表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

74/112

早乙女さんは液体

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 人の心は、どうしてこんなにも脆いのだろう。


「これはうなぎ、これはうなぎ、これはうなぎこれはうなぎこれはうなぎこれはうなぎこれは」


「やっぱうなぎは天然やな空気も天然やし空気はうなぎやな空気うまい空気空気うなぎ」


「うなうなうなうなうなうなうなうなうなななななななななななな」


 俺はただ、絶滅危惧種を守りたかっただけなのに。







「夏バテじゃないか?」


 村崎に元気がない件で、心当たりのできた俺は土屋に電話していた。


 時は八月下旬。


 ミオさんが「あのねー、そろそろねー、上期の決算報告会なのー」とストレスを感じさせながら冷奴にカレー粉の食い合わせを試みた夕食の後である。


『夏バテ?』


「なんとなく忘れがちだが、村崎もまだ新人だろ?」


『せやね』


「就職で環境がガラッと変わったところに、クーラーが壊れたりぬいぐるみの買いすぎで金欠になったり」


『あー』


「そんなこんなで、体力を削られてバテたんじゃないか?」


 特に体調を崩しやすい時期だし。


 身体の小さい村崎にはなおさら辛いだろうことは想像に難くない。


『ありそうやな。言われてみれば真っ先に考えるべきやったわ』


「だろ?」


『よう気づいたなー。さすが早乙女さんの身体を管理しとるだけあるわ』


「言い方やめろ。まあ、気づきもするわな」


『なんかあったん?』


 村崎が夏バテではないかと気づいた理由は、至極単純。


「ミオさんがバテた」


『おおう』


「たまにはミオさんのいるタイミングで電話してみたが、すまん。バテてる」


 俺の視界の隅、ソファの上で溶けている白と青と肌色の物体がミオさんである。


 白はシャツで青はショートパンツで肌色は肌の色。あんまり直視できない。


『なしてまた急に』


「最近ちょっと食生活を変えたのが原因かとも思ったんだが……」


 豆腐や油揚げに夏バテを誘発するような作用はない。


 むしろ、消化によいタンパク源として夏バテ防止効果があると言われている。やはり大豆は偉大なのだ。


『原因、分かっとるん?』


「土屋、お前も商社だからお客さんのとこで打ち合わせしたりするよな?」


『は? そら、週に二、三回はやっとるけど』


 急に何を、と言いたげな土屋に構わず続ける。


「気のきいた会社だと、冷房のきっちり効いた部屋で応対してくれたりするよな?」


『……設定は?』


 察したらしい土屋の問いに、今度は答える。


「十八度だと」


『十八度』


 言わずもがな、会議室の冷房の設定温度の話である。


「最近になって関わりだした取引先が、客が来ると冷房をフルバーストするらしい」


『冷気の砲撃かなんかか』


「もちろんコーヒーはきっちり氷入りだ」


『フルバのループやんか。でもぶっちゃけあるある』


 土屋が電話の向こうで激しく頷く音がする。


 古いタイプの会社だと、今でもたまにそういうところがあるのだ。こっちはクールビズなんだから勘弁してほしい。地球にも優しくないし。


「ミオさんはお盆明けから一週間、そんな客のところに通ったもんで」


『きっついな』


「ああ、今はソファで溶けてる」


『溶けてる』


「そう、溶けてる」


 さっきから寝返りを打つのと「むぇー」と鳴き声を発する以外の動きをしないし、溶けていると言って間違いないだろう。


 夕食は味変えを駆使して全部食べてくれたが、見ていて少し痛々しかった。


『村崎に加えて早乙女さんも夏バテか……』


「季節のこととはいえなー」


『なー。ならマッツー』


「なんだ」


『焼くか』


 夏バテ対策。


 焼く。


 つまり。


「肉?」


『肉』


「しばし待て」


『おう?』


 土屋に断りを入れ、俺はノートを開いた。表紙に『ミオさん部外秘ノート』と書かれたこれには、お盆明けからの摂取カロリーその他が詳細に記録されている。


「差し引きで……消費量は……期間は……まだややプラスが……うーん……」


 ミオさんは努力家だ。食事の制限にも運動にも、よく耐えてくれていることがノートから分かる。


 こんなタイミングで焼き肉などすれば、その努力が水泡に帰すのではないだろうか。


「……いや」


 そんな中で、思い出すのは村崎が来た日のこと。羊羹を前にしたミオさんの心から幸せそうな顔。


「そうか」


『マッツー?』


「分かったぞ土屋」


『なんがよ』


「『ミネソタ飢餓実験』だ」


『なんて!?』


 ミネソタ飢餓実験。


 第二次世界大戦末期から戦後にかけて、飢餓状態がヒトに及ぼす影響を調べるために行われた実験だ。アメリカのミネソタ大学で行われたことからそう呼ばれている。


 三十六名もの白人男性が被験者となり、実に二十四週間に渡って半飢餓の状態を体験したという。そこで得られた知見は、発展途上国や紛争地帯での支援活動に活かされてゆくことになる。


「……と、前にネットで読んだ」


『マッツーも大概にネットに生きとるよな』


 もちろん、ミオさんの食生活は半飢餓なんて状態にはなっていない。


 見るべきは体に起こった変化よりも、心に起こった変化だ。


 被験者の多くは、体に異常がなかった場合も、うつ病やそれに近い精神的な苦痛を味わったという。


 イライラしたり、物事に意欲的でなくなったり。そんな状態で、ダイエットなんて続けられるはずがない。


「土屋」


『おう』


「焼くか」


『焼こう』


 やる気。それは全ての活力の源と言ってもいい大事なものだ。


『気』とついているせいで根性や気持ちの問題と思われがちだが、必ずしもそうじゃない。


 やる気、意欲、モチベーション。それらもまた立派な科学現象だと、ミネソタ飢餓実験をはじめとするさまざまな研究が証明しているのだ。


「松友さん……? だれとお話ししてるの……? 寝てるのあきたからウノしよー……?」


 溶けているのにも疲れたミオさんが、ソファにぐでっとしたまま黒と黄色の箱を掲げている。


 そんな雇い主に、俺は祭りの始まりを告げた。


「ミオさん、焼きますよ」


「なにをー……?」


「肉です」


「肉」


 ミオさんの背筋が伸びた。


「な、何肉? ささみ? むね?」


「カルビに、ロースに、ミスジです」


「うし」


「牛です」


「うし、うしを使う」


「牛を使います」


「……う」


 嬉しいのかな。


「うしだーーーーー!!」


 うし以外の語彙を失ったミオさんを沈静化させながら土屋と相談して。


 村崎の都合があえば、今週末に『夏も終わりの肉祭り』の開催が決定したのだった。

カルビ、ロース、ミスジ。これが出てくる歌が分かる人と友達になりたい黄波戸井ショウリです。


昨日は更新できずすみません。夜から熱が出て寝込んでしまい……。

じゃあ今日の更新ぶんはいつ書いたのか? 仕事中に上司の目を盗んでいやなんでもない。


沖田さんは引けてません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
◆◆◆クリックで書籍版ページに飛べます!◆◆◆
8ynrfa153lrj23pd2u8s7cf22clt_uax_1ec_1z4
― 新着の感想 ―
[気になる点] 後書きの歌がものすごい気になり調べてみたけど、見つかりません。 私、気になりますっ! [一言] 2週目でも変わらぬ面白さ、最高です
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