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早乙女さんとは会わせない

 一度会いたい。真意をはかりかねる俺に、渡瀬未華子は無視できない情報を口にした。




『あーちゃんは、今も私の家にある』、と。




 疑問は尽きないまま、俺は指定された待ち合わせ場所の駅に降り立った。


 場所は神奈川県の横浜市郊外。渡瀬未華子の実家近くで、おそらくはミオさんの地元でもある町だった。


 しばらく待つと、卒業アルバムの面影があるブラウス姿の女性が現れた。実家へ向かうバスの中、渡瀬未華子は俺が聞く前からミオさんとの過去について語りだした。


「もともと、ミオは要領が悪くて。仲良くしてあげてる子も私くらいしかいなかったんです」


「はあ」


 俺の隣でつり革を握る渡瀬未華子は、そう切り出した。


「そんなだからけっこういじめにもあっていたみたいです。学校でも、通ってたそろばん教室でも、物を隠されたり汚されたりが日常茶飯事でした」


 やや早口で語る内容は、日記の内容と一致している。


「そんな中、あなただけは違ったと?」


「ええ、途中までは」


 苦虫を噛み潰したような顔。


「脅迫されたの。ミオをかばうならお前も標的だ、って。遠回しにですけどね」


「それで、どうしたんです?」


「仕方なかったんですよ。私だって立場の強い方じゃなかったし、助けてくれない子をただ守るにも限界があった。できるだけ抵抗しましたけど、どうしようもなくて」


 バスを下りて、七月の日差しが降り注ぐ住宅街を歩く。突き当りに見えるごく普通の赤屋根の家屋が、彼女の実家だという。


「それで?」


「あの子と縁を切ったことをはっきりするために、あの子のぬいぐるみを盗って隠したんです。だってもう四年生ですよ? ぬいぐるみぐらい卒業したっていい時期でしたし、あの子だって分かってくれると思って」


「では、『あーちゃん』っていうのは」


「そのぬいぐるみの名前。人間じゃないんです」


 どんどん早口になる渡瀬未華子は、実家に帰るなり庭へと向かった。


 部屋にでも置いているのかと思ったら屋外の物置らしい。


「この中に……えっと、あれ?」


「あなたがミオさんからあーちゃんを奪った経緯は分かりました。しかしなんで、そのぬいぐるみをずっと持っていたんですか?」


「謝りたくて。仕方のなかったこととはいえ、あの子には悪いことをしてしまいましたし」


「はあ」


「あの子だってあの時は泣いていたけど、きっと分かってくれると思っています。……あれ、どこ行ったのかしら」


 ガタガタと物置の奥へと手を伸ばす渡瀬未華子に、俺は妙な違和感を覚える。


 幼い頃に友達にした仕打ちを後悔し続け、謝るために盗ったものを持ち続ける。


 何かが釈然としない。


「あ、あった。ありました! あー……」


 渡瀬未華子が取り出したそれを見て、俺は自分の違和感の正体を知った。


「……これが、『あーちゃん』?」


「ちょっと雨が漏ったみたいで。まあでも、いまさらベッドに置くものでもないし……」


 原型がない。


 破れ、汚れ、中の機械部分まで見えている。ぬいぐるみだと事前に言われていて、やっとそうと分かるような保存状態だった。


 受け取ってみれば、しっとりと湿った感触が手に伝わってくる。電池で喋るぬいぐるみと聞いたが、これでは電気系統も浸水して死んでいるに違いない。


「これは、俺がお預かりしても?」


「ええ、持って行っちゃってください。きっと渡せば伝わると思うの。ああ、なんだか肩の荷が下りたわー」


 どこか晴れやかな顔で、渡瀬未華子は『それ』を俺に押し付けた。


 今にも崩れ落ちそうなあーちゃんだったものを、俺は持参した紙袋へと移した。


 これで用事は済んだ。知りたいこともだいたい知れた。


 なら早く帰るべきだが、俺の足はまだ動かない。


「……荷が降りたのは、あなただけなんじゃないですか」


「はい?」


 口に出してから、これは俺が言うべきことではないかもしれないと気づく。


 それでも。目の前の女に、言わずにはいられない。


「ミオさんを裏切った後味の悪さを、なんとなくモヤモヤと持ち続けて、忘れかけた頃に俺から電話が来た。だから体よく押し付けてスッキリしようとした。そうなんでしょう?」


「な、何よ急に」


「いえ。ただあなたに裏切られたことで、ミオさんがどれほど苦しんだのか。想像できるならそんなことは言えないんじゃないかと思っただけです」


『あーちゃん、どこ。みかちゃん、なんで』


 この薄汚れた布と綿と機械のかたまりは、ミオさんにとって引き裂かれた友達であると同時に、親友からの裏切りの象徴だ。熱に浮かされた夜に、孤独を噛みしめる夜に、夢に見ては苦しむほどのトラウマだ。


