早乙女さんはぶっちゃけたい
「あんた飲めん代わりによう食べようねぇ! あっはっはっは!!」
最初に言っておくと、千裕さん、笑い上戸だった。ホテルで働いてるせいか標準語もうまかったけど、お酒が入ったらいつの間にかこっちの言葉に戻った。
でも、そんなことより。そんなことよりも。
今はお箸が止まらない。
丸い鍋にぎっしりと並んだ『鉄鍋餃子』。
カリカリ餃子の中に詰まったニラの香りが、豚の脂に溶け出して食欲を無限大に引き上げる。
皮にかるく火を通した鶏肉を、柚子胡椒といただく『鳥刺し』。
生の鶏肉なんて大丈夫なのかなと思ったけど、ねっとりあっさりした食感がたまらない。
一見なんの変哲もない『焼き鳥』。
炭で焼いて柚子胡椒のおいしいやつを付ける。それだけでここまで変わるのかと感動した。でも半分くらい豚肉の串が混じってるのが何故なのかはよく分からない。
そして、何よりも。
「イカおいしい……。これイカ、イカなのに、イカがおいしすぎる……!」
「ばあちゃんの故郷、唐津は呼子のヤリイカよ」
千裕さんに連れてこられたお店は、高級店でもなんでもない『地元のちょっといい居酒屋』だった。だったのに。
何このおいしさ。
福岡はごはんがおいしいのが自慢だって松友さんも言ってたけど、お刺身ひとつがこんなに違うものなのか。
「ごめん松友さん……。わたし、松友さんを地獄に置きざりにして天国にいるよ……!」
「おうおう、葬式じゃ飲んで食って騒ぐんがシキタリばい! 弔っちゃれ弔っちゃれ!」
「あの、弟さんは生きてるのでは」
たぶん。
「まあ裕二のことはともかく、福岡の食い物はどげんよ? イカ好いとうと?」
「イカのお刺身だって聞いて、東京でもよく見るイカソーメンみたいなのを想像してたんです。真っ白でちょっとぬるっとしたやつ」
「はいはいはい。で、これが出てきたと」
「イカが海水の中で生きてるってことを知らされました……!」
千裕さんがケラケラ笑いながら指差しているイカの刺身。丸ごと一匹、胴の部分を細切りにしてスダレに載せたスタイルの活造り。
夜の海だ。夜の日本海がそこにある。
海水をそのまますくったような透明さ。
包丁が入ってなお波打つ燐光。
イカ特有の生臭さもぬめりもまったくない。コリコリした歯ごたえと、濃厚な九州醤油にもまったく負けない甘み。夏の暑さを消し飛ばす清涼感が口の中を通り抜けていく。
「イカが海水で生きてる。コメントがなんか頭いいね……」
「そ、そうですか?」
「ウチは『うまい!』しか言えんけんねぇ。やっぱアルコールは脳細胞を破壊するっちゃろか」
そう言いながら千裕さんは手にしている中ジョッキを一気に飲み干した。
もちろん中身はビールでなく芋焼酎だ。
「あの、芋焼酎ってそんな風に飲むものでしたっけ?」
「飲むものかは知らんけど、飲めるし? 大将、同じの!」
「飲めるなら仕方ないですね……」
女ふたり組のせいか、最初は周りのおじさんたちが何かと声をかけてきたりしたのだけど。
今はなんとなく、周りから距離をおかれている気がする。
「ていうか早乙女さんもいつまで敬語なん。ええんよタメ口で!」
「は、はあ」
「ってウチのが年下か! あっはっは!」
「え、えっと、じゃあ敬語やめるね……? なんか分かんないけど……」
さっき知ったことだが、千裕さんは二十七歳。私よりひとつ下だった。
「でもそっかー、裕二がウチより年上ば連れてきたかー」
「本当の彼女じゃない上に年上でごめん……」
「むしろよかったと思っとるよ。なんか、ウチもまだまだ平気って思えたし」
「平気?」
「ウチ、バツイチでねー」
「そう、なんだ?」
珍しいというほどのことでもない。けど、その人にとっては自分だけの傷かもしれないことだ。
同情はしない。否定もしない。それが正しいと、松友さんたちが教えてくれた。
「前の旦那から暴力を……」
「えっ、えっ、重い話? わたし、聞いても大丈夫?」
「『暴力を振るってくれ』って言われて」
「そっち?」
「ウチも最初はドン引きしたっちゃけど、やってみたら楽しくなってきて」
「うん」
「でも向こうは縄とか枷とか複雑なんば求めてきてねー。単純にシバいとるんが楽しいウチとは、だんだん合わんくなってきて」
「う、うん?」
「暴力性の違いで解散した」
「暴力性の違い」
「ロックやろ?」
「じゃ、ジャズ派だから……」
わたしにはちょっと早い世界だったみたいだ。
ちょっと目を逸らしたわたしに、千裕さんは何かを察した顔で教えてくれた。
「あ、裕二はウチとは似とらんから大丈夫と思うよ。たぶん」
