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早乙女さんは逃げ切れない

「裕夏を送ってもらったところ申し訳ないんだけど、家に泊まってもらうつもり?」


「……そうだった」


 千裕姉に言われて思い出す。


 昨日は宴会でみんな潰れてたし、ふだん広い家に暮らしているからすっかり忘れていた。


 実家(うち)に、ミオさんを泊めるわけにはいかない。


「早乙女さん? 残念だけど実家には寝かせられないから」


「そ、そうですよね。余所者が二日も続けてなんて……」


 恐縮しているミオさんだが、別にミオさんがどうだから泊められないというわけじゃない。


「違うんですよミオさん。物理です」


「物理?」


「物理的に寝かせられないんです」


 俺の実家こと松友家は狭い。とにかく狭い。


 千裕姉と俺が家を出たのだから広くなったはずなのに、それまで無理やり押し込まれていたモノたちがあふれ出して空いたスペースを埋めてしまった。


 結果、何が起こるか。


「布団を四枚敷いたら床が埋まるんです。どうがんばっても五枚ですね」


「そ、そっか……」


 学生時代に帰省した時など、例の短い廊下に寝かされたものだ。正月の底冷えが熾烈だった。


「えー、早乙女さん泊まっていけんのー?」


「悪いな裕夏。廊下で寝てる人を踏んづけた上、妖怪と勘違いして本気の悲鳴を上げてご近所を叩き起こす子供がいるからな。そんなところにミオさんを寝かすわけにはいかん」


「ソウナンダー」


「目を逸らすな」


 廊下で寝てるだけでもしんどいのに、トイレに行こうとした妹に踏まれて叫ばれるとか俺が何したってんだ。


 その事件があって、再発防止策としてどうにか布団一枚を追加で敷くスペースを作って今に至る。


 そんなわけで。ミオさんさえよければ泊まってもらうこと自体はやぶさかでないが、昨日の今日でもう一枚追加はちょっとばかし厳しい。


「では私はホテルを探しますね。大きい街ですから、どこかしらは空いているでしょうし」


「じゃあ俺が送っていきますよ。姪浜か、ホテルの数なら大濠公園らへんかな?」


「待ちなさい裕二。そんな遠くに行く必要はないわ」


 そう言って、千裕姉は車のキーを指でくるくる回す。


「ああ、そこは業界人が詳しいか」


「業界人……? 千裕さん、お仕事は何を?」


「ホテルの従業員。市内のホテル名で古今東西やったら、勝つか喉が焼き切れるかしかない自信があるわよ?」


 喉が焼き切れるほどホテルあるんだろうか、福岡市。


 そもそも焼き切れるものなんだろうか、人間の喉。


「じゃあ姉ちゃん、いっしょに頼むわ」


「裕二は残ってばあちゃんたちの手伝いしなさい。腰もそろそろしんどいんだから」


「じゃあ場所だけ教えてもらえれば俺が運転して」


「保険がきかないからイヤ」


 なんかすごい食い気味で来る。


「裕二さん、千裕さんもこう言ってくださってますし」


「ミオさんがいいなら……」


「決まりね。じゃ、行きましょ」


 それだけ言うと、千裕姉はミオさんを伴って白の軽自動車に乗り込む。ふたりを乗せた福岡ナンバーの車はすぐに角の向こうへと消えた。


「大丈夫だよな、ミオさん……」


「あら裕二、早乙女さんどちらに行きんしゃったん?」


「ああ、ばあちゃん。ウチは寝る場所がないからって、姉ちゃんがホテルにつれてったわ」


「あらーどげんしよ。もう準備しとるんよ?」


「……準備?」


 ばあちゃんの言葉に、嫌な予感がした。










「危なかったわね、早乙女さん」


「はい?」


 松友さんの家が見えなくなり、国道に出た辺りで千裕さんが突然そう言った。


 黙っていても気まずいので助かったけど、話が見えないのもちょっと困る。


「地獄の宴会に巻き込まれずに済んでよかった、ってこと」


「じ、地獄の宴会? 親友をカレーに煮込むような?」


「マイナーな映画を知ってるのね。そうじゃなくて、昨日も宴会だったでしょ? あれは急ごしらえの前夜祭なのよ」


「前夜祭」


 あれが? 大量のお肉とお寿司に埋まりかけたあれが前夜祭?


