早乙女さんと夏のはじまり
ジジ……ムリュムリュムリュムリュムリュ……。
「へび花火って、いいですよね……」
「そもそもこれは花火なんやろか」
「古くは『ファラオの蛇』とも呼ばれた、ヨーロッパ生まれのハイカラな花火なんですよ土屋先輩」
「ほーん」
海に面した庭に『花火で遊ぶ時のやくそく』と書かれた看板が立てられている。宿に備え付けられたそんなスペースで、俺たちは持参した花火を広げていた。
蚊取り線香の煙に花火の匂いに、バーベキューの残り香。夏が潮風に乗って鼻孔をくすぐる夜だ。
「ようやく涼しくなってきましたね、ミオさん」
「そうだねー。星すごーい」
バーベキューで残った缶ジュースをこくこくと飲みながら、ミオさんは星空に目を輝かせている。それにつられて見上げれば、ふたりきりの七夕祭りでは見えなかった天の川が空を流れていた。
「さて、土屋と村崎にぜんぶ燃やされる前に俺たちも花火しますか」
「するー」
「どれにします? 線香花火、手持ち花火、ネズミ花火とだいたい揃ってますよ」
「手持ち花火!」
「好きな光の三原色は?」
「ぜんぶ!」
「じゃあ色変わり花火ですねー」
袋から『レインボー』と印字された花火を選んで差し出す。
宿で借りた『祭』のうちわを手に縁側で足をパタパタさせていたミオさんが、ぴょんと飛んでこちらへ駆けてくるのを待ってライターに火を付けた。
「おおー」
「俺も久しぶりにやりましたけど、こんなに鮮やかなものでしたっけね」
赤、青、緑と変化してゆく光に照らされたミオさんの瞳は、深くなってゆく夜闇の中で花火より光って見える。
思えば、ミオさんと出会ったのも夜だった。あの雨の夜、ひとり佇んでいたミオさんに声をかけたことから全てが変わった。
もしミオさんが鍵をなくさなかったら。
もし俺がもっと疲れていて関わるのを躊躇ったら。
そんな小さな差で起こらなかったかもしれない、危ういめぐり合わせで俺たち四人はここにいる。
「次、これがいい!」
「はいはい」
「松友さんもいっしょにやろー?」
「じゃあ、俺もミオさんと同じのを」
並んで次の花火に火をつける。白い火花が飛び出し、放物線を描いて草の上で飛び跳ねた。
「松友さん、花火好き?」
「俺ですか。大きいのも小さいのも好きですよ」
「私もー」
花火をぐるぐる回して遊ぶミオさんを見ながら、ふと考える。
果たして、この仕事はいつまで続けられるだろう。これだけで一生食べていけるかと言われればなんともいえないのは百も承知だ。
それでも。
「ミオさん、俺、今こうしてることを後悔することは一生無いと思います」
「なんのこと?」
「それくらい楽しい、ってことですよ」
「そっかー」
私もー、と続くのに合わせて、手にしていた花火が最後の輝きを放って消えた。
花火も減ってきたしそろそろ線香花火でも、と手を伸ばしたところで、隅でへび花火を観察していた土屋と村崎の声がした。
「早乙女さーん、そろそろでかいのやりましょー!」
「宿の方に聞いたら、打ち上げは禁止ですが噴出タイプはいいそうです!」
「だ、そうですよミオさん。行きましょう」
「うん!」
土屋がライターから点火すると、導火線がじりじりと音を立てて筒型の花火に吸い込まれた。一瞬の静寂を挟んで、ピンク色の火花がごう、と吹き上がる。夜空に満ちる星がその数を増したようにすら見える光景に、土屋と村崎が歓声を上げた。
「おおー!」
「そうだ写真、写真撮ります!」
ミオさんも俺のシャツの裾を掴みながら、夜空に舞う煌きをじっと見つめている。どこか、その瞳がうるんで見えるのは気のせいだろうか。
「綺麗ですね、ミオさん」
「ねー」
「俺たちが出会ってから二ヶ月弱。それまではこんなの想像もしなかったのに、人生って分からないものです」
「ねー」
「ほら、土屋と村崎もあんなに楽しそうで……」
「ねー」
「……ミオさん、現ドイツ政権の対仏政策についてどう思われますか?」
「ねー」
とっさに、俺はさっきまでミオさんが座っていた縁側を見た。
バーベキューで出た缶ジュースを一本持ってきて飲んでいたはずだがそのラベルを俺は見ていない。暗い中で目を凝らして読み取ったのは、ひらがな四文字。
「ほ○よい、だと」
ジュースだと思っていたそれは、アルコール三パーセント、ほどよい甘さと選べるフレーバーが嬉しい缶チューハイだった。
あれ一本で酔う人もそうそういまいが、ミオさんがアルコールに強くないのは生卵酒の一件で確認済みだ。現にミオさんに視線を戻せば、ウミガメの子のようによたよたと海を目指していた。
「ねーねー松友さん、海、すごくきれいだよー」
「ミオさん、危ないから海の方は行っちゃダメです」
「もー、おぼれないよぉ」
海岸では、別の若者グループが俺たちよりも派手な花火を鳴らして歓声を上げている。噂に聞くパーリーな人々に違いない。
このままでは、まずい。
顔立ちも整ったEカップのほろ酔い二十八歳児が、アバンチュールな夏の海岸に解き放たれてしまう。
それはなんとしても防がなくては。
「おーい土屋、村崎!」
「ん、どしたー?」
「あれ、早乙女さんどうかしましたか?」
「ちょっと酔っちまったらしくてな。花火もだいたい終わったし、ここは部屋に戻って……」
幸いにして、俺には『備え』がある。
この四人で集まって夜を過ごすなら。そこには決して欠かせないものがあると、俺は旅行が決まったときから思っていたのだ。
「おいマッツー、まさか……」
「いいですね。私もリベンジのチャンスを伺っていたところです」
「お、やるー? あーちゃんたちはいないけど負けないよー?」
察した様子の三人に小さく頷き、俺はポケットから手のひら大の箱を取り出して夜空に掲げた。
「ウノ、やろうか!」
ピンクの花火に照らされて、黒地を彩る黄色いロゴが浮かび上がる。
夏の夜は、まだまだ始まったばかりだ。
ここまで読了いただき、誠にありがとうございます。
本作はこれにて第一章完結となります。
あーちゃん編で終わってもよかったのかもしれませんが、本作は『ラブコメディ』ですので。コメディが泣いて終わっちゃダメでしょうと思い、笑って締めさせていただきました。
今後は番外編を少し挟んだ後、二章へと移る予定です。
まだまだお話は続きますので、今日のところはここらでブクマして、ゆっくり長くお付き合いいただければ幸いです。
2019.7.7 黄波戸井ショウリ





