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早乙女さんは見送りたい

「ミオさん、ナンバ歩行法をご存知ですか?」


「ナンバ?」


 またの名をナンバ歩き。


 歌舞伎や舞踊、実生活だと登山で使われる歩行法だ。


「右手と右足、左手と左足を同時に出す歩き方です。体幹がぶれないので疲れにくいなどの特長があります」


「へー」


「具体的には、裕夏がやってるアレです」


「ゆ、裕夏ちゃん! 右、左、右、左、左、右、あれ!?」


 ミオさんに言われたとおりに左足の次に左足を出してズッコケそうになっている。


 あそこまでガチガチに緊張した裕夏を見るのは、運動会のダンスで先頭を任された時以来ではなかろうか。


 ちなみに理由は『一番背が低いから』だったと記憶している。


「いいい、行ってきます!」


「台風来てるから、気を付けなさいね」


「う、うん!」


 九州に上陸した台風は、その後さらに速度を上げ、糸島市でもすでに雲が空をぎゅるぎゅると流れ続けている。


 本来なら外出を控えさせるところだが、事情が事情だけにそうもいかない。ならせめて対策を講じてやるのが兄の仕事だろう。


「傘が壊れたらケチらずコンビニで買えよ。風邪を引くからな」


「壊さんようにがんばる」


「危険を感じたらタクシーを止めろ」


「そげんにお金なか……」


 我が家の子供は基本的に金がない。そんなことは百も承知、むしろ誰よりも身をもって知っているのが俺だ。


 当然、対策済みである。


「カバンに白い封筒が入ってるだろ?」


「……入っとる。え、なんこれ。いつのまに?」


「緊急用の諭吉さんだ」


 福岡は東京よりはタクシーも安い。一万円あればどこへ行っても足りるだろう。


 昨夜のうちにこっそり入れておいて正解だった。


「そこまでされると、ちょっと怖いっちゃけど」


 怖いって言われた。必要だと思って奮発したのに。


「……それで、傘が壊れてタクシーも捕まらない場合の対処法だが。お前にぴったりな方法がある」


「どげんすると?」


「大声で泣いておまわりさんを呼べ」


「にーちゃん、()かん!!」


 そう言い残すと、我が妹はガラス戸を乱暴に閉めて出ていった。


「好かん、か……」


 福岡県民、特に女の子は『キライ』という表現をあまり使わない。好きじゃない、すなわち『()かん』がそのまま『キライ』という意味になる。俺に言い放った台詞がそれだ。


 うん、緊張もほぐれたようで何よりだ。ちょっと視界が滲んでいるが、きっと気のせいだろう。





 そうして送り出したのが、今から一時間ほど前のこと。


「予報より全然早いじゃない……!」


「とりあえず雨戸は閉めた。姉ちゃん、雨漏りは直したんだよな?」


 あの後、台風はさらに加速した。


 昨日テレビで見た予報円ギリギリの位置を突き進む台風は、すでに朝倉市や大野城市を飲み込み、福岡市を暴風域に納めようとしていた。


「私の初任給で直したっきりだけど、たぶん大丈夫。問題は……」


「ああ、裕夏だな」


 福岡のJRは悪天候に弱い。


 街中から田舎の山間部まで線路一本で通っているせいで土砂崩れや増水、地盤の緩みの影響をもろに受ける。山で雨が降って街の電車が止まる、がリアルに存在するのだ。


「まだ電車に乗ってる頃よね。動いてるのかしら」


「……動いてないな」


 スマホで調べれば運行状況はすぐに出る。


 鉄道会社のサイトには、『全線運転見合わせ』の赤文字が大きく表示されているだけだった。


「姉ちゃん、ちょっと連絡してみてくれ」


「もうしてるわ。既読はついたけど返事が……あら?」


 千裕姉のスマホが震えた。チャットでなく通話で返事がきたらしい。


 千裕姉はチャットアプリの通話機能を立ち上げ、スピーカーモードにしてちゃぶ台に置いた。


「裕夏、大丈夫?」


『う、うん。平気』


「すごい雨じゃない。電車も止まってるんでしょ?」


「やけん、今は駅におって……」


「……待て裕夏、どこにいるって?」


 駅にいる、と裕夏は言った。


 だが。だとしたらおかしい。


「なんで、雨の音がそんなに近い?」


 通話越しの裕夏の声を遮るような、ザーッという雑音。


 それが雨の音だとすれば。それこそ雨の真ん中にでもいないとおかしいほどの音量だ。


 電車内ならありえないし、筑肥線の駅がいくら小さくてもそこまでじゃない。


『……ごめん、にーちゃん』


「謝らなくていいから教えてくれ。どこにいる?」


『分からん……』


「分からんって、駅から離れちゃったの?」


『電車が止まったけん、バスとかで行こうと思ったっちゃけどそれも止まって乗り継ぎできんくなって』


 自分なりに最大限の努力をした結果、自分がどこにいるかも分からなくなった、か。裕夏の性格が裏目に出たらしい。


「スマホのGPSで位置情報を調べたらどうだ。スクショを送ってくれば車で迎えに行くぞ」


『もうギガ残っとらんくて、地図が読み込めん……。ウチのボロなスマホやと位置がブレてばっかでよく分からんし』


 裕夏が化粧品に憧れながら、買うことはおろか調べることもろくにできなかった理由を思い出す。


 格安シムで通信容量が少なく、スマホ自体も低性能だったからだ。夏休みも半ばを過ぎた今、もう通信制限に引っ掛かっていてもおかしくはない。


「大手キャリアのスマホでも、五年前のモデルとかだとGPSが怪しいことがあったわよね……。台風もきてるし無理もないわ」


