早乙女さんは結びつけたい
「それでですね、納豆のネバネバの正体は納豆菌がタンパク質を分解して生み出したポリペプチドなんです。だからタンパク質が豊富な豆、つまり大豆だけが納豆になれるんです」
「なるほど」
「そうだったのね。てことは、もっと分解してペプチドがアミノ酸になったらネバネバじゃなくなるの?」
「そうですよ。今夜よければ試しますか?」
「あの、先輩」
「どうした村崎」
「以前から思っていたことなんですが」
十月も下旬に入り、町はハロウィンに染まり始めた頃。ミオさん宅のリビングでほうじ茶をすすっていた村崎がふと口にした疑問は、ある種の爆弾だった。
「どうしたのきらんちゃん?」
「松友先輩って、平日は毎朝ミオさんのお宅に通われてるんですよね?」
「つまりはここだな」
「今日のように休みの日でも、ご飯を作ったりされてるんですよね?」
「たまにね」
そんな生活ももうすぐ五ヶ月になる。体感ではもう三年くらい経ってる気がするから時の流れは恐ろしい。
それなんですが、と前置きして村崎は言った。
「もう一緒に住まれた方がいいのでは? 家賃もひと部屋ぶんでいいですし」
「村崎」
「はい先輩」
「急に難しい質問をするもんじゃない」
「分かりました」
俺の勤務形態は完全週休二日制。祝日や有給も合わせれば月に十日とちょっとの休みがある。にも関わらず、結局その半分はミオさんと過ごしているのが実情だ。さらに言えばこのマンションは2LDK。二人で住むくらいなら十分に可能だろう。
でもやはり同棲となるといろいろと話が違ってくるわけで。
「きらんちゃん」
「はいミオさん」
その点、ミオさんはどう考えているのだろう。俺としても気になっていたことではあるだけに、村崎の質問は爆弾であると同時に救援ともいえた。
表情を崩さぬよう、ミオさんの爆弾処理に耳をそばだてる。
「住み込みで二十四時間対応してもらうってなるとね、月三十万円じゃ雇えないの」
「なるほど」
不発だった。
しかしなんでまた村崎は急にそんなことを。
「理由ですか」
「そう、理由」
村崎にしてみれば俺がここにいるのも見慣れた光景だろう。そこに今さらメスを入れてきた理由が気になる。
「実は先日、用があって実家に帰りまして」
「茨城だっけ?」
「はい、つくば市です」
東京駅からつくばセンターまでならバスで一本です、と交通事情を付け加えつつほうじ茶をひと口すする。ちなみに今日のお茶請けはキントンだ。
「それで?」
「松友さん」
「なんですかミオさん」
「実家にはいろいろあるの。ね、きらんちゃん」
「私たちにどうしろというのでしょうね」
「……あ、はい」
ミオさんはあまり実家に帰りたがらない。その理由のひとつは『いい人いないの?』と繰り返し聞かれるから、らしい。
つまりそういうことなのだろう。社会人になって環境が変わった今ならなおさらに違いない。
「やるやらないではなく、できるできないの問題だと思います」
「わかるわ」
「そこは……いや、やめときます」
土屋とかはどうなんだと訊きかけて、どう返事されても対応に困ると気づいてやめた。もし本当に土屋と村崎がくっついたら祝福するけど、目の前でその算段を立てられてもどうしたものか。
この手の話題は、どちらかといえばミオさんと村崎のふたりだけの場に向いたものだろう。
「でもきらんちゃん、土屋さんと仲良しじゃない。実際どうなの?」
「ミオさーん?」
「あの人は胸の大きい女性にしか興味がないと思います」
「村崎ー?」
俺がいるところで普通にぶっこんできた。そして村崎の認識が割とひどい。この前助けてくれたのに。
「乾先輩の件でご恩は感じていますが、それと土屋先輩が私をどう見るかとは無関係では」
「正論すぎる」
「ほ、ほら、そこはまず置いておいて、きらんちゃんが土屋さんをどう思うか、みたいな」
「どうと言われましても」
本気で考え込んでいる。そういう対象として見たことがないらしい。そんな村崎に、ミオさんは定番の質問を投げかけた。
「共通の知り合いの女の人とかいない?」
「ミオさんです」
「できれば私以外で……」
