早乙女さんにようこそ
ミオさんは神奈川の出身だ。なら当然、おハイソな標準語や東京言葉に親しんで育ってきたに違いない。方言なんて分かっても三河弁くらいまでだろう。
一方こちらは西の果てに根付いた糸島の民。そんな面子がコミュニケーションをとれる方法は限られている。
「オレ ユウジ。イトシマ ノ タミ」
「えっ、なんでカタコト?」
「ジジ イトシマ ノ タミ」
「ババ カラツ ノ タミ。コノコ イズコ ノ タミ?」
「ミオサン サガミ ノ タミ。マチウマレ マチソダチ。リカイ?」
「リカイリカイ」
「リカイリカイ」
「えっ、えっ」
戸惑うミオさんをよそに、ジジババと俺の三人は顔を見合わせて頷いた。
「よく来てくれた、お嬢さん。いつも裕二が世話になっている」
「長旅でお疲れでしょう? どうぞゆっくりしていってくださいね」
「日本語だ!?」
「ミオさん、さっきのも日本語ですよ」
一応、と心のなかで付け加えておく。
「あ、そ、そっか、大変に失礼を……。あの、標準語も使えるんですか?」
「私は小学校が東京だったんですよ。おじいちゃんは……」
「おい、そんなことよりいつまでお嬢さんを炎天下に立たせとく気だ。トランクの荷物は俺が下ろしとくから麦茶でも出してやりなさい」
「あらあらはいはい」
「えっ、あっ、おかまいなく……?」
じいちゃんに促されるまま、ミオさんといっしょに実家の玄関をくぐる。
石造りの土間を上がると、相変わらず二十八度に設定されているらしいクーラーのぬるめの冷気が迎え入れてくれた。上がってすぐの木張りの廊下には、あちこちに傷隠しクレヨンを使った跡が見て取れる。
廊下、といっても狭い家だ。三メートルも進まずに突き当たり、右手の部屋に入るとちょっと熱を帯びた畳の匂いが心地よい。最近増えたウレタン入りでは出せない、本物のい草のそれだ。
「変わらないな……」
昭和の時代から使っているであろう銀河ガラスも、少し黄ばんだ笹柄のふすまも、ニワトリの絵柄の蚊取り線香も。俺や裕夏が小さい頃にした落書きがうっすら残っているのも。
テレビだけ、二〇一一年の地デジ対応で買い替えたせいでちょっと浮いている感じがするのも。
どれも、俺がいた高校時代とほとんど変わっていない。
「まさしく日本の家、だね。いるだけで安心するかも」
「それは何よりです」
「……本物の九州弁も、いきなり標準語になったのもびっくりしたけどね。松友さんは東京で言葉を直したのかなって思ってたから」
それは割と本気で申し訳ない。
「さすがに一年ちょっとじゃ標準語もペラペラとはいきませんから。先にあのふたりを通して覚えてたんですよ」
「どおりで……。なんで土屋さんとあんなに違うのかって不思議だったけど、そういうことかー」
土屋は方言男子のほうがモテると思ってわざと直してないんだが、それは言わぬが花か。
「まあくつろいでください。見ての通りボロ家ですが、言葉は通じますんで」
一応、と心のなかでもう一度付け加えておく。
「意思疎通ができる、とっても大事」
「人間は社会に生きる生物だって実感しますよね」
「日本語と英語の通じない国にはしばらく行かないようにしようかな……」
ともあれ、これでようやく落ち着ける。
などとは思わない。だってここは俺の実家だから。落ち着けないことは誰よりも知っている。
「あ、ミオさん。お仕事モードはまだ切らないほうがいいと思いますよ」
「え? お仕事モード?」
ミオさんが首をかしげつつ手荷物をおろしたところでふすまが開く。入ってきたばあちゃんは麦茶をちゃぶ台に置くと、出しっぱなしになっていた鍋やらなんやらを代わりにお盆に載せてゆく。
「はいはいはいはい、ちょっとテーブルかたしちゃいますからね。ごめんなさいねぇ、裕二が何にも言わないもんだから掃除もろくにしてなくって」
「ああいえ、こちらこそ急におじゃましてしまって」
「裕二もなんでこんな大事なことを言わないの! 昔っから何をするのも急なんだからもー」
「なんでってそりゃ……」
「おい、ばあさん!」
俺の言葉を遮るように、携帯電話を耳に当てたじいちゃんが乗り込んできた。
「どうしました、おじいちゃん」
「買い物に行かせた千裕たちから電話ばい。鯛はいいのが入っとらんとよ」
「あらあら。じゃあ牛肉よ! 霜降りのすき焼き用を六人前!」
「もしもし千裕、すき焼きに変更ばい! 肉から春菊から豆腐まで一番上等なやつば買ってこい! ……裕夏ぁ! 電話口で叫ぶっちゃなかといつも言っとろうが!」
たぶん、すき焼きに反応した裕夏の声がじいちゃんの鼓膜を直撃したんだろう。
「ああおじいちゃん、あとあれ、あれも買ってきてもらってちょうだいな」
「千裕、ケーキも追加じゃ! ミチさんとこの店の果物の山盛りのったやつあろうもん、あれにせえ」
「あ、おばあ様、ケーキなら私が手土産にこちらを」
ミオさんが差し出した箱を見て、いかにも「まあ」という顔でばあちゃんは手を合わせる。
「天神の有名なお店じゃない。こんなけっこうなものをいただいちゃってあらあらあら」
「お口に合うといいんですが……」
「もう裕二、こんなできたお嬢さん連れてくるなんて、あんた東京でどんな悪いことしてるの!」
「まっとうに生きとるわ」
「もしもし千裕! ケーキはもらったけんなんか別のにしちゃりい! 裕夏にさえ選ばせんどけばなんでんよか!」
裕夏に選ばせると、黒い名峰と名のついたアイスが大量に持ち込まれることだろう。
だんだん混沌としてきた。
「そうだ早乙女さん、お酒は飲める方かしら? いらっしゃるのが分かってればいろいろ揃えておいたんだけど……」
「ありがとうございます。でも、私はこの麦茶が一番ですから」
「もーー、健康長寿っ!!」
急に連れてきてもこの調子だ。事前に言ってあれば、きっとでかい鯛とイカの活造りにローストビーフ、あと国内外の銘酒がずらりと用意されていたに違いない。いくらなんでもやりすぎだ。
「言ったら大ごとになると思ってあえて伏せておいたが……」
信じがたいことに、俺たちの到着からまだ五分しか経っていない。にも関わらずスマッシュな大乱闘の様相を呈し始めた実家の居間で、俺はため息をついた。
「先に言っても言わないでも、疲れることに変わりはない、か」
「に、にぎやかなご家族ね」
「ええ、まあ」
一応笑顔なミオさんの向こうでは、じいちゃんとばあちゃんが寿司をとるかとらないかで盛り上がっている。
「ようこそミオさん、我が松友家へ」
裕夏のモデルはリアル妹です。「なんか来たーー!!」も昔、弟が彼女を連れてきた時に実際に放ったセリフです。帰省の時にはピザをとってやるのが恒例になってます。
千裕のモデルは妄想の姉です。「へえ、まさかあんたにねー」も今、私が言われてみたいセリフです。
姉妹系のいいエピソードがあったら教えてくださると嬉しい。
現実姉の厳しさはご遠慮ください。





