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早乙女さんは離さない

 神は人に乗り越えることのできる試練しか与えない。


 誰だったかがそう言ったと、子供の時分に教会学校で聞いた記憶がある。


 でも神よ、乗り越えられればいいってもんじゃないと思います。


 鉄の味がする舌で天の誰かに物申しつつ、ミオさんの汗を拭いてギンガムチェックの春用パジャマを着せた俺は、誘惑に打ち勝った自分の理性を褒めたい気分でいっぱいだった。


「ミオさん、お腹はすいてますか?」


「あんまりー」


 しかしやはりミオさんの容態は芳しくはない。まだ元気なように見えて、食欲にはきっちり体調が現れている。


 体調の悪さを自覚していないのに、夕食抜きで布団に入ることに疑問を持たない。その時点で気づけたことだったかもしれない。


「じゃあ、軽く何か作りましょう」


「今日はいらないかも……」


「少しは食べた方がいいですよ。ちなみにお昼はなにを食べました?」


「えっとねー」


 考えること、数秒。


 分かる。昼に食べたものって案外出てこない。それで適当にカツ丼屋に入ったところで、昼もカツだったと気づいたりするのだ。


「あ、そうだ。S○YJ○Yたべたよ」


「それだけですか?」


「バナナ味ー」


 やはりかなり忙しかったらしい。


 昼食を抜いていないだけマシとはいえ、いくら大豆でできた栄養食品でも単品はよくない。豆さえ食えばブートキャンプもなんのその、健康な体で壮絶な色気を醸し出せるという人がいたが、今のミオさんに必要なのは普通の食い気と普通の元気だ。


