友達の家の猫らしい。オスのソマリだそうだ。
「お前、いつからそんな頭脳戦をやるようになった? まるで高校生だぞ」
『にーちゃんってウチのこと小学生と思っとらん?』
「正直思ってる」
『早乙女さんににーちゃんが子供の時の写真ば送ろうか? 姉ちゃんの服ば着せられとるやつとか』
「お前には人の心がないのか」
姉がいる家の宿命がにくい。
『てか早乙女さんとはどげん? 仲良くしとる?』
「まあ、ぼちぼちな。ちょっと実家に帰る準備があるとかで話す時間は減ってるが」
千裕姉には、ミオさんがニセ彼女だとバレていたそうだが。おそらく裕夏は気づいていないというか、単純に疑っていない様子だ。
『早乙女さんの実家ってどこっけ?』
「大都会横浜」
『横浜三千人衆とかおる?』
「唐津市と横浜市の人口差を考慮するな。いねーよたぶん」
唐津三百人衆の若頭、ケンさんとの交流は続いていると千裕姉から聞いている。この前の週末、俺たちがうなぎ絶滅回避のためにうなぎを食べていた日にもケンさんが家にやってきたそうだ。
『でも、そしたら実家ってすぐそこやん。帰る準備に何日もかかるん?』
「まあ、いろいろあるらしい」
『ねえにーちゃん』
「なんだ」
『それ、お見合いやったりせん?』
「……いや、それはない」
『にーちゃん、お見合いってだいたいちょっと年上でお金持ちな男の人が来るんやって」
「それがどうした」
『どんまい』
「負けを前提に話すな。そもそもお見合いはありえん」
これは感情的な否定でなく、契約の問題上ありえないことだ。
もしも、もしもの話でミオさんがお見合いをして、その相手と結婚ないし交際に至ったとして。
そうなれば当然、俺を雇い続けるのは難しくなるだろう。つまり俺を解雇する必要が生じるわけで、そういうリスクがあるからには必ず事前に説明があるはずだ。契約に生きるマーケターのミオさんに、そういった部分で抜け漏れがあるとは考えづらい。
……という話を、ミオさんを雇い主だと知らない裕夏にはできないわけで。
『にーちゃん、現実逃避は虚しいだけよ?』
何やら勘違いをされている。だが妹は分かっていない。
世の中、金を持っている方が強いということを。
「今年のお年玉は五割カットな」
『は!?』
「思い知ったか大人の力」
『あー、ウチ、にーちゃん大好き! かっこよくて頼りになるにーちゃんがおってよかったー! ……えっ、あっ、ねーちゃん、これは違くて、そうやなくて』
いいタイミングで千裕姉が鉢合わせたらしい。見え透いたお世辞を言うからこうなるんだ。
まあ、少しは懲りたろうしお年玉は満額支給にしといてやろう。
「じゃあ裕夏、どうせ宿題もまだなんだろ。もう切るからきちっとやれよ」
『分かっとるし!』
「あ、ところでミオさんにまた会いたいか?」
『え? 会いたかよ? ……あ、だから違うとってねーちゃん! 今のはにーちゃんにやなくって』
電話を切るまで裕夏の弁解は続いていた。どうやら松友家は相変わらずらしい。
「まったく裕夏め……。ミオさんがお見合いとかありえんだろうに。ありえないよな?」
契約を重視するミオさんだからそこは大丈夫なはずだ。
でも本当にミオさんお見合いをすることになったなら。雇い主と従業員という関係上、俺から言えることは「がんばってください」と「おめでとうございます」しかない。ほぼ毎日いっしょに生活しているというのに、だ。
「いや、ないない。ないことを考えても仕方ない」
当のミオさんはといえば、今日も実家シミュレーションに奮闘中だ。家でひとりがんばっていることだろう。
ここはひとつ、差し入れでもしてあげようか。そんなことを考えていたら机の上のスマホが震えだした。
「……うん?」
ミオさんか土屋か。かけてくるとすればそのどちらかと思っていたところに、予想外の名前が表示されて通話開始の手が止まった。
『渡瀬 未華子』
ミオさんの小学生時代の元・親友。大事にしていたぬいぐるみを奪い、ミオさんを裏切ってトラウマを植え付けた張本人の名前が画面に光っていた。
「間違い電話か? いや……」
ワンコールならともかく、これだけ鳴っているなら俺に用があってのことなのだろう。
