村崎さんは比べがち
「ちょいと失礼」
「はい」
お手洗いにでも行くのだろう。お財布とスマホだけ持って立ち上がった土屋先輩は、しかし一度立ち止まってこちらを見ている。
「…………」
「どうされました?」
「いや、春にマッツーが通報されかけたんを思い出しとった」
「先輩」
「なんや」
「私としてもあれは深く反省していますのでそこまでにしていただけると」
「そうか」
「はい」
就職したばかりの頃、新人教育が始まるにあたって早川課長から「松友の後ろをついて回れ」と言われた。私はそれに従って言われた通り松友先輩の背中に張り付いて動いていた。
松友先輩は後ろの私を気にしながら仕事をしてくださったけれど、そこは人間、朝から晩まで背中を意識し続けることはできない。どうしても油断するタイミングというのはあるわけで。
「まさか一緒に男子トイレに突入して、マッツーが新入社員ば連れ込んだことにされるとはなー」
「松友先輩の背中ばかり見ていたらいつの間にか青いタイルに囲まれていました」
「村崎が男子トイレに入ったけんあれで済んだけど、これで男女が逆やったらと思うとな」
「男女平等について深く考える機会になりました」
「何事もほどほどが一番ってことやな」
それだけ言って、先輩は改めてお手洗いの方へ向かっていった。不必要に過去の恥ずかしいエピソードを掘り返された気がする。
「横から失礼しまーす。お冷のおかわりいかがですかー?」
「あ、お願いします」
いつもは絶妙なタイミングでお冷を持ってくる店員さんが、土屋先輩が席を立っているタイミングでやってきた。珍しいこともあるものだ。
「お連れ様のも注いでしまってよろしいですかー?」
「はい、お願いします」
「たくさん食べてくださる方なので、お水も大盛りにしておきますねー」
水を注ぐ店員さんを見ていて、そういえば、と思い出す。ハロウィンの打ち合わせのためにミオさんの家にお邪魔した時、ミオさんから訊かれたことがあった。
この店員さんと土屋先輩が結婚するとしたらどうするか、と。
もしもの話ではあったけれど、さっき二人が話しているのを前にしてみると有り得ない選択ではないと思えた。テンポが合っているというかお互いに聞きたいことと言いたいことが響き合っているというか。そういう方面の話には疎い私でも、この二人なら上手くいく気がする感覚がなんとなくある。
「あの、お聞きしたいことがあるんですが」
「はーい、なんでしょう?」
本人たちがどう感じているかはまた確かめるとして、先に気にしないといけないことがひとつ。
「店員さんって、店長さんとはお付き合いされているんですか?」
「おっ、恋バナですか? 恋の話ですかー?」
「失礼でなければなんですけど」
「他のお客さんからもけっこう訊かれるんですよねー。私と店長はそんなんじゃないですよー?」
「そうでしたか」
「そうですねー、私の店長への感情をひと言で表すなら……」
「表すなら?」
「……推し?」
「推し」
「推しですねー」
「推しですか」
「推しです」
最近はアイドルやアニメのファンが、好きな人やものを指してそういう言葉を使うらしい。私はやったことがないけど、即売会で知り合った娘が使っていた記憶がある。
「たぶんこう、新人アイドルを応援している人の気持ちに近いといいますかですね」
「なんとなく理解はしました」
「恋人が欲しくないかって言われたらそんなことはないんですけどねー。お仕事優先にしちゃう性分だから探すヒマがないといいますか。あはは」
「なるほど」
これなら何も問題はないんじゃないだろうか。土屋先輩も独身だし、いつか結婚したいと言っているのは聞いたことがある。割と頻繁に失礼な物言いが飛んでくるけど、仕事ができて気配りも上手いし、何より自分以外の誰かのために怒ったり笑ったりできる人だ。
つい最近だって、私が悩んでいるのに気づいて真っ先に助けてくれた。土屋先輩がいなかったら乾先輩との関係はどんな結末になっていたか分からない。その御礼になるかは分からないけど、ここはひとつ二人の仲を取り持ってみるのもいいんじゃないだろうか。
