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早乙女さんはつかめない

 俺がミオさんにヘッドハンティング、というより物理的にハンティングされてから一週間が経った。


 そんな短い期間ではあるが、俺の雇い主にして隣のお姉さん、ミオさんについていくつか分かってきたことがある。


「その件は担当の押山に一任しております。ええ、CCで入れていただいたメールもチェックしておりますから、進捗は私も把握できております。押山も昨年の……はい、あのプロジェクトを牽引した実績のある部下です。どうぞ安心してお任せください」


 本名は早乙女ミオさん。年齢は二十八歳で、どこかの会社でマーケティングを担当しているらしい。規模は小さいけれど勢いと実績のある会社らしく、大手を巻き込んで大口のプロジェクトをいくつも推進していると言っていた。


 そんな会社で活躍しているだけあって、朝のコーヒーを飲みながらスマホに語りかける姿も様になっている。

 不躾にかかってきた取引先との通話を終えてスマホを切ると、ミオさんは手にしていたマグカップを置いて肩をすくめた。


「コーヒー、冷めちゃった」


「そう思って新しいのを用意してありますよ」


「さすが。ありがと」


 全体的に薄化粧なミオさんの、アイメイクだけは少し厚めに施されている。マーケティングという戦場で年上の上司や取引先に舐められないための“刃”だと言う。


 そんな刃物のような眼差しを綻ばせてコーヒーを受け取る姿は、まるで現代の女騎士だ。


「さてと、そろそろ出ないと今日中に片付かないわね」


「はい、気をつけて行ってらっしゃい」


「行ってきます!」


 マンションの廊下にヒールを鳴らして出かけたミオさんを見送り、まずは一息。


 朝食は摂らないというミオさんにコーヒーを淹れ、「行ってらっしゃい」を言うのも仕事のうちだ。


 見送っていないのに出迎えるのはおかしくないか。一週間前、俺がそう言った時のミオさんの「ぱあっ」と明るい音のしそうな顔は今でもよく覚えている。


「さーて。待ってろよ、床!」


 ふたり分のマグカップを洗って中身の増えた食器棚に戻し、リビングへと足を運ぶ。


「待ってろよ、床」なんて日本語を口に出す日が来るとは思っていなかったが、今の俺は廃棄物に隠されし(ユカ)との邂逅を心待ちにするひとりの恋する男と言っても過言ではない。


「転がってたペットボトルを洗って潰すのに昨日までかかったからな……。今日は本のダンボールを片付けよう」


 ミオさんについて分かったことその二。衛生観念がズレている。


 あの夜にはゴミ屋敷かと思った部屋も、よく見たらカビは生えていないし悪臭もしなかった。弁当のカラだとか生ゴミだとかは『不衛生だから』こまめに処分していたらしい。


 一方、飲み終わってフタを閉めたペットボトルや不要なダイレクトメール、未開封の引っ越し荷物は床に放置していた。


 なぜなら『汚くないから』。


「だってほら、ペットボトルの『ペット』ってポリエチレンテレフタラートなんだよ? 人体に無害だし、表面にカビなんて生えないし、しばらく置いてても大丈夫かなって……」


 とは本人の弁だ。思い出して、さっきまでのミオさんとのギャップに脳が少しばかり悲鳴を上げる。


 ミオさんの主張がどうあれ、部屋の主たる人間がダンボールとペットボトルの隙間で生活するいわれはない。


(ミオさんが俺を強制ハンティングしたせいで)生まれた膨大な空き時間を活用して掃除を開始したのは、五日前のこんな会話の後からだ。


「き、気持ちは嬉しいんだけどね松友くん? 公私は分けるべきじゃない? ほら、やっぱり男の人からしたら触りたくないものだってあるし」


「いいですかミオさん。ここはミオさんのお家ですが、同時に俺の職場でもありますよね?」


「え? そ、そうですね?」


「俺は雇用契約を結んだ従業員ですよね?」


「はい」


「従業員が職場環境を改善するのは権利であり義務です」


「あばばば」


 分かったことその三。「あばばばば」という鳴き声がなんなのかは本人もよく分かってない。


「幸い、引越し業者が箱に中身を書いてくれています。プライベートに関わりそうなものには触りませんから」


「分かりました……」


 こうして、物理的にも風通しの良い職場作りを目指して俺の努力が始まった次第だ。


 そして分かったことその四、は、すでにかなり漏れているが、一応述べておく。


「ん、そろそろ帰ってくる頃合いか」


“ピンポーン”


