早乙女さんは替えたい
「さてと、行きますかミオさん」
新幹線の空調に慣れた体に、福岡の真夏の空気はいささかしんどみが深い。波形の大屋根が作る影にいてもむせかえるようだ。
日陰でこれなら、あのさんさんと照らされた駅前広場はどれほどの暑さなのだろう。といっても、アスファルトに熱された東京都心よりは過ごしやすかったりするのだけども。
「わたし、これ以上どこに連れていかれるの……?」
「観光と、ミオさんさえよければ俺の実家もですね。ドームはさすがに明日以降かな」
「なんで……?」
「ミオさんが来たいと言ったので」
「そうなんだけど。うん、ありがとうではあるんだけど」
昨日くらいから、ミオさんはなかなかに混乱した様子だ。
博多バスセンター――正式名はバスターミナルだが、言いづらいからかバスセンター呼びが基本だった――を凄まじい頻度で出入りする赤いラインのバスたちをそわそわと目で追っている。
「まあ俺の実家に着くころには福岡の空気にも慣れますよ、きっと」
「そうかな……。あ、松友さんのお家までどのくらい?」
「時間ですか? まっすぐ行けば一時間くらいですね」
それだけ聞くと、バスセンターの案内板を見てミオさんはうんうんと頷く。
「そっかー。じゃあ手土産はケーキでも大丈夫だね。アレルギーのあるご家族とかいたら教えてね」
子供っぽい口調で妙に年の功を感じさせることを言ってくる。
見知らぬ土地のストレスと昼時の時間帯がせめぎあって、何歳なのかよく分からない精神が出来上がったらしい。
「ただ、駅まで迎えに来てもらわないといけない土地でして。その時間まで少し間があるんです」
「うん」
「だから先にこちらへ来ました」
俺の実家がある糸島市は福岡市の隣でそれほど遠くない。博多駅からなら地下鉄が便利だ。
一時間もかからずに着く上、姪浜駅でJR筑肥線に接続してくれるので面倒な乗り換えも不要ときている。
そんな地下鉄だが、もちろんバスセンターから乗るわけもなく、今の目的地は別にある。
「おっきいよねー、ここ。九階建て?」
「地下もあわせて十階だったかな。福岡はとにかくバスの文化ですから。ここからまずは天神へ向かいます」
「天神。知ってる、コアのあるとこ」
「天神コアを知ってる九州外の人、初めて見たんですが……」
「そこから観光するんだねー。どんな名所があるの? お寺とか?」
市内を走るバスの路線図からそれらしい場所を探すミオさんだが、俺の考える福岡観光は路線図からは見えないものだ。
「観光名所は巡りません」
「え?」
「観光名所は巡りません」
大事なことなので二回言った。
「え、でもほら、福岡タワーとかは?」
「タワーも楽しいですよ。でもドームに行くならそのついでで大丈夫かと」
「ドームとタワーって近いの?」
「ほぼお隣さんですね」
「あれ、そうだっけ……?」
「そうですよ?」
写真とかだと割とセットで写ってるけど、案外気づかないものなんだろうか。
「あ、海もあるよね。ひゃく……あれ?」
「百道浜ですね。普通にいい普通のビーチです」
「あれ聞いたことあるよ! 大濠公園!」
「池ですね」
「池」
「超でかい池です」
「超でかい池……」
地元民に知らされた現実に、バス路線図の『大濠公園』をぽけーと見上げている。
しかしミオさん、思ったより詳しいというか、妙にピンポイントな福岡知識がある。
その割にドームとタワーが近いことを知らなかったりするということは、あれか。
「ミオさん、もしかして世界一有名な怪獣が福岡にやってくる映画、観ました?」
「取引先の部長さんに勧められて……」
「なんでも観ますねー、その人」
百道浜から現れた地球怪獣と、福岡タワーに巣を作った宇宙怪獣が激突する怪獣映画である。福岡の街に巨大な結晶体が林立するシーンは圧巻のひと言だ。
福岡県民でも意外と観てないけど。
「あれ、翌年に公開されたカメ怪獣の映画がドームを出すってことで譲りあったらしいですよ。カメの方にはタワーがないそうです」
「詳しいねー」
「身近に好きな奴がいたもので」
そうなんだー、と返事しつつミオさんはバスの路線図をぐるっと見回し、もう自分の知る観光地がないことを確かめて首を傾げている。
「でも松友さん、福岡って観光地なんだよね? お客さんいっぱい来るよね?」
「ええ、国内外からたくさん来てくれますよ」
「みんな何してるの?」
「買い物とかが目当ての人も多いそうですが……」
