早乙女さんは飛ばしたい
「いいですかミオさん、みんなが飛ばすのを見てからで大丈夫ですからね」
「う、うん」
「その前の『ソレ!』で飛ばしてしまう人がたまにいますが、すごく申し訳ない気分になるので気をつけてください」
「わかった」
ミオさんが挙げていた福岡でやりたいことは三つあった。
ひとつ、ラーメンを食べること。
ひとつ、明太子味の名物せんべいを買ってかえること。
そして、最後のひとつ。
「まだ……まだですよ、ミオさん……!」
「ふおお、テレビで流れてる応援歌だ……!」
『野球観戦』を果たすべく、俺たちは福岡ドーム、正式名称「福岡 ヤフオク!ドーム」にいた。
福岡市の滞在もすでに四日目。
四年ぶりに訪れた福岡ドームは、今日も変わらず応援歌の大合唱に震えている。
「今です!」
「てい!」
“ピュウウウウウウ”
応援歌が終わると同時、ドームの空を黄色いジェット風船が埋め尽くす。
独特の笛の音を響かせ、数万の風船が飛び交う様は何度見ても圧巻だ。
スタッフが落ちた風船を回収する手際の見事さも含めて、このドーム最大のエンタメと言っても過言ではない。
「すごいすごいすごい!」
「七回の攻撃が始まる前に、こうして応援歌を歌ってジェット風船を飛ばすんです」
「へえー。今日は勝ってるからいいけど、負けてる時にもやるの?」
「負けてる時も同じように応援するんですよ」
ちなみにカバンには白いジェット風船も入っている。そちらは勝った時に飛ばすためのものだ。
風船の流星群に目を輝かせていたミオさんは、最後のひとつの落下を見届けると、首から下げた黄色と白のタオルで額をぬぐった。
「ふあー、やっぱり分かる人と来てよかった。ありがと、松友さん」
「俺も久しぶりに見たかったですから。ミオさんが楽しそうで何よりですよ」
「なんだか、こうしてふたりでいるのも久しぶりだねー」
「まだ四日ぶりくらいですが……。たしかにそんな気分ですね」
福岡に来てからこっち、家族の誰かがいっしょにいたり俺がグロッキーしていたりで、ミオさんとふたりきりという時間はほとんどなかった。
五万二千人が集う福岡ドームで「ふたりきり」というのもおかしな話だが。そういう気分になってくるから不思議なものだ。
「かっとばせーーー!! 行ーーーけーーーーーーー!!」
後ろから聞き慣れた声がしなければもっと完璧だったんだけども。
「千裕さん、野球好きなんだねー……」
「福岡の女の子はだいたい一度は野球選手にハマって、たまにそのまま卒業しない人がいるんですよ。千裕姉ちゃんもそのクチです」
「そ、そういう土地柄なんだね」
「でも席を分けてくれた意味がありませんね、これじゃ。なんかすみません」
「う、ううん! チケットを用意してくれてすごくありがたいよ! おはぎもおいしいし!」
俺たちの数列後ろでは、松友家の面々が使い古したツインメガホンを手に声を張り上げている。
気を遣って俺たちだけ少し離してくれたのはありがたいが……逆に気になって仕方ない。手元のタッパーに入ったおはぎも謎だ。
「じいちゃんは定年退職するまで役所勤めでして。その時のツテで野球やサッカーのチケットはけっこう手に入るんです。おはぎは……なんなんでしょうね?」
この時期、ばあちゃんは大量のおはぎを作ってどこかへ持っていくのが恒例になっている。
その材料の余りで作ったものらしい。
「へー。……あれ? おじい様って漁船を持ってたんじゃなかった?」
さすがミオさん、よく覚えている。
たしかにばあちゃんの思い出話には、結婚に反対されて漁船で上海まで駆け落ちしようとしたくだりがあった。
矛盾しているようだが、どちらも事実だ。
「転職したんですよ。俺も経緯はよく知りませんが、二十代の時に漁師をやめて役所職員になったそうです」
「そっかー」
「なんでも船が台風で……打った打った! 右中間抜けましたよ!!」
「まわれまわれーーーーー!!」
「勝った勝ったー!」
「白いジェット風船が舞うのを見て帰る、いやあ醍醐味ですね」
「ねー」
負けても応援するのがファンとはいえ、やはり勝った方が気持ちがいい。
場外で合流することにした家族を待ちながら、俺とミオさんは試合談義に花を咲かせていた。
「ウェーブも綺麗に決まりましたし」
「ねー。ジェット風船も飛ばせたし」
「それにしてもミオさんがここまで野球好きだったとは思いませんでしたよ」
「お仕事だよ」
「え?」
「これも、お仕事」
「……ああ」
なんとなく理解した。
マーケティングという仕事柄、関わる相手はどうしても四十代から五十代の男性が多くなる。
その世代の共通言語といえば……か。
「た、大変なんですね」
「ありがと」
「では試合前に買ったユニフォームとメガホンとタオルとキャップとお面とジェット風船も得意先へのお土産として?」
「これは自分用」
「あ、はい」
いろいろ装備しすぎて縁日の子供みたいになってる。
楽しんでくれたようで何よりだ。
「それにしても遅いですね、ウチの家族は。迷ったかな」
「人が多いからねー。電話してみる」
「そうで……ああいや、ちょうど見えました」
人混みの中、こちらに向かう年齢高めの家族連れが目に入った。さすが、身につけた応援グッズの年季が違う。
まあ買い換える金が無いだけだったりするんだけども。
しかし、よく見ると何か様子がおかしい。いつも先頭に立ってはしゃぎまくってる裕夏が、後ろの方でやたらしおらしくしている。
「遅かったな。どうかしたか」
「裕夏が迷子になったのよ」
「ちがうし……」
「本人はこう言ってるんだけどねぇ」
迷子。
見た目に違わず本当に小学生だな、この妹。
この前すこし大人になりました感を出したのはなんだったのか。
「あんまり心配かけるもんじゃないぞ、裕夏。食べ物にでも釣られたか?」
「それかトイレかしら。おしっこは早めに行かなきゃダメでしょ?」
「ちがうし。そげん子供やないし」
兄と姉による説教(?)に、裕夏は下を向くばかりだ。
「違う違うって、何が違うんだ」
「ちゃんとごめんなさいの言えない子は立派な大人になれないわよ?」
「ちがうってば!」
「だから、何がだ?」
自分から違うと言う割に、どう違うのか一向に言おうとしない。
要領を得ないので少し強く訊いてみると、裕夏は目を泳がせ、迷うような素振りをして。
これ何か隠してるなって誰の目にも明らかな行動をとりながら。
ドームの喧騒を打ち消す声で、言った。
「男の子に、連絡先ば聞かれとったと!! ほ、ほんとやけんね!?」
「は?」
「は?」
「は?」
「へ?」
「…………は?」
長男の彼女連れ事件に続く、いや、それ以上の衝撃が一家を襲う。
この夏、松友家最大の波乱が起ころうとしていた。
なお、裕夏に初めての彼氏ができるかも、と先走ったじいちゃんがマークイズももちで買ったペアルックは、まったくの無駄になったことを先に述べておくこととする。
福岡ドームの屋根、今は騒音とかいろんな問題で年に3日くらいしか開かないんだって……
昔は天候に合わせて開けしめしてたのに……





