早乙女さんは辛い
「ほらミオさん、早く手をどかして開いてみせて下さい」
「でも、やっぱり恥ずかしいし……」
「いいえ、逃しません。今日こそは見せてもらいます」
「うぅ……」
多少強引だが、俺たちふたりがいずれは通るべき道だ。今日は心を鬼にしなくてはならない。
「さあ、隠さないで」
「……はい」
俺に促されるまま、ミオさんは固く閉じていた手を開き……。
「終わったー!!」
「荷解き、完了!」
俺がミオさんに転職して、はや四週間。
その間コツコツと取り組んできたミオさんの荷解きが、今日ついに全て終了した。かつて床を埋め尽くしていた大量のダンボールは今や見る影もなく。土曜日の昼時にふさわしい穏やかな日差しが、すっかりあらわになったフローリングの木目を照らしている。
「この家、こんなに広かったのね。引っ越してくる前に下見したときのことを思い出したわ」
「2LDKがひとりで暮らすにもギリギリの床面積になる、って尋常じゃないと思いますよ」
もともと、食器類だとか本類だとかのダンボールは早々に俺が片付けていた。
問題は、ミオさんのプライバシーに関わる品が入ったダンボールだ。
「平日はあんな感じですし、休日は俺がいないから荷解きなんてやる気を起こしてくれませんでしたからね。ほら、この箱なんか放置しすぎてガムテープがベタベタになってるじゃないですか」
「……仕方ないじゃない。やっぱりこう、昔のアルバムとか日記って自分で開けるのもちょっと恥ずかしいし……」
「そうやって先延ばしにし続けたから、俺の立ち会いのもとで白日の下に晒す羽目になったんですよ?」
「うぐ」
最後に残ったのはミオさんの言う通り、日記帳やアルバムの詰まった箱だった。
他人が開けるわけにはいかないと俺はいい、そのまましまいこむのは気が引けるとミオさんは言い、かと言っていつまで経っても開ける気配はなく。
やむを得ず、こうして強行手段をとらせてもらった次第である。
「最後まで手で隠そうなんて無駄な抵抗をするんですから。そこまでするくらいなら俺がいない日にさっさと片付ければよかったのに」
「こ、心の準備がね?」
「だからって二年間も未開封で床に放置はやりすぎです」
「うぐぐ」
どうにか説き伏せて開封してもらい、今しがたようやく本棚や収納の中に分散して収めたところだ。
これをもって、ミオさんがこの部屋に来てから二年以上に渡って続いた荷解きは完成を見たのである。
「いやー、でも卒業アルバムに卒業文集も持ってきてたんですね」
「なんとなくね。神奈川の実家に置いていても邪魔だろうし」
「たしかに、卒業アルバムってたまーに見たくなりますしね」
「……私のは見ないでね?」
「そんなことしませんって。でもそうだ、思い出といえばなんですけど」
「何かしら?」
ミオさんの言葉に引っかかりを覚えた俺は、それが先日の看病の際に聞いたことによるものと気づいた。
「『あーちゃん』って、どなただったんですか?」
「……どうしてあの子のことを?」
「どうしてっていうか、ミオさんが熱を出している間にご自分で言ってましたよ? 部屋中をひっくり返して『あーちゃんがいないの』って大真面目に言った時は何事かと」
「そう、私ったらそんなことを」
例の風邪が完治してから分かったことだが、ミオさんは熱が高かった時間帯のことをおぼろげにしか覚えていなかった。
帰って来て、卵がゆとたまご酒を食べて、俺の友人の土屋が『おくす◯飲めたね』を買ってきてくれて……と、それくらいだ。
自分の部屋をひっくり返したことはほとんど記憶にないらしい。
「聞いた感じ、ぬいぐるみの名前かなとも思うんですが」
「ええ、小学四年生の秋まで大事にしてた喋るぬいぐるみね」
「あーありましたね。お腹を押すと『コンニチハ!』とか言うやつ」
「そうそう、ああいうの。ふぶきとちょっと似てるのよね」
むしろ、あーちゃんに似ているから同じ白キツネのふーちゃんを選んだ、といったところだろう。
「もう捨てちゃったんですか?」
「何かの時になくしたの。もう昔のことだからよく覚えてないわ」
「子供の頃のおもちゃってそういうの多いですよね……」
あの夏の海水浴で一緒に帰れなかった、閃光戦隊チバシガサガーのチバレッド人形。
俺のヒーローは今も石垣島の海を守っていたりするんだろうか。
なんとなくノスタルジーに浸るような空気になったところで、ミオさんが手をパンと叩いて立ち上がった。
「さて、お昼もすっかり過ぎちゃったし何か食べましょうか!」
時計を見ると時刻は午後二時半。朝から始めたはずなのに、作業と駆け引きに集中していたらすっかり時間が経ってしまっていた。
