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閑話:土屋さんたちは互いをよく見たい

「……先輩、おはようございます」


「しんどそうやな、村崎……」


「先輩こそ、見るからに……」


 月曜日である。世の中で一番気の毒な神様がいるとしたら、きっと月曜日の神様だろうと思うくらい理不尽に疎まれている月曜日である。


 しかも世間ではまだお盆休みの真っ最中。出勤の電車もいつもより空いており、乗客も私服の学生や家族連れが目立っていた。


 そんな中を寝不足の体を引きずって出勤するオレら、立派すぎる。


「村崎のせいやぞ……。お前がもう一回、もう一回ってせがむけん……」


「先輩だって、もう少し優しくしてくれてもよかったと思います……」


「かー……痛かー」


 互いに責任を押し付けあったところで、眠気も疲労もガチガチに固まった関節の痛みも消えはしない。


 隣り合ったデスクに同時に腰を下ろすと、安物のチェアがギシリと音を立てた。


 心なしか、向かいの大山さんがなんか凄い顔で見ていた気がする。


「まさかボードゲームってもんがあそこまで過酷とは」


「集中力がいるから、うっかり同じ姿勢でいてしまって肩や腰にきますよね」


「なー」


 向かいの大山さんがズッコケた気がしたが、どうかしたんだろうか。


「ずっとコマをとったり置いたりで、だんだん何がなんだか分からなくなってきますし」


「それは似たようなんばっか買うけんやろうが。なして陣取りゲーム三連星なん」


「さすがに少し反省しました」


「おかげで、夢でもゾンビをレンチンして出荷する仕事しとって寝た気がせんわ……」


「奇遇ですね。私もです……」


 昨日の日曜は村崎にせがまれてボードゲームに付き合ったが、結局夜十時までぶっ通しだった。


 おかげでオレたちの脳は夢に出るまでにゲーム内容を刷り込まれていたらしい。


 今夜も眠れるか少し不安だ。いろんな意味で。


「おかげで首もバッキバキでぜんぜん回らん」


「見ての通りですね」


「ああ、本当に回らん。お前もか村崎」


「はい、首が三十度も回りません。本当に回りません」


「さっさと仕事ば終わらせて、整体かマッサージ行かんとな」


「はい」






「そういえば先輩、姉さ……ミオさんから連絡がありまして」


 仕事を始めて一時間も経たない九時四十五分に、村崎が声をかけてきた。


 それにしても、この後輩は相変わらず他人の呼び方が安定しない。


 あだ名や下の名前で呼び合うことになれていないんだろうか。女ならむしろそっちが多いイメージがあるが。


 その辺の背景はさておき、重要なのはメッセージの相手だ。


「お、早乙女さんからか! どうした?」


「今週末には福岡から帰るそうで、よければ山に行かないかと」


「あー、山か」


「どうします? 急な誘いだから無理はしないで、とは書かれてますが」


「悪い、パスで」


「珍しいですね? ミオさんの誘いなら一も二もなくお受けすると思っていたのに」


「友達と約束があるっちゃん。先約があればさすがに守るわい」


「でも、いいんですか?」


 至極まっとうに返事をしたつもりだが、今日の村崎はやたら食いついてくる。


「何がよ」


「ふたりが山で遭難して力を合わせて生還したりしたら、いよいよミオさんは松友先輩のものですよ? 命を預けあった仲間を引き裂けるものは何もないんですよ?」


「お前、最近読んだ本を言ってみい」


「すみません、昨日眠れなくて探検ものを読みました」


 正直なのはいいことだ。


「眠れない時にまた眠気の覚めそうなものを読みよってからに。そんな面白いんか」


「すごいですよ。南極で船が難破して、アザラシを狩りながらどうにか捕鯨基地のある島までたどり着いたと思ったら、人里との間に前人未到の氷の荒地があって」


「どんな設定やねん」


「実話です」


「実話」


「はい、そこを釘をうったブーツと斧とロープで踏破した人たちのノンフィクションです。エンデュアランス号で検索したら出ます」


「ほー、どれどれ……? うお、こらえらいぞ村崎」


「反応が早すぎませんか。すごい写真でも出ましたか」


「スキャラッパの検索結果が、いつん間にか十件ば越えとる! オレの見つけた検索一件ワードが死んだ!」


「エンデュアランス号で検索してくださいよ」


「おう」


 仕事中なのでチラ見が限界だが、なるほどこれはすごい。


 人類の持つ勇気の偉大さが分かるエピソードだ。人間讃歌は勇気の讃歌とはよく言ったものである。


「つまり話を戻すと」


「はい」


「マッツーと早乙女さんが遭難し、地図もない未開の地で過酷な決死行を余儀なくされ、乏しい装備と食料で数ヶ月に渡るサバイバルを生還したら、オレの入る余地はなくなると」


