途絶える灯火
「生凛、少しは楽になったか?」
水に浸けたタオルを絞った物を額に乗せる。
「冷たくて気持ちいい、ありがとおにーちゃん」
辛いであろうのに俺が心配そうに見つめれば笑顔で返してくる、『心配しなくていいよ』と言葉で言われなくても言っていると伝わる。
「無理しないでしっかり休んで、俺はずっと此処に居るから」
布団を少し捲り生凛の手を握る、その小さい手からは、華奢でありながらも、致死率ほぼ100%のこの病から生き延びようとする強い生命力が感じられる。
「うん、平気だよ、病気になんか負けないもん」
平気とはいいつつも生凛の身体は燃えるように熱く、全身からの発汗が酷い、このままでは直ぐに脱水症状に陥るだろう。
「汗めちゃくちゃ出てるぞ、水分飲めるか?」
こくり、と小さく頷く、さっきまでの元気ももう無くなり、症状のピークに達していると見られる。
「飲めるよ……うっ」
詰まるように咳き込む、咳というのはかなり体力を使うものだし熱も相まって生凛は衰弱する一方だ。
「水持ってきたぞ、ゆっくり飲むんだぞ」
コップの半分ほど注いできた水を少しずつほんの少しずつ生凛の口の中に運ぶ、しっかりと問題なく飲めている。
今はこうして飲めても恐らくこのペースではもう今日持つか持たないかといった感じだろう……
せめて最期くらい、生凛の傍に居てやろう。
「おにーちゃん、生凛は死ぬの怖くないよ」
今ある力を振り絞って俺の方向に顔を向ける。その顔は美しく、幸せに満ち溢れている。目には涙を浮かべているが、瞳から感じられるその灯火は、まだ明るい。
「死なせたりしない、生凛は俺が見守ってるