早乙女さんは妹が欲しい
「お待たせしました」
四分と三〇秒後、俺は自分の部屋を出て廊下に出た。
そこには。
「…………」
「…………」
「ポーズすら微塵も変わってない気がする」
俺が部屋に駆け込んだ瞬間からコピペしたように変化のない光景が広がっていた。夕空に浮かぶ雲しか動いてない。
「ハシビロコウとナマケモノの縄張り争いか……?」
「お疲れ様です先輩」
「村崎、初対面の人と五分も無言で見つめあうのは色々アレだからな。せめて世間話とかしような」
「次からはそうします。ちょっと観察してしまって」
仕事でも同じことしてないだろうか、この子。
職場での近況はあとで聞かせてもらうとして、今はもうひとりの方が気になる。
「それで、ミオさんは……」
「ま、松友さん、ちょっと、ちょっと」
ようやくハシビロコウから人間に戻ったミオさんは俺の手を取ると、廊下の隅の少し離れた場所へと引っ張っていった。
「あの子、ムラサキさん? ってだれなの」
「俺の前の職場の後輩だった奴です。なんで今になって急に来たのやら……。転職してからは接点もなかったんですが」
「そうなんだ……」
「すみません、根は悪い奴じゃないんですがちょっと常識知らずなところがあるみたいで。失礼だったと思いますが許してやってもらえると「松友さん」」
遮られた。
今気づいた。ミオさん、俺を見ていない。視線は村崎に釘付けのまま動いていない。
「わたし、さっきまであの子を観察してて」
「無言で見つめあってると思ったら、お互い観察しあってたんですね?」
「それで、わかったことがあります」
「ほう」
なんだろう、女性同士だからこそ分かることとかあるんだろうか。
化粧品の使い方に性格が出てるとか、髪型で好きな人がいるか分かるとか。
「あの子、かわいい」
「……ああうん、そうですね。かわいいと思いますよ、ええ」
予想の斜め上から不意打ちされて思わずオウム返しした。何言ってるんだこの人。
「言ったことなかったかな。わたし、ずっと弟か妹が欲しくって」
「激しく初耳ですね」
「弟欲は松友さんが来てくれてちょっと満たされたんだけど……」
「弟欲」
食欲だけでなくそんな欲も満たしてたのか、俺。
「やっぱり妹も欲しいなって」
「はい、それで?」
「あの子がいい」
「何言ってるんですかミオさん」
「あの子を妹にしたい」
「お父さんかお母さんかサンタさんにお願いしてください」
「二十八歳差だと、もう娘だし……」
ミオさんがちょっと遠い目をしている。
この年頃の女性はその手の話に敏感なのを忘れていた。
「あー……かといってですね、いきなり妹にしたいと言われても。それにミオさん、本当にそうなったらしょっちゅう会うことになるかもしれないんですよ?」
頻繁に会う相手だと、何か失敗して嫌われるのが怖いとこの前自分で言っていた。
そんなミオさんが、妹なんて関係を求めるとは正直思っていなかっただけに俺も驚いている。
「子供はすき。あれくらいちっちゃい子なら大丈夫かも」
「ミオさん、村崎は二十二歳です。大人ですよ一応」
「? わかってるよ?」
「分かってるならいいんですが」
どうやらミオさんから見て子供と認識できればある程度は平気らしい。
確かに、身長は一五〇センチを余裕で切ってるけど。会社の誰かが小学五年生の娘さんを連れてきた時は必死で横に並ばないようにしてたし。
ちなみに俺の一年後輩の村崎だが、俺と違って誕生日がまだなので二歳差だ。
「とにかく松友さんに用事があって来たんだろうし? お話ししてみて、ほらほらさあさあ」
今度は背中を押されて元の場所へ戻された。再びミオさんと村崎の間に挟まれている。
「お話は済みましたか?」
「あ、ああ。待たせてすまない。それで、今日はどうした? 急に来るから驚いたぞ」