「なにか近くに目印はないか?」


『えっと、閉まりようけどちっちゃめの体育館ぽいんが……きゃっ』


「ちょっと裕夏? 裕夏!?」


 小さな悲鳴と水音を最後に裕夏からの返事が途切れた。


 千裕姉がスマホに声をかけ続けるが、まもなくして通話が終了した。


「チャットにも既読がつかなくなった……」


「最後に水の音がした。たぶん、何かの拍子に水没させたな」


 GPSが怪しいほどの旧式機種だ。防水性など望むべくもない。


「あらあら。ふたりして深刻な顔してどうしたの?」


「ばあちゃん。ちょっとやばいかもしれない」


「裕夏ちゃん、どうかしたの?」


 台所にいたばあちゃんと、手伝っていたらしいミオさんがこちらの様子に気づいた。


 割烹着姿で手を拭いながら、ばあちゃんは心配そうに千裕姉のスマホを見ている。


「電車が止まって、無理に博多駅まで行こうとして立ち往生したらしいの」


「スマホも壊れたみたいで迎えに行こうにも居場所が分からん」


 これが普段であれば、交番でも探してゆっくり帰ってくればいい話だ。帰ってきてからひとしきり笑って、好きなトンカツでも食わせてやればいい。


 今日は違う。


 ずぶ濡れで足も傘もなく、役に立たないスマホと一万円札を握りしめて立ち尽くしている可能性が高い。


「大変……。これから一晩は台風の中よね?」


「はい、ですから少しでも明るいうちに見つけてやらないと」


「体育館みたいなものが見える、って言ってたわ。駅からバスで少し行ったところにある体育館を順に当たるしかないわね」


 そんなの何時間かかるかわかったものじゃない。


「三人とも、ちょっと待っててくれるかしら」


「ばあちゃん?」


「おじいちゃん、聞こえていましたか?」


 ばあちゃんが二人の寝室のふすまを開けると、中ではじいちゃんがアルバムかなにかを眺めていた。


 じいちゃんは帳簿から目を上げず、指で紙面をなぞっている。


「ああ、聞いとった」


「実家に、連絡してもよろしいでしょうか」


「お前はいいのか」


「孫の一大事ですもの」


「……苦労をかけるな」


「あらあら、そんな台詞、ドラマの見すぎですよおじいちゃん」


「ふん」


 なんの話をしているのだろう。


 ばあちゃんの実家というと、ふたりの結婚に反対していたという金持ちの実家のことか。たしかに力はあるのかもしれないが、ここで役に立つのだろうか。


「さてと、お着物の用意を昨日のうちにしておいてよかったわ」


「着物って……」


 ばあちゃんが衣装ケースから取り出したのは、灰色に桔梗の刺繍が入った和服。まさか、とミオさんに目配せすると、ミオさんは首を横に振った。


「ものは良さそうだけど、何千万とかではないと思う。ごく普通のだよ」


 結婚後に少しずつ揃えたもの、というところか。


「裕二」


 そんなことを考えていたら、後ろからじいちゃんの声がした。


「はい?」


「ついていってやりんしゃい。お前と行くんが一番(いっちゃん)よかろう」


「ついていくって、実家に? 別にいいけど……」


 何をしろというのだろうか。


「私も行く。しらみ潰しに回るよりは目がありそうだし」


「勝手にしい」


 ばあちゃんは着付けが早い。千裕姉とミオさんが手伝ったこともあり、三十分もたたずに着物に身を包んだばあちゃんが玄関に現れた。


「さてと、行きましょうか」


「ばあちゃんの実家って唐津だよな? 今から行くとけっこうかかるんじゃないか?」


「唐津といっても市境の近くよ。虹ノ松原より近いくらい」


「それなら二、三十分かしら。でも、なんでわざわざこんな時に……」




「ちょ、ちょっとイヨさん?」




「あら、ミチさん。こんな日にお出かけ?」


 じいちゃんの旧友でお菓子屋のミチさん、だったか。


 たまたま通りかかったらしいおじいさんが、何やらばあちゃん――イヨはばあちゃんの本名だ――を見て目を丸くしている。手を離れたビニール傘が、風に吹かれてお向かいのブロック塀に引っ掛かった。


「こげな日にお出かけはそっちやろうもん。どこまで行くとや? まさか、唐津の?」


「ええ、ちょっと実家まで。あらやだ、これだとおじいちゃんと喧嘩したみたい」


「実家に帰らせていただきます、ってのた違うんやったら、何ばしに?」


 この人は何をそんなに大袈裟なリアクションをしているのだろう。


 俺の隣では、千裕姉も首を傾げている。じいちゃん世代にしか分からない何かがあるのだろうか。


「大したことじゃありませんよ。ちょっと『お話』をしに」


「か……」


 か?


「唐津三百人衆の再来ばい!!」


 唐津三百人衆 is 何。


 この後、急いで出発したから詳しい話をミチさんから聞くことはできなかったけれど。


 どうやらこれから向かうばあちゃんの実家が、俺や千裕姉の想像する『実家』とはだいぶ趣の違うものらしいと、それだけははっきりと分かった。

福岡のJRは台風に弱い。雪にはもっと弱い。積雪5センチで電車が止まる。

ちなみに高速道路は1センチで止まる。


福岡編もあと少し。お付き合いいただけると嬉しいです。


ちなみにコミケ初日に一般参加しました。ビッグサイトの南の新館いいですよね。広いし快適。

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[一言] 雨にJRは弱い、西鉄は強い
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