疑問は尽きないまま、俺は通話開始ボタンをスライドした。
「はい、もしもし」
『夜分遅くに失礼。マツモトさんよね?』
「松友です」
『紛らわしいわね』
久々にされた気がする、この間違い。
「どうしたんですか急に。今さら俺に用事もないでしょうに」
『用事があるからかけたんですけど?』
「そりゃそうだ。で、どんな?」
俺個人が渡瀬未華子に何か恨みがあるわけじゃない。でもつい二ヶ月前にミオさん絡みで知り合い、完全なる喧嘩別れを果たしただけに会話はどうしても刺々しくなる。
さすがに恨み言を言うために電話したわけじゃあるまい。そうは思っていたが、出てきたのは予想外の単語だった。
『ミオの家がリフォーム中なの、あの子は知ってるのかと思って』
「リフォーム?」
『早乙女さんちは築三十年以上だもの。別に不思議でもないわ』
俺の両親は早世したからあまりピンとこないが、二十八歳のミオさんの両親となればきっと定年間近だろう。老後に向けたリフォーム、といったところか。
「それを知らせるためにわざわざ?」
『質問に質問で返さないで。それで、どうなの? あの子って実家にもほとんど帰ってないみたいだし、知らないうちに私物とか捨てられても困るでしょ?』
ミオさんからそんな話を直接聞いた記憶はない。でも、タイミングからして間違いないだろう。
「近く実家に帰るって言ってましたよ」
『そう。ちゃんと連絡は行ってるのね』
「はっきり聞いてはいませんが、おそらくは」
『電話代、損したわ』
「……でも、なんでですか?」
『何がよ』
「わざわざ俺を通して、そんなことを知らせてくれた理由ですよ」
『わざわざって、私があの子の電話番号なんて知るわけないじゃない。手紙でも書けっていうの? 同窓会のハガキは転送で行ったみたいだけど』
「ごもっともで」
手紙で「おまえんち今度リフォームするんだけど知ってる?」って届いたらと思うと不気味を通り越してシュールだ。
『……別に、大した理由があったわけじゃないわよ。仮にも四年くらい毎日遊んでた相手なんだから、そのくらい知らせたっていいじゃない』
どうやら本当に小さな善意らしい。意外というか、いや、意外だった。
「疑ったのは悪かったですよ。どうします? ミオさんに代わりましょうか?」
何か裏があるならともかく、親切に知らせてくれたのだ。実家に帰るなら近くに行くわけだし、仲直りに悪いタイミングでもないだろう。
『は? 冗談言わないで』
と、思っていたのは俺だけらしい。
『今さら何を話せって言うのよ。ぬいぐるみは返したでしょ』
「そりゃそうですけど。いいんですか?」
『だいたいね、あの子まだ早乙女姓ってことは未婚でしょ? 女はね、結婚と出産を過ぎたら話題なんて何一つ合わなくなるわよ』
「それはまた極端な」
『とにかく、あの子がリフォームのことを知ってるならそれでいいわ。もう切るわよ』
「まあ、それでいいなら」
『いいのよ。じゃ、おやすみなさい』
「おやすみなさい」
本当にそれだけ言って、渡瀬未華子、いや、今は石島未華子か。ミオさんの幼馴染は電話を切った。
「……まあ、人間ってのは多面的なもんだよな」
悪だけの人間も、善だけの人間もいない。当たり前といえば当たり前のことだ。
二十四歳にして、何か大切なことを学んだ気がする。
「リフォームに向けた荷物の運び出しだとすると、かかって二、三日とかかな。何週間とかじゃなくてよかった」
数日程度なら、ミオさんもご実家シミュレーションを頑張っているし乗り切れるにだろう。帰ってきたら甘いものを用意しておこうか。プリンとか。
これでミオさんの件は少し安心できた。となると、あとの問題は。
「うん?」
そんなことを考えていたら、またスマホが震えた。今日は電話の多い日らしく、今度の相手は見慣れた名前だった。
「もしもし土屋か? どうした」
『マッツー、早とちりせんように先に言っとく。命に別状はなか、なんならもう家で寝とる』
「おい、なんだその不穏すぎる前置きは」
『実はな』
「……村崎が倒れた!?」
九州で大雨被害に遭われた方々の心身および財産の、一日も早い回復をお祈りしております。