「松友先輩に私物を届けるよう、ズレカッコウ課長から指示されまして」
あだ名にわざわざ肩書を付けて呼ぶこの感じ、村崎に再会したなって感じがする。
「あーそうか、急だったから私物を置きっぱなしで……ズレカッコウ?」
「今はズレカッコウ課長と呼ばれています」
「この前、土屋はヅラカッコウって言ってたけど」
「更新されました」
ハゲカッコウ→ヅラカッコウと来て、ズレたかーそうかー。
「わざわざ悪いな。私物って言ってもマグカップくらいだろ?」
「それとロッカーに入っていた予備のネクタイです」
村崎が提げている紙袋が俺の私物らしい。
両手で差し出されたそれを受け取ると、俺が使っていた百均のマグカップと七百九十八円のネクタイが覗いている。
「おう、ありがとな。助かったよ」
「それで先輩、そちらの方は」
「ああ、この人はお隣の……」
「早乙女ミオです。松友さんにはいつもお世話になっています」
姉声だ。
仕事声とも普段の声とも違う。ミオさんが姉の声を出してる。
「改めまして、村崎です」
「あの、下のお名前は?」
「う」
ごく自然な質問に、村崎は一歩引いた。
「わ、わたし何かしました?」
「村崎、この人は大丈夫だ」
「……ん」
「はい?」
「村崎きらん、です」
村崎のフルネーム、村崎きらん。ひらがなで『きらん』だ。
採用期間中、いよいよキラキラネーム世代が我が社にも来たと話題になったのが懐かしい。本人も色々と気にしているから、あまり下の名前は名乗りたがらない。
「い、いえ、キランキランピカンピカンのきらんではないんです。金襴草という植物があって、あ、春に青紫の花が咲くんですけど、親が好きで育ててたものですからその名前を……」
「かわいい」
「……はい?」
「かわいいしオシャレじゃないですか! きらんちゃん!」
「み、皆さんそう言いますけどね。つけられた方は何かと大変ですし、あんまりいい思い出もなくてですね」
「国語の授業で、自分の名前の漢字が出たときにちょっと盛り上がるのとかできませんもんね。分かります!」
「なっ……」
「私もカタカナでミオなので分かるんです」
「……!!」
村崎は数秒ほど無言で固まった後、ゆっくりと俺に顔を向けた。
「松友先輩」
「おう?」
「早乙女さん、いい方でした」
「そうだな」
「先輩が大丈夫と言った意味が分かりました」
「ここまで一発KOとは俺も思ってなかった。相変わらずだな村崎」
刺々しい割に、何かが噛み合うと一撃で轟沈する。それが村崎だ。
「それで、きらんちゃ……村崎さんはこの後のご予定は?」
「特にありませんが……」
「ちょっと上がっていきませんか?」
ミオさんが自分から人を家に上げるとは……。
「ま、松友先輩」
「俺も少しお邪魔する予定だ」
「で、ではお言葉に甘えて……」
ふたりして俺の方をチラチラ見てくる。
ミオさんは「妹ですよ、妹!」とか言いたいんだろう、たぶん。
村崎は「お呼ばれしましたどうしましょう」とか言いたいんだろう、たぶん。
「……まあ、仲良くなれたようで何よりですよ」
ミオさんも村崎も、同性のお友達の話はほとんど聞いたことなかったし。心を許せる相手ができるのはお互いにとっていいことだろう。
「今朝ちょうど片付いたところなんですよー。ささ、入ってください」
「あの、私あんまりお茶とか分からないんですけど……」
「それよりウノはできるか村崎」
「はい?」
「これからやるのは、ウノだ」
「ウノ? あの国民的名作カードゲームの?」
「ええ、ウノです」
これはからかったつもりだった。少なくとも俺は。
まさかこれが週末を使いきるウノから始まるデスマーチ、後の『ウノマ』の始まりだとは、誰も予想していなかった。
24,000pt、ありがとうございます!
先輩作家が30,000を大台と扱っていましたが、それも見えてきたようで緊張してます