 それを形だけ持ち続けて、いまさら突き返して晴れやかな顔をする人間がいる。


 そんな相手に愛想笑いを浮かべていられるほどには、俺はできた大人じゃなかったらしい。


「あ、あなたにそんなこと言われる筋合いはないじゃない」


「ええ、そうですね」


「雇われている、なんて言ってたけど、もしかして探偵か何か? ミオにかこつけて私の身辺調査に来たのなら残念だけど、やましいことは何も無いわよ」


「いいえ、俺はミオさんと直接に雇用契約を結んでいるただの従業員です。書面を見せましょうか?」


 身分証明のために一応持ってきておいてよかった。書類を取り出そうとする俺を制止し、渡瀬未華子は何かを悟ったような顔で不敵に笑う。


「ああ、分かった。あなた、本当はミオの彼氏かなんかでしょ」


「彼氏、ですか」


「昔の話を聞いて、いいとこ見せようとして来たんじゃないの。愛が深くてけっこうなことね」


 ああ、本当にこの人は。


 ミオさんは、人を信じようとしたために人を信じられなくなった。でもこの人は、ミオさんのこともはなから信じていなかったのかもしれない。


「俺に言わせれば」


 元はミオさんに言わせれば。


「口で好き好き言っているだけで何の契約も交わしていない人間にこそ、そんな権利があるとは思えませんが」


「な……。じゃあ、あなたにはあるっていうの? どんな契約で?」


「権利があるから来たわけじゃありません。でも、責任はあると思っています」


「責任……?」


「俺はね、渡瀬さん。




 ミオさんに笑って『ただいま』って言ってもらうことに、安くない金もらってるんですよ」




 ぬいぐるみは受け取った。


 持ち出していいという言質もとった。ならばここにいる意味はもうない。


「あと、同窓会にミオさんは来ません。これ、直接でも受け取っていただけますよね?」


 理解できないとでも言いたげな渡瀬未華子に『欠席』の同窓会案内を押し付け、俺は彼女の実家を後にした。


 怒りとも苛立ちともつかない感情が胸をむかつかせるが、それよりもやるべきことはいくらでもある。


「さて、と」


 実のところ、保存状態がよくないところまでは想定していた。


 ミオさんに直接渡すことがはばかられる、そんなレベルの状態だった時の方策は考えてある。


「流石にここまでとは思わなかったが、やること自体は変わらないな」


 時刻は午後十二時半。通常営業ならちょうど昼休みの時間帯だ。


 俺はスマホを取り出し、着信履歴から見慣れた名前を選んでタップした。


『おーう、ふぉしたー?』


「メシ中なのは分かった。すまんな土屋」


『うんにゃ、メシ食いながら仕事中よ』


「仕事中?」


 先日は「パンクしていて逆にやることがない」と言っていたはずだ。


「仕事、動き出したのか?」


『おうよー。なんか調整役の人がうまいことやったっぽくてな、ちょっとずつやけど回り出したんよ。あげなとこから持ち直すとか、仕事のできる人ってのはおるとこにはおるもんやねー』


 調整役。土屋たちの会社と取引先の大手企業を橋渡ししたマーケター。


 ミオさんのことに違いない。


「そうか……よかったな」


 土屋と、今は東京のどこかにいるのだろうミオさんに向けて素直にそう言った。


『んで、なんか用なん? マッツーからかけてくるとか珍しいやん』


「いや、忙しいなら俺ひとりでどうにかするが」


『出た出た、そういう気になるやーつ。ほれ、言ってみ』


「じゃあ、お言葉に甘えるぞ。この前言ってたよな? スマホを豆腐屋の車に踏み潰されて、神がかった業者にデータ復元してもらったって」


『おお、しかも吹っ飛んで水たまりに落ちたのにほぼ完全復元やけんね。あの業者はガチやわ』


「そこ、教えてくれ。ミオさんのために二〇年前のデータを引きずり出さにゃならんくなった」


『ほほーう、早乙女さんの?』


「それと、近くに村崎がいたら代わってほしいんだが……」


『まあ待ちい、詳しい話ば聞かせちゃらんや。なんなら俺らにも一枚噛ませろ。おーい村崎、ちょい()いや!』


「……お前ならそう言ってくれると思ったよ。悪いが時間は限られてる。村崎が来たらスケジューリングだ!」





 それからの数日は矢のように過ぎ去っていった。


 ミオさんの帰りは日に日に遅くなり、土日すら出勤して完璧な仕事を目指す中。

 俺も土屋、村崎と連絡を取り合いながら作業を進めて。


 迎えた週明けの月曜。約束の日の、夜九時。


 早乙女ミオの乗ったエレベーターが、マンションの六階で扉を開いた。

夜にも更新します。



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