「そんな心配はしてません」
松友さんが暴力を振るうなんて想像できないし、その時はきっとわたしが人として間違えた時だけだろう。
……でも、きらんちゃんに対する松友さんの強めな態度。あれはちょっと仲が良さそうで、うらやましいと思わなくもない。
「まあ、そんなんで『やっちまったぜー!』って実家に報告したっちゃけどね」
「かるい」
「そんなもんって。九州って、九州男児とか言って男の社会と思われとるやん?」
「あ、ちょっと聞いたことあるかも」
土屋さんもたまに九州男児が~って言ってるし。
「でもね、それは表よ」
「表?」
「裏で男のタマをがっしり握っとるんが九州の女」
「タマ」
「そそ。あ、分からんかな? こう背中から股の下を通して……」
「た、大将さーん! お水を、この人にお水をジョッキで!」
よくない酔い方をしているらしい。
そう思ってお水を頼んだけど、大将さんは諦めた顔で「いつものことばい」と焼酎を置いていった。大丈夫なのかな、このお店。
「まあ、ウチも仕事はあるし、実家に帰るわけでもなかしね。元旦那とも友達としちゃあ別に悪くないし」
「そういうものかな」
「やけん、ウチもそんな重くは考えとらんかったっちゃん。じいちゃんばあちゃんも呆れながら許してくれたし。でも、裕二だけはちょっと気にしとって」
「……それが、車の中で聞かせてくれたお話?」
「そ。じいちゃんとばあちゃんが元気なうちに、孫とは言わなくても嫁の顔くらいは見せてやりたい、って思ったちゃろね」
「それで、わたしに彼女のフリを」
「そのために目下最高の女ば連れてきたら早乙女さんやったっちゃろ。かーッ、贅沢やねえあいつも!」
何が贅沢なのかは分からないけど、松友さんのことは少しだけ分かった気がする。
「……松友さんって、お料理が上手なんだよね」
「ああ、昔はそうでもなかったけど、学生時代に練習したっぽいね」
「いろいろ作ってもらったことがあるんだ。豚の生姜焼きとか、麻婆豆腐とか、ご汁とか」
「うっわー、庶民的。もっと高級なもん作ったれよ裕二ー」
そう、松友さんは料理上手だけど、作るのは普通の家庭料理ばかり。高級食材を使うようなものは見たことがない。
あまり裕福でない家に生まれ育って、そこで料理や家事を覚えたからなのだろう。早く自立した大人になって家庭を持つために、学生時代も腕を磨いてきたに違いない。
それが、今の松友さんを作ったのだとしたら。私に雇われていることは、彼にとって本当に幸せなんだろうか。
「そんなこと考えても仕方ない、けど」
場の空気に当てられたのだろうか、頭がぐるぐるする。お水をひと口飲んで、飲んで……あれ?
なんか、味が、おかしい、ような。
「ありゃ、これさっき大将が置いてった焼酎やん。早乙女さん下戸やなかった?」
「……るか」
「は?」
「知るかーーー!」
「早乙女さん?」
もう何にも知ったもんか。
私は松友さんにくっついてラーメン食べてホークス応援してめん○い買って帰るためにきたんだ、難しいことを考えに福岡まで来たんじゃない。
「世の中には! めんどくさいことが多すぎるの!」
「お、おお?」
「わたしはねえ、お仕事がんばってるの! なのに実家じゃお仕事の話なんて誰もしなくて、『いい人いないの?』ってみんなみんなみんな!!」
「おー、こういうタイプか早乙女さん! 大将! 盛り上がってきたっちゃけどイカの唐揚げまだ!?」
イカの唐揚げ。
そういえば、さっきのイカは胴の部分だけ食べて、ピチピチ動いてたゲソは唐揚げにするって持っていった、ような。
っていうか、餃子とか焼き鳥とか唐揚げとか、カロリー、いくつ。
「知るかーーー!」
「そうだそうだーー!!」
「食べたいものを食うんだーーー!」
「締めはラーメンいくぞーーー!」
「おーーーーー!!」
気づけば、九大学研都市駅近くのホテルで朝を迎えていた。
昨日の記憶はラーメンまでで終わっている。
大浴場で汗を流した時に体重計が目に入ったけど、なんとなく乗らないことにした。深い理由はない。ほんとに。
以上、「私に姉がいたら一緒に食べたかった居酒屋メニュー」でした。
イカはいいぞ。呼子のイカだ。福岡に来たらイカを食うんだ。
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キリ番リクエストとかやればいいのかな(いにしえの個人サイトを知る世代)
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