「そうですね」


「無事に帰ってきてくれたら十分やと思う」


「私もそう思います」


 この夏で一番不毛な会話をしてしまった気がする。






「ところで村崎」


「なんでしょう」


 時刻は午前十時三十分。


 今度はオレの方から声をかけることになった。


「昨日、近所にできた新しいカレー屋の話ばしたやん?」


「ああ、福神漬けを配っていたっていう」


 なぜか三袋も配っていたので、村崎に一袋譲ったんだった。


「帰りに見たら、別の店になっとった」


「潰れてしまったんですかね」


「いや、キーマカレー屋になっとった」


「キーマカレー屋」


「実はカレー屋になる前はグリーンカレー屋やってん」


「一度原点回帰したんですね」


「ちなみに店長も店員も同じ。どう思う?」


 これに対してどう思う? というのも大概に雑な質問だが、村崎は十秒ほどじっと考えている。


 おそらく、またトンチンカンな答えを導き出すのだろう。


「ナンがおいしいならアリだと思います」


「限りなく正論やった。すまん村崎」


「? いえいえ?」


「まあ、なんでこげん話したかっていうとな」


 キーマカレー屋に変わっていることに気づいたオレは、気になって思わず入ってしまった。


 ラストオーダー直前の滑り込みにも関わらず、快く迎えてくれた店員と談笑していたところ。オレはある情報を手に入れた。


「あそこ、次は彼女カレーの店になるらしい」


「カノジョカレー? なんですか、それ」


「彼女と彼、つまりアベック限定のカレー屋らしい」


「お断りします」


 早い。そして厳しい。


「でも気になるやん。そんなんでどげんして採算とるのかも含めて」


「否定はしませんが、前回のプロジェクターで休日を潰した件を彷彿とさせますので」


「村崎もけっこう楽しんどったやん」


「否定はしません。でもそれはそれ、これはこれ」


「よそはよそ、うちはうち」


「お母さんに言われるとなぜか胸が痛くなる言葉ですね」


 幼少の頃を思い出しているのか、ほんの、ほんの、ほんの少しだけ上を見つめている。


「ちなみに、女性向けの新メニューとして」


「そう毎度釣られはしませんよ。カレーだって格別に好きでもないですし」


「カレーメロンパンが出るらしい」


「……なんです?」


「カレーメロンパンが、出るらしい」


 カレーメロンパン。大人気のパン同士をドッキングした夢のパン。


 カレーをつめたパン生地を、揚げずにクッキーを被せて焼くと店員の女の子は言っていた。


「……………………………………………………………………………………………………………………………………仕方ありませんね」


「めっさ悩んだな今」


「逃げようとする常識と確かめたい矜持が胸のなかを渦巻いています」


「死ぬときはもろともよ」


「それはおひとりでお願いします」


 後輩が冷たい。


「じゃ、今日明日のどっちかな」


「いつまた変わるか分かりませんからね。早い方がいいでしょう」


「おう」


 この夏で二番目に不毛な会話をしてしまった。






「もうひとついいですか先輩」


「おう、言ってみい」




「村崎、思い出したっちゃけど」


「なんでしょう」




「先輩、ちょっと」


「おうよ」




「後輩」


「先輩」




「「あの」」


 そうして迎えた昼前。係長の大山さんが席を外し、事務所に緩い空気が満ちた時。


 ついにタイミングが被った。


「お先にどうぞ先輩」


「いや、順番的に村崎が先や。言っちゃり」


「では。私、空気は読めない方でして」


「知っとる」


「人の感情を推し量るのとか、特に苦手なんですが」


「ふむ」


「これが『気まずい』って感情なんですね。ようやく分かりました」


「鋼鉄仮面メガキランに感情が芽生えたか。博士に報告せんと」


「私は地球を守る巨大ロボじゃありませんし、父と母から生まれたので博士もいません」


「真面目な回答をありがとな」


「いえいえ」


 そう真顔で言う村崎ロボが今まで『気まずい』という感情を知らずに生きてきたことに、驚きと納得はありつつも。


 目下、最優先課題は地球の平和よりもっと身近にある。


「それで、オレの方の用事やけど」


「はい」




「村崎、やっぱ前は向けんの?」


「無理です」




「そうか無理か」


「すみません。首が二十度しか回りません」


「朝は三十度やったろうに」


「治らないかと色々試していたら悪化しまして」


「こら、首は大事にせんといかんぞ」


 ボードゲーム地獄からの、夢見の悪さによる寝苦しさ。


 それによりオレが右しか、村崎が左しか向けないよう寝違えたと分かったのは、同時に出勤して顔を合わせた瞬間だった。


 以来三時間、オレと村崎はじっとお互いを見つめあったままの業務を強いられている。


「そら無駄話でもせんと間が持たんわ」


「ちなみに土屋先輩は?」


「無理。この角度以外は首がもげて落ちる」


「首は大事ですから落としたら大変ですね」


 真顔で言う村崎に、ツッコミを入れる気力もない。


「よく、互いをよく見んと人間関係は長続きせんっていうけど」


「はい」


「何事もほどほどが一番やな」


「同意します」


 頷こうとしたのだろう、ほんの少し下を向こうとした村崎が悶絶している。


 本当は整体師にでも見せた方がいいのだろうが、外の気温は今日も四十度近い。この酷暑の中をこの首で歩けば整体より先に病院行きになるだろう。


 かくなる上は。


「村崎」


「はい」


「席、代わらんや」


「天才ですか先輩」


 この日、オレと村崎は互いにそっぽを向いたまま定時を迎えた。


 大山さんはそんなオレたちを心配そうな目で見ていた。


 首は大事だからだろう、心配をかけてしまい申し訳ない。




 首は仕事帰りにマッサージに行ったら治った。

ブクマ12,000件を超えました! ありがとうございます!

評価も1,882人となり、大台まであと118と迫りました。いろいろカツカツな状況ですが、これからもこの応援に応えられるようがんばります。


ちなみに日曜に風邪をひき、そこで寝違えて仕事がしんどいです。しんどいです(大事なことなので以下略

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