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早乙女さんは二度目に弱い

「具合はどうですか、ミオさん」


「ちょっとだけ、よくなったかも」


 土屋を見送り、自分は飲めない獺祭(だっさい)の一升瓶を台所に置いた俺は、ミオさんの寝室へ向かった。


 布団にくるまって小さく息をするミオさんの頬は赤いが、さっきまでの朦朧とした感じはなくなっている。


「体を動かしたのがかえって良かったのかもしれませんね」


「かもー」


「体もですけど心が折れてなくてよかったですよ本当。俺はてっきり、この前みたいに土屋への小さな失敗を気にして体調を悪化させてやしないかと……」


 一緒に買い物に出た日、店でした話が盛り上がらなかっただとか昼飯のパスタの汁を一滴飛ばしただとかを死ぬほど後悔して反省会(サバト)を開いたのを見ただけに、もしやと思ったのだが。


「だってつちやさん? とはもうしばらく会わないし……」


「……それが何か関係あるんですか?」


「だって、松友さんとは今日会って、明日も会うでしょ?」


「まあ、そうですね」


「だから、今日もし嫌われたら、明日はわたしのこと嫌いで嫌いでしかたないのに家に来てくれるんでしょ。おなかがキリキリする……」


 素直に疑問を口にした俺に、ミオさんは「ふつうでしょ?」という顔で答えてくれた。


「嫌いませんって。万一、どうしても顔を合わせづらそうなら来ないようにしますし」


「それはいや……」


「えぇー」


「ふーちゃんたちがいても、ぜったいいや……」


「どうしろって言うんですか」


「わかんない……」


 だがなるほど、なんとなくではあるが、言っていることを共感はともかく理解はできた。


「まあつまるところ、土屋とは何日も会わないから、すぐに気まずい思いをしなくて済んで気が楽ってことですね」


「……お礼はちゃんと言いに行くもん」


「えらいえらい」


「むー」


 挟む日数が多いと精神的に楽になって凹まない、ということらしい。たとえそれが先延ばしでしかないとしても。


 うん、この人はアレだな。


「ちなみにミオさん、夏休みの宿題は後回しにしてたタイプですね?」


「えっ、あばっ、ちゃ、ちゃんと全部出してたよ?」


 図星か。


「まったく、今年は計画的にやらないとですよ?」


「もう宿題ないもん……。えっ、ないよね?」


 ともあれ、強がりではなく本当に会話が成立するくらいには快方に向かってるらしい。若干怪しいけど。


 これなら薬の前に少し栄養を摂ってもらえるだろう。


「それじゃ、俺は料理してきます。お粥は下げますね」


 少し気分が良くなったといっても、無理に固形食を食べようとするのは避けたい。もったいないが今回ばかりは目をつぶろう。


 すっかり冷めきったお粥の皿を持ち上げようとしたら、ミオさんの小さな手が横からスプーンをさらった。


「まだたべる」


「いいんですよ。無理に食べて吐いたりしたら治りが遅くなりますし」


「大丈夫だから」


 スプーンを離さない。妙なところで意固地だなこの人。


「冷めた卵がゆなんて、美味いものじゃないですよ?」


「いいの」


 栄養的に言っても、ベータ化が始まったデンプンは消化が悪く、風邪で弱っている消化器に負担をかけるかもしれない。


 と言ったところで、こんなことで意地の張り合いをしても仕方ないわけで。


「じゃあ、あとひと口だけ」


「うん」


 手渡した皿にミオさんがスプーンを入れると、ボテッと団子のようになったお粥が乗っかってきた。


 それを口に運んだミオさんは、ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。


「……ごちそうさま」


「おそまつさま。食べ物を粗末にしないのはいいことですけど、それで体調を崩したら元も子もないですよ?」


「……さっきは、味が分かんなかったから」


 そういうことか。


 ミオさんの差し出した、八割がた残っているお粥の皿を受け取り、俺はそれにそっとフタをした。


「元気になったら、夜食にまた作ります。土鍋で作った本当においしいのをいっしょに食べましょう」


「うん、約束」


 そのためにも、早く良くなってもらわねば。


 幸い、風邪の波が引いて軽いものなら食べられるようになった。土屋の持ってきた材料もある。


 またぶり返すまえに、今度こそ間に合うように作るとしよう。台所に移動した俺は、すっかり見慣れた冷蔵庫を開いた。


「卵をストックしてて助かったな」


 今度の材料はさっきよりさらにシンプルだ。


「卵、日本酒、砂糖、ハチミツ……ん、豆乳も残ってるな。使おう」


 風邪の時の滋養食としては、お粥に並ぶ定番中の定番を作る。


 もっとも、最近はマンガやアニメでは見たけど実際には……という人も多いみたいだが。俺も自分で作るようになるまではそうだった。


「卵を溶いて茶こしで濾して、砂糖とハチミツを混ぜておく」


 調理の初手は卵の処理だ。


 ここでしっかりダマをなくしておくことが最終的な出来上がりに関わってくる。丁寧、丁寧に、溶き卵が一様な黄色い液になるようこしてゆく。


「土屋の持ってきた獺祭をカップに半分とって、レンジで煮切ってアルコールを飛ばす、と」


 できあがったものにお湯を少し加え、撹拌。


「これを溶き卵に、よく混ぜながらゆっくり加えて馴染ませていく」


 急いでやると、卵が固まってカキタマのようになってしまう。ゆっくり少しずつ加えれば、プリンのようにてらてらと黄色い液体になってくれる。


「で、最後に少しだけ豆乳を加える」


 味をまろやかにするためなら牛乳でもいいが、ミオさんは基本的に大豆が好きな人だ。風邪の胃腸をケアする意味でも豆乳はいいチョイスだろう。


「よし、味もできてるな。栄養価も高いし大丈夫だろう」


 今ならコンビニやドラッグストアで買える栄養食もゼリー食品も、ほんの数十年前には影も形もなかったはずだ。それまでの何百年という年月をかけて日本人が探ってきた『栄養補助流動食』。


「完成、っと」


 それが、『たまご酒』だ。


 マグカップの中で黄色い液体がトロリと波打ち、ふわりと甘い香りが立ちのぼった。

レビューをいただきました&2万ptを越えました!

ありがとうございます!


次回、「朝起きたら隣のお姉さんが納豆をかき混ぜて会社を救おうとしていた」お楽しみに!


ところで夏休みの宿題、定番の話題ですけど皆さんはどちらでしたか?

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 獺祭は、50でしょうか36でしょうか23でしょうか? 料理酒として使う場合は、「雑味」の部分が旨味になりますから、磨きの割合の少ない方が美味しくなります。つまり、大吟醸はおろか吟醸酒も…
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