「これ以上色気を出されても困る」


 次こそ舌がミンチになる。


「なにー?」


「ミオさんに早く元気になってほしい、って言ったんですよ」


「わたし、げんきだよー?」


「おっと、そうでした」


 とにかく、今は頭がもうろうとしているだけで気分はいいらしい。今のうちに食事を摂らせたほうがいいだろう。


「じゃあ、ご飯を作ってきますからね。ちょっとだけ待っていてください」


「いってらっしゃーい……」






「卵に、米に、ネギはあって……。ん、そういえば酒は料理酒しかないのか」


 幸い、日常的に料理をしているから一通りの材料は冷蔵庫に揃っている。風邪でも食べられる栄養のある食べ物にもいくつかあるが、やはりまずはこれだろう。


「よし」


 材料は炊いてあったご飯、卵、万能ネギ、しらす干し、白だし。


 作るのは、卵がゆ。

 消化によく栄養もある定番の滋養食だ。


「今回は味にこだわりすぎるよりスピードだな。悪化する前に食べてもらって寝れば回復するだろうし」


 理想を言えば、米を多めの水と白だしで炊き、熱いうちに溶き卵を回し入れてネギとしらすを散らしたい。土鍋を使えば健康な時に食べても十分美味いものになる。


 でもそれだと三十分以上かかってしまう。


 今、最短で消化のよいものを作るために使うべきは炊飯器や土鍋ではない。電子レンジだ。


 ミオさんの家にあるのは二〇〇ワット、五〇〇ワット、七〇〇ワットの切替式。十分使える。


「耐熱容器、はこれでいいか。ご飯と白だしと水を入れてフタをして、七〇〇ワットで……ご飯がまだ熱いし一分でいいだろう」


 レンジの中で容器が回転している間に、卵を溶いてしらす干しを混ぜておく。箸で縦に切るようにかき混ぜれば白身が分離しづらい。


 加熱の終わったご飯を軽くかき混ぜれば、味は本物に及ばないが消化の良いお粥になる。


 そこに溶き卵を回し入れ、もう一度フタをして蒸らす。


「最後に万能ネギを散らして、よし」


 卵がゆが完成した。


 所要時間、約五分。これならミオさんの体調が変わる前に夕食を済ませられるだろう。


「ミオさーん、できましたよー」


 寝室のドアをノックするが、中から声は帰ってこない。


「……ミオさーん?」


 やはり返事がない。


 ドアを開けてみて、俺は中の光景に息を飲んだ。


「この短時間で引き出しが全部開いてる……だと……」


「あ、松友さん、おかえりー」


 あらゆる引き出しと観音開きがオープンになり、服に下着に生理用品にと片付けるのに抵抗のありそうなものまで散乱した部屋の中心で、ミオさんがぺたりと座り込んでいた。


「み、ミオさん? これは何してらっしゃるんですか?」


「いないの」


 探し物らしいことは見た目で分かるが、こんなにひっくり返してでも見つけたいものとは。


「あとは俺が探しますから。何が見つからないんです?」


「あーちゃん」


「あーちゃん?」


 あーちゃん is 誰。


「おともだち……」


「あ、この前買った新しいぬいぐるみのどっちかですか?」


 ぬいぐるみ専門店とゲーセンの景品という出自の異なるコンビなら、先輩のふーちゃんと一緒にリビングに並んでいるはずだ。


「ちがうよー。あれはころちゃんとゆーちゃん」


 たぶん犬が前者で猫が後者だろう。なんとなくそんな雰囲気がある。


 となると、あーちゃんとは一体。


「じゃあ、あーちゃんはどんな子なんですか」


「まっしろなキツネさん」


「ふーちゃんじゃないですか。リビングにいますから連れてきましょうか」


「ちがうの。ふーちゃんじゃなくてあーちゃん、な、の……」


「ああほら、熱が上がってる」


 ふらりと床に転がったミオさんをベッドに戻す。苦しさはなくとも熱で記憶が混濁しているのかもしれない。


 ここはさっさと卵がゆを食べて寝てもらった方がよさそうだ。


「あーちゃんは俺が探しておきますから、まずはごはんにしましょう」


「あーちゃん、どこいったんだろう……」


「見つけたら教えてあげますよ。ほら、食べられそうですか?」


「食べれると、おもう」


「少しでもいいからお腹に入れてください」


 やはり食欲は無いらしい。ひと口、ふた口食べて匙を置いてしまった。できれば栄養を取って欲しいが無理に食べさせてもよくない。


 少しは食べたのだしと切り替えて皿を下げ、一緒に持ってきた薬を手渡す。


「はい、お薬です」


「ん……」


 金色の袋に入った粉薬の封を切って、右手に握らせてやる。めったに風邪をひかないミオさんが、念のためにとかなり前に買い備えていたものらしい。


「……ッ、けほっ、げほっ」


「だ、大丈夫ですか!?」


 粉薬にむせ返り咳き込む。慌てて熱を帯びた背中をさすってあげるが、これはあまり良くない事態かもしれない。


 飛んで来た粉で黄色くなった自分の顔をぬぐいながら、俺はある可能性に思い当たった。


「ミオさん、粉薬を飲めないんですか?」


「……わかんない」


 粉薬を飲む、というのは俺たちが思う以上に高度な技術なのだと何かで読んだことがある。


 薬は化学物質としての薬効に加え、その苦さで胃酸を分泌させて体調を整える。だが人間にとって苦味とは毒のサインであり、水分を含まないそれを飲み下すことは本能に反しているのだ、と。


「だいじょうぶ、がんばるから」


「では、もう一度だけ」


 もう一包み渡してみたが、結果は同じだった。


「うぇ、うっ……」


「急に体調を崩したせいで、普通の食べ物も飲み下せないんです。慣れない粉薬ならしかたありませんよ」


「でも……」


「心配ないですよ。今は便利なものがありますから」


 テレビのCMで、ゼリータイプのオブラートを見たことがある。近所のコンビニかドラッグストアまで行けばすぐ手に入るはずだ。


「ちょっと買い物に行ってきます。何か欲しいものがあれは一緒に買ってきますよ」


 電子決済のできるスマホがポケットにあるのを確かめ、席を立つ。こうしている間にもミオさんの体調が悪化していっているのが顔色で分かる。


「……で」


「え、なんですか?」


 声が出づらいらしい。そう思って耳を近づけた俺の袖を、ミオさんの右手が掴んだ。


「行かないで……」


「行かないでって言われても」


 これだけの熱だ。薬を飲んで、場合によっては病院も考えないとこじらせるかもしれない。


 出かけるといってもせいぜい数分。今後を考えれば振り払って出かけるべきなのだろうが、弱々しい右手はあまりに固い。


「ここにいて……?」


 どうする。


 心細いのは分かるが、このまま悪くなっていくのをただ見ていろというのか。そんなことしたくはない。


 だが、どうする。


「はぁ、はぁ……」


「気分、悪いですか?」


「今は、ちょっと、だけ。でも、へいき」


 いよいよ本格的な症状が出だしたか。


 苦しげに息をしながら、それでも右手は俺を離してくれない。


「どうする……!」


 ここから動けないのでは、いくらなんでもどうしようもない。


 神に祈るのもさっきやった。理由はともかく。あれが効くなら世話はないが……。


「……?」


スマホが、震えた。


「……なんだよ、お前抜きでまたあのゲーセン行ったから文句か?」


 おそらくは偶然のタイミング。それでも、俺は神に感謝した。


『着信:土屋遙斗(つちやはると)


 この前のゲームセンターを俺に紹介した元凶。


 たった二駅向こうに住む、前の会社の同期の名前が、スマホの画面に瞬いていた。

週間総合3位、ありがとうございます。


……新キャラ、男でごめんな?

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