 床の封印解除がひと段落した後は自宅に戻り、次は夕方の五時に早乙女家へ『出社』することになっている。ミオさんは五時が定時なので、その時間から待っていれば出遅れることはない。


 一週間やっていれば、だいたいの帰宅時間も分かってくる。せっかくなのでと夕食を用意した午後六時、ちょうどインターホンの音が鳴った。


「ただ、いまー……?」


「おかえりなさい」


「た、ただいま!」


「はい、おかえりなさい。今日も一日がんばりましたね」


「いる、松友さんがいる……!」


「もちろんいますよ。これが仕事ですから」


「そうだよね! 仕事なんだからいるよね! 仕事でよかった!」


「ハハハ……」


 改めて、分かったことその四。私生活のミオさんは、コミュニケーションが苦手で、寂しがりで、しかもちょっと後ろ向き。


 帰ってきてドアの前に立つたび、今日こそ誰もいないんじゃないかと不安になるらしく、このやりとりはもう七日連続でやっている。


「世の中には、結婚する前からいっしょに住んでるカップルがいっぱいいるんだよね」


 あと、仕事で疲れていると精神年齢がちょっと下がる。


「はいはい、同棲ってやつですよね」


 俺には縁がなかったからよく分からんが。


「なんで、相手が口で『好き』とか言っただけで自分の家に野放しにできるんだろ……ふしぎ……」


「野放し」


「出かけて帰ってきたらいなくなってても文句言えないのにね。訴訟しても勝てないんだよ?」


 退行したようで考え方は変わらないからまたよく分からない。このミオさんの体質の方がよほど不思議だ。


「そこはほら、信頼とかそういうのじゃないんですか?」


「信頼……」


「そうそう、信頼関係」


「信頼なんて、信頼なんて! 今日だって✕✕商事の課長が! 半年も前から擦り寄ってきたのはそっちのくせに!!」


 いかん、地雷踏んだ。


「まあまあ、自分ちの玄関で立ち話もなんですし。ご飯でも食べながらゆっくり聞きますよ」


「ごはん!」


「今日は豚の生姜焼きですよ」


「お味噌汁は?」


「豆腐と油揚げで大豆 with 大豆 with 大豆です」


「わーい」


 前の職場がブラックだったせいで台所から遠のいていた俺だが、学生時代は自炊していた身だ。時間と予算さえあれば、普通の家庭料理を回すくらいの技術とレパートリーはある。


 ミオさんは俺の作る料理を本当に楽しみにしてくれるから、こっちも作りがいがあるというものだ。


「きがえてくる!」


「はいはい」


「手伝って!」


「ダメです」


 もともと甘え下手だった反動が唐突に出たりするから油断できないのが難点といえば難点だが。いくら中身が幼児でも推定DかEカップの胸部までは退行しない。俺の理性が負ければそれまでだ。


 据え膳喰わぬは、という言葉を全否定はしない。


 でもその膳が子供のためのお子様ランチだったら、食う奴は悪魔だ。


「ほら、早くしないと冷めますよ」


「はーい……」


 すごすごと自分の寝室へ向かうミオさんを見送り、味噌汁を椀によそう。


 これから平和な夕食が始まると、俺もおそらくミオさんもそう思い込んでいた。




 二匹の黒光りする悪魔が、同時多発的に早乙女家を襲うまでは。

6/11付のジャンル別日間ランキングにて、なんと25位に入りました! ありがとうございます!


嬉しいです! 1コ上の24位からは日間総合にも入ってたとしてもすごく嬉しいです!


……がんばって続き書きます


【訂正】

今朝付けのランキングで総合149位でした……ありがとうございます。入れないと悔しいけどいざ入るとビビる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 早乙女さんの年上感がゼロ(//∇//) 同棲感が凄く感じる
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