「それだと会社の事務の方くらいしか」
「おばちゃんばっかだったよな、あそこ」
自分の前職場を思い出してみても、村崎を除けば若い女性はほとんどいなかったはずだ。
「あ」
と、キントンを持ち上げようとしていた村崎の手が止まった。
「誰かいた?」
「いえ、知り合いというほどではないのですが」
「顔見知りか」
「たまに行くカレー屋さんの店員さんが共通の知り合いといえばそう、かもしれません」
この前手土産だと言って持ってきた、あのカレーメロンパンを売っている店のことだろう。
「じゃあ、その店員さんと土屋さんが結婚したら、どうする?」
「それは……」
「うんうん」
定番中の定番、ミオさんからのその質問に村崎は即答した。
「式には呼んでいただけるんでしょうか?」
「……呼んでくれると思うぞ、たぶん」
「では、服を買いに行きます」
ドレスは持っていないので、と言いつつ、村崎はキントンを頬張った。表情には出てないけど、たぶん気に入ってくれたようで何よりである。
「あれはアレだね、松友さん」
「どれがドレですか、ミオさん」
村崎が帰り、夕食の準備中のこと。
納豆の粘りをつかさどるペプチド結合が切れるまでかき混ぜ続けている俺の横で、ミオさんは何やら目を輝かせている。
「きらんちゃん、意外とまんざらでもない!」
「土屋をですか?」
「そう!」
「それにしては反応がドライでしたが……」
たしかに好きか嫌いかで言えば好きなのだろう。でも男女だからといって、それがイコール恋愛としての好きとは限るまい。
さっきのミオさんの質問でもほとんど動揺らしいものが見られなかった気がする。もともと表情の希薄なやつだけど、ぴくりともしないのは流石に違うのではなかろうか。
「たぶん、自信の問題だと思う」
「自信?」
「自信があんまりないと、自分をそういう話の勘定から外しちゃうことがあるから……」
「……村崎が自分に自信がないっていうのはあまりしっくりきませんね」
「なんだろ、人としての自信と、女としての自信っていうのかな」
「質の違いってことですか?」
村崎はご両親ともいい関係みたいだし、ぬいぐるみ作りも上手くて学生時代は後輩に慕われていたらしい。たしかに人として自信を持つというか、自己肯定感を失うようなこともないだろう。
「でも、恋愛対象としての自信は別な人もいるの」
「そういうものですか」
「だから一見すごく自信満々で堂々としている女性が、恋愛だけは奥手で自分のこととして考えもしなかったりするんだって」
「へぇ」
なんだろう、今日のミオさんは恋愛熟練者のようだ。
「って、千裕ちゃんが言ってた」
そうでもなかった。
ホテル従業員として男女の機微を見続け、自身も結婚経験がある俺の姉。たしかにあっちは恋愛熟練者と言っていいだろう。
しかし千裕姉、なぜミオさんにそんな話を。
「というか姉ちゃんと連絡とってたんですね?」
「たまに」
「ちなみに他にはどんな話を?」
「え? 他だと……」
恋愛話もけっこうだが、千裕姉は俺の子供時代を全て知っている。
あの事とかあの事とか、余計なことが伝わっていないかは知りたくないけど知っておきたい。
「あ、そうだ」
「なんですか?」
「納豆のネバネバは砂糖を入れるともっと強くなるんだって」
それほど踏み込んだ話はしていないらしい。たぶん。
「……ネバネバを減らしたのと増やしたの、今日はどっちがいいですか?」
「両方!」
「はいはい」
4章開始です。暗い話はやらず駆け抜ける予定。
こんにちは、研究と量産試作を同時にやらされて体力も時間も残らない黄波戸井ショウリです。
でも今ならブラック勤務だった松友さんの気持ちが少しだけ分かる。もっといいものが書けそうだ。
でも今までまともな恋愛をしたことがない。やっぱラブコメとか書ける気がしないどうしよう。
そんな感じで未だ暗中模索な本作ですが、なんと、今回で100話を突破しました。
ここまで育ててくださったのは閲覧、感想、評価をくれた皆さんだと思っております。
これからも仕事と折り合いをつけつつ更新していきますので、何卒よろしくお願い致します。