福岡出身で東京に住んでいるからこそ分かる。福岡市内には、東京から見に来るような観光名所が少ない。
大濠公園も福岡タワーも魅力的なスポットだ。タワーのガラス床エレベーターなんかは何度乗っても面白い。
ただ、少しばかりパンチが弱い。
熊本城のような立派な史跡も、浦上天主堂のような重みある遺産も、くじゅうや霧島や阿蘇のような雄大な自然もない。ついでに西郷どんもいない。それが福岡市だ。
だがそれを補ってあまりある、間違いなく日本一と思えるものが福岡にはある。
「飯がうまいんです」
「ごはん!」
「ええ、何を食べてもとにかくうまい。リアス式海岸に恵まれた対馬からは新鮮な魚介が、肥沃な土地が広がる久留米や熊本からは米や野菜、肉が集まります」
「おぉぉ……!」
「そうして作られる料理は当然うまいわけですが、やはりまずは……あ、バスが来ました。あれ乗りましょう」
「うん、分か……えっ、えっ、何これ、列どうなってるの」
「こっちを回り込んで最後尾がここです、ここ」
外から見ると大きい博多駅のバスセンターも、利用者とバスの数を考えるとそれでもやや狭い。
そこをカバーするためだろうか、列形成は床に引かれた色とりどりのラインによる少し複雑な方式がとられている。
「ちなみに天神までは百円ぽっきりです」
「Suica使える?」
「使えますよ。ちなみに福岡のローカルICカードは『はやかけん』です。記念に買いますか?」
「いらないかなー」
「そうですかー」
「さて、何を食べてもうまい福岡ですが、まずはやはりこれでしょう」
「ラーメン!」
「迎えの時間もそこまで先ではないですし、一軒食べたらちょうどいいくらいですね」
福岡市には無数のラーメン屋があり、言わずもがなそのほとんどが豚骨ラーメンだ。
あっさりめでツルツルいける博多ラーメン、骨髄の味まで染み出した久留米ラーメン、エスニック風や担々麺風などの創作ラーメン。種類も工夫もさまざまに存在する。
もちろん人気店もあればそうでない店もあるが、ただの競争社会で成り立っているわけではない。
各自がお気に入りを持ち、通うことが大事な要素となっている。
「ここが俺のイチオシ店です。といっても、来るのはこれでやっと十回目とかですが」
「お店の周りのにおいが胸にくる……」
「そこは同意しますが、それを理由に食べないのはもったいない店ですよ」
こちらのラーメンは五百円から六百円が基本だ。上京直後にはラーメン一杯が四桁という都会の洗礼に涙をのんだ記憶がある。
食券を買って麺のかたさを指定し、待つこと数分。
「この白さを見ると帰ってきたなと思いますねぇ」
「ふぉぉ、まっしろですこしも透けてないスープだ……!」
「具はきくらげにネギ、チャーシュー。お好みで紅しょうがや高菜を載せてごまをかけます。高菜は辛いので気をつけてください」
「いただきます!」
「いただきます」
博多の細麺は伸びやすい。とにかくすばやくいただく。
すすった瞬間に鼻を抜けていく脂の香りがたまらない。
「ばりうまかー」
「ばりうまかー」
あとで土屋に写真を送ってやろうと思う。きっと喜ぶだろう。
「ちなみにですが、店によっては食べたあとからふくれてくる麺を使っていたりしまして。勢いで替え玉するとちょっと後悔します」
「先に言ってくれたらうれしかったかも」
「すみません。まさかのダブル替え玉は予想外で対応できず」
「いいの、でも待って。すぐ落ち着くから」
手近に日陰のベンチがあってよかった。新幹線で駅弁を食べたのを半ば忘れていたのが問題だったかもしれない。
でも誰だって食べるに決まってる。なんせ新幹線なんだから。
「時間、だいじょうぶ?」
実家からの迎えの話だろう。確かに迫ってはいるが、もともと厳密に決めてあるわけでもない。
「まだ平気ですよ。それにミオさんまで無理して行かないといけないわけでもないですし」
「ううん、ここまで来てご挨拶もしないのはフギリだから……!」
「まあゆっくり行きましょう」
体操服姿で歩く部活帰りの中学生たちを横目に、コンビニで買った水を一口飲んでカバンにしまった。
リアリティを出すためにお姉さんと福岡旅行する計画を立ててたら更新遅れました。申し訳ありません。
でもおかげでなかなか楽しそうな計画ができました。
唯一の問題はいっしょに行ってくれるお姉さんがいないことです。なぜだ……。





