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早乙女さんはミルキーウェイ

「ええか村崎。これは天下の東京で生まれた文化やけん、関東の県じゃどこでも言わんといけん。分かるな?」


「土屋先輩、その発言は関東全県への挑戦ととってよろしいですか。私の地元(いばらき)を舐めると昭和式ヤンキーを敵に回すと知ってのことですか」


「まあ、こんな時と場所でしか言えないのは事実です。行きますよミオさん」


「えっ、えっ、あば、はい!?」


 せーの。


「「「「海だーーーーーーーー!!!」」」」


 七月の太陽が照らす九十九里浜を、二十代も半ばを迎えた男女の歓声が突き抜けた。






 ことの発端は七月上旬まで遡る。


「織姫様が見えるねー」


「ええ、あっちに彦星も。電気を消すと、星もそれなりに見えるものですね」


 土屋たちも巻き込んでの一件が落ち着いてから四日が経った、金曜日の今日。 


 俺とミオさんは、ふたりで小さな七夕祭りをしていた。


 公園で切ってきた小さな笹に吊るされた折り紙の短冊が、窓からの風にひらひらと揺れている。『世界平和』と書かれた紙が笹の葉に擦れる音を聞きながら、冷たい素麺をいただく。


 これぞ日本の夏だ。


「そうめんって、毎年あきるのにまた食べたくなるからふしぎだよねー」


「夏が来ると『あー素麺食べないとなー』っていう義務感すらやってきますもんね」


「ねー」


「日本人のDNAに刻まれた拡張機能なんですよ、きっと」


 幸いにして、今日は今年の素麺開き。飽き度ゼロの一番おいしい素麺が食べられる日だ。


 素麺そのものの味を楽しむため、薬味もシンプルにネギに海苔、生姜、そして納豆のみにしてある。


 もっとも、素麺の横に納豆が置いてあるのを見たミオさんに「松友さん、疲れてるのかな……?」みたいな顔をされたのは心外だったが。


「ねえ、ほんとに納豆入れておいしいの?」


「本当です」


「おいしいって、どのくらい?」


「天の川を幻視するくらいです」


「天の川」


「ええ、東京の煤けた空に大豆と小麦粉のミルキーウェイが見えます」


 半信半疑といった様子で、俺にならって素麺のつゆに納豆をインするミオさん。軽くかき混ぜ、そこに素麺をひたすと、何粒かの納豆が素麺に絡んで持ち上がる。


「なんか、茶色い粒がならんでそろばんみたい」


「あー、はい、そうですね」


 熱とアルコールのせいとはいえ、納豆の演算能力で会社を救おうとした人は言うことが違う。ミオさんの中で納豆とそろばんはだいぶ近しい存在なのかもしれない。


 当分は消えそうにない記憶に内心で頭を抱える俺をよそに、ミオさんは納豆の絡んだ素麺を口へ運び。


 その動きを止めた。


「ミオさん?」


「……白鳥が飛んでる」


「いろんな人にこの食べ方を勧めてきましたが、天の川上空を飛ぶはくちょう座まで見た人は初めてです」


「おいしい、おいしいよ松友さん!」


「でしょう?」


「試そうとも思わなかった、こんなの……!」


「冷静に考えれば、麺つゆと納豆のタレってだいたい同じものですからね。合わない方がおかしいってもんですよ」


 これをやるために、麺つゆにはかつお節とさば節のものを選んで買ってきた。


 納豆に含まれる旨味成分は大豆由来のグルタミン酸だ。そこにかつお節とさば節のイノシン酸が加わると、相乗効果で旨味が数倍まで跳ね上がる。


 これが淡白な味の素麺に絡むことで、あつあつの納豆ご飯と同じ旨さを摂氏ひと桁のひんやり感で楽しめるのだ。


「この他にもごま油、味噌ラーメンのスープなどなど、つゆに足すだけで素麺の楽しみ方が増えるものはたくさんあります」


「おぉぉ……!」


「さらに具と炒めたソーミンチャンプルーにも沖縄風、四川風、広東風といろいろあります。ビーフンともまた違った食感で、ご飯のおかずとして最適です」


「ふぉぉぉ……!!」


「今年こそ、秋まで飽きずに素麺を食べ切りましょう」


「おー!」


 もっとも、やり手のマーケターが受け取るお中元の数を、ひいては素麺の量を俺が完全に侮っていたことが後日判明するのだが、それはまた別の話だ。


「……ん?」


 話している間に、スマホのSNSアプリにチャットが届いていたことに気づいた。時刻は三十分ほど前で、通話をかけても出ないから文字で送ってきたらしい。


「どうしたのー?」


「土屋からです。夏休みの日程が決まったと」


 土屋たちの会社は、六月に降って湧いた大口取引のために季節外れの繁忙期を迎えている。


 そのため全社員が一斉に休むわけにはいかず、七月から八月にかけて交代で休むことになった、ということらしい。


「いつー?」


「七月の最終週ですね。村崎も同じらしいです」


「そうなんだー」


「それでですね」


「うん?」


 ミオさんが首を小さく傾げた。


 休みが決まったのはあくまで前置き。本題はここからだ。


「土屋が、四人で海に行きたいと」


「うみ……」


「はい、海です」


「海かぁ……」


 ミオさんは基本的にはインドア派だ。この前のように必要な買い物があれば別だが、休みの日にわざわざ人混みへ出かけていくようなことは基本的にしない。


 いざ行ってしまえば楽しいのだろうと思いつつ、腰が椅子から離れない。それがインドア派の宿命だ。


「行けば楽しい。きっと楽しい、うん」


「海、苦手でした?」


「そうじゃないけど……」


「山とかがよければ、そう伝えますよ? 土屋たちだってミオさんには楽しんで欲しいでしょうし」


 振り返ってみれば、土屋には借りを作りっぱなしだ。


 風邪の時には買い出しをしてもらい、深夜に呼び出して徹夜でウノに付き合わせ、あーちゃんの修復では見事に声の復元成功という大金星を上げた。


 そうして生半可なことでは返せない恩が、解消されないまま何段にも積み上がっている。


 さらにあーちゃんの件でのもうひとりの恩人、村崎も楽しみにしていると言われてしまえばもうチェックメイト。


 望みは聞いてやりたいところだがあちらが立てばこちらが立たず……と俺は思っていたのだが。


 どうやら、ミオさんの悩みはそういう部分ではないらしい。


「う、海は好きだよ? つちやさんや村崎さんとも行きたいよ? ただ、その」


「何か気になることでも?」


「わたしね、前は晩ごはんはお豆腐とサラダとかだったの」


「はい」


 出会った日にそんなことを言っていた気がする。


「でもほら、炭水化物ってなければないでいいけど、あると好きなだけ食べたくなるのが日本人のDNAでしょ?」


「つまり?」


「松友さんのご飯がおいしくて、ちょっと……」


「辛いことを言わせましたすみません」


「松友さん」


「はい」


「そうめんは今日で封印しよう」


「朗報があります。明日は豆腐の特売日です」


「一網打尽にしなさい。これは命令よ」


了解(ガッチャ)


 こうして七月末の海水浴が決まったのが、先々週ごろのことだった。

素麺のつゆに納豆。


やったことない方はぜひ。一人前のつゆに半パックくらいが適量です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] あの騒動から何日か経ってる素麺開きって ホラー映画を見た日に食べた素麺は開かなかったということですか?
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