「そこんとこ言えば、お二人は仲がよさそうで羨ましいですよーホントに」
「私たちがですか?」
「お付き合いしてどれくらいになるんですかー?」
「どのくらい……? いえ、私たちは」
「初めて来てくださったのもカップル限定の頃でしたよねー。八月でしたっけ」
「あー……」
違うと言いかけて、思い出す。そういえば初来店の時はカップルとして土屋先輩と入店したのだった。中学生と間違われかけたけど。
「え、ええと、五ヶ月、くらいですかね……?」
「もうすぐ半年ですねー!」
「そ、そうですね」
松友先輩がミオさんに転職して、代わりに土屋先輩が私の教育担当になったのが六月のことだった。二人で食事をしたりするようになったのもその頃からだからと思って答えたけれど、しまった。これでは彼氏を別の女性に紹介することになってしまう。軌道修正しなくては。
「あれ、てことは半年記念がだいたいクリスマスじゃないですかー。何かお祝いとか考えてるんですかー?」
「あの、えっと、それまで続くか分からないといいますか」
「えっ、勢いで付き合ったカップルがだいたい別れる三ヶ月目は超えたのにですか?」
「もともとなりゆきで一緒にいたようなもので、相性がいいわけでもないので」
「そうは見えませんけど……?」
土屋先輩が私をどう見ているかはなんとなく分かっている。少なくとも、なにかするたびにトラブルを起こし、果ては男子トイレにくっついてくることを心配される人間は恋愛対象になるまい。
「別にあの人に何か悪いところがあるってわけじゃないんですが、いえ、欲望に忠実だったりなんともいえないところは色々あるんですが、その、次のことを考えるのも大事なんじゃないかと」
「と、いいますと?」
「よければ土屋先輩と」
ゆっくりお話ししてみてはいかがですか。それともお食事とか。
そう言おうとして、なぜだろう。言葉の続きが出てこなくなった。
「その、なんといいますか……」
「ただいまー。何の話しとるん?」
「あ、いえ」
そこにちょうど戻ってきた土屋先輩への答えに詰まる。お手洗いに行っただけだからそんなに長時間は席を立たない。それは分かっていたはずだけど、このタイミングで戻ってこられるとどうしたものか。
「男子には教えられませーん。ですよねー?」
「は、はい、そうです秘密です」
「えー、そらないやろー」
「ふふ、女の子に詮索はダメですよー。では、ごゆっくりー」
私に小さく目配せすると、店員さんは戻っていった。あの余裕が私と彼女との違いなのだろう。
「子供っぽいことをさらっとやる辺り、大人の女やなーあの人も」
「……そうですね」
「あ、それでな村崎。トイレで思ったちゃけど」
「…………なんでしょう」
この流れで思ったこと。店員さんのことだろうか。
「ハロウィンの仮装、オレの衣装ってミイラ男らしいやん?」
「あ、はい、それが?」
違った。
「あのグルグル状態って」
「はい」
「トイレ、行けるん?」
「……たしかに!」
言ってしまえば布で縛り付けられている状態だ。男性がどうトイレを済ませるのか詳しく知らなくても相当に難しいだろうことは想像にかたくない。
「考えとらんやったか」
「構造はシンプルですからどうにかはできるはずです。少し待ってください」
今日のところは、店員さんとのことを考えるのはやめておこう。もっと大事なことを話すべきだと思い直し、私は頭の中の型紙を組み替え始めた。
更新おまたせしました。本業は研究員な黄波戸井ショウリです。
ゴミの有効活用とかに関わる研究をしているのですが、生ゴミからある有用な物質を取り出せるかも、という話が出てきまして。1000キロ出張して堆肥の山を掘り返し、腐りかけの生ゴミをでっかいタンクいっぱいに詰めてくるハメになりました。前回書いた5時起きの用事がそれです。
知ってますか。堆肥って発酵の熱であったかいからハエが猛烈に湧くんですよ。
研究員って、ハエにとりつかれながら生ゴミをほじくる仕事だったっけ……。
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生ゴミに関する情報はとりあえずいりません(先回り阻止)