「あれでご近所さんに話が広まって、みんなが都合を付けて集まる今日がいわば本番。ばあちゃんが三キロの鯛を買ってきたので察したわ」


「あの、そんな集まりなら私が参加しないと失礼なんじゃ」


「いいのよ、裕二さえいれば勝手に盛り上がるし。とにかく何かに付けて焼酎を飲みたい人たちなんだから、まったく」


「まつ、裕二さん、無事だといいですね……」


 予想外の話に動揺して松友さんと言いかけたけど、まだ大丈夫。裕夏ちゃんとだって上手くやれた。


 落ち着け早乙女ミオ。お前はやればできる女。マーケターとして数千万円や数億円の取引をいくつも成立させた、計算と交渉のプロだ。


 マーケターにとって初対面の会話はむしろ本領。二十歳も三十歳も年上の男性が相手だろうと五分でアイスブレイクできてなんぼ、そんな世界で私は生きてきた。


 まして今日の相手は松友さんのお姉さんだ。つまり同世代の同性。ちょっと彼女のフリをするくらいなんでもない。


 任せて頂戴、松友さん。


 立派に彼女役をやり通してみせるわ。


「彼女でもない早乙女さんに、そこまで付き合わせるのは申し訳ないしね」


「ゔぇ? ……………………なんのことでしょう?」


「ありゃー、本当に偽装彼女だったかー」


 ごめん、松友さん。わたしむりだった。秒でバレちゃった。


 ごめんね。ごめんね。ダメな雇い主でほんとにごめんね。


「あの、なんで、いつから」


「ホテリエは人間の顔を見るのが仕事だからね。いろいろ理由を言えなくもないけど、七割がたは昨日会った時の直感よ」


「あの時から……」


「話題のレンタル彼女って感じでもないし、同じ職場の人とかかしら。弟が手間かけさせて悪かったわね」


「い、いえ。私の方こそ弟さんにはお世話になりっぱなしで」


「いい子ねー。あなたが本当に彼女なら、私としては全然よかったんだけど」


 どこか寂しそうに、そう千裕さんは小さく言った。街灯の眩しさと黄昏時の暗さで顔はよく見えない。


「そんな、私なんて……」


「謙遜しなくていいって。少なくとも裕二はあなたに最高評価つけてるんだから」


「えっ、えっ」


 最高評価。松友さんが。


「なんせ、おじいちゃんとおばあちゃんももう歳でしょ?


 今のうちに最高の嫁を見せて安心してもらいたい。裕二が考えそうなことだし、あなたを最高の女だと思ってなければ連れてこないわよ」


「あばばばば」


「あばばば?」


 どうしよう、お仕事以外で人生で一番褒められてる。泣きそう。


「ま、その辺の話は車でしても盛り上がらないわね。ここよ、下りて」


 いつの間にか、白の軽自動車は駐車場に止まっていた。本当に近いホテルだったらしい。


 スライドドアを開けてアスファルトの上に降り立つと、夏の熱気がむわっと押し寄せた。どこからか鶏肉を焼く炭の匂いがする。


「あの、送っていただいてありがとうござ……糸島のホテルって変わってるんですね?」


 目の前の建物は、想像とだいぶ違っていた。


 なんか木造だし。のれんと提灯がかかってるし。『酒処』って書いてあるし。


「あら、面白いこと言うわね。楽しくなってきた」


「えっと、千裕さん? ここ飲み屋さんですよね? なぜ?」


「焼酎を飲みに来たに決まってるじゃない。語り合うなら芋に限るわよねー」

 

 しまった。


 この人も何かに付けて焼酎を飲みたい人だった。


「で、でも車が」


「ほい」


「運転代行サービスの割引券……」


「安心して。ちゃんとホテルには送ってあげるから!」


『二割引』と大きく描かれたカードを手に千裕さんは笑う。ニカッと音のしそうな笑顔は、たしかにどこか裕夏ちゃんと似ていた。

帰省したはいいが寝る場所がなく、廊下に転がるハメになる。

はい、作者の体験談シリーズですね。しかもある正月は布団すら足りなくて寝袋でした。私、ほんとにあの家の子だよね……?


次回、作者に姉がいたらいっしょに食べたかった福岡の居酒屋メニューのお話。


ラノベっぽいエピソードも紹介しとこう。

廊下で寝ていたら、朝早く出かける妹のスカートを真下から見てしまい怒られたことがあります。お兄ちゃん悪くないのに。

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