「あ、何か作りましょうか」
「時間も遅めだし、荷解き完了記念に食べに行きましょ。近所に三時までランチをやってるカフェがあるからお礼にごちそうするわ」
「いやいや、そんな」
「あら、心配しなくていいわよ?」
「でも」
「きちんと休日出張扱いで二万円出すから」
「そっちかー」
なんやかんやの末、休日出張手当てとしてお昼をごちそうになる、という形式に落ち着いた。ミオさんと出かける度に交渉するはめになっているし、そろそろ社規を定めた方がいいのかもしれない。
第四項『カフェ飯に関する条項』みたいになるけど。
二時間後、午後五時。
だいぶ長くなった陽も傾きだした頃、俺はマンションのエレベーターへと帰って来た。
……夜モードに入りかけたミオさんを連れて。
「おいしかったねー。わたし、エビフライすきー」
「ほうれふねー。俺も楽ひはったれふよ」
「ほんとー?」
「ほんろ、ほんろ」
「……ごめんね。ほんとにごめんね」
「いいれふから。死神ごろきに俺は殺へまへんよ」
『キャロライナの死神』。
スコヴィル値二百二十万を誇るトウガラシ、及びそれを使ったデスソースの名だ。
二○一三年時点にはギネス世界記録に登録されている。
「なんれあんなものを置いてるんれしょうね、あのカフェは」
「ごめんね……」
カフェに置いてあるものだし、言ってもそこまでではないでしょとミオさんがちょこっとパスタに入れたのが運の尽き。
揮発した大量のカプサイシンによる刺激と痛みに食事どころではなくなったミオさんに、ひとついいところでも見せてやろうと皿の交換を申し出たバカがいた。
俺だ。
「松友さんがかわりにくれたエビフライランチ、おいしかったよ。ほんとだよ」
「ミオふぁんがふれたパスタもおいひはったれふよ。ははは」
とりあえず、今日これからやるべきことは決まった。
「ウノでもやりまふか」
「やる……」
一緒にいないとミオさんが反省会を始めてしまう。俺としても今日はウノくらいしかできる気がしない。
“チーン”
さて、今日は『残り二枚でウノノンコールする』ルールでもやるかな。
そんなことを考えながらエレベーターは六階へ到着する。銀の扉が開くと見慣れた廊下が……。
「……松友先輩?」
「お前、は……!」
紫色のシュシュでまとめた、うっすらと焦げ茶の髪。同系色の紫色のワンピースに小柄な体を包み、紙袋を携えた女が、俺の部屋の前に立っていた。
「だれ……?」
「その人は誰ですか、先輩」
前後から同じ質問が飛んでくる。
「もしかして彼女さんですか? 彼女さんなんですか? デート中でしたらすみませんが、私も用事がありますので」
「あ、あの……」
「申し遅れました。私、松友先輩にお仕事を教わっていた村崎と申します」
六○五号室の前に立っていたのは、前の会社で一年後輩だった村崎だった。
しかし強い。
圧が強い。
礼儀正しいのに、言葉の一つ一つが刺さるように冷たい。廊下が語りの凍て地と化している。
「あばばば……」
普段から歴戦の社員達を相手にしているはずのミオさんが未知の圧力に震えている。
そんな後輩に対し俺は。
「ふらふぁひ……」
名前を発音できなかった。
「先輩!?」
「い、いや、これは」
「まさか、その人に舌でも抜かれたんですか先輩!? チオペンタールなんですか先輩!?」
「ほえーよ」
「わたしのせいなのはほんと……」
「こう言ってますが先輩」
「いや、らから」
「先輩、相変わらず人のために身を削ってるんですね、先輩。でもまさか物理的に舌を削るなんて……」
そうだった、こういう奴だった。
頭いいけどアホなんだった。
「ねーよ。いや、あっらっけ」
この前、舌を噛みきりかけたような。
「なんてこと……土屋先輩から『マッツーはホストか保育士になった』と聞いていましたが、まさか体を売っていたなんて」
「あばばばばばば……」
「よし」
混沌を極める状況に収拾をつけるために俺は。
「五分待へ」
自分の家に駆け込み。
「電源オン!」
ケトルでお湯を七〇℃まで沸かして。
「うおおおお!!」
飲んだ。舌に残るカプサイシンを洗い流すためだ。これで会話に参加することができる。
「ふぅぅぅ」
欠点は、カプサイシンが浮き上がって一時的に激辛地獄を味わうことなんだけども。
牛乳、買っておけばよかった。
「辛い」の読み方はご想像にお任せします。
モンハンワールド:アイスボーンのβ版やってみました。
チャージアックス超楽しい。斧強化って選択肢があるだけで、あれほど幅が広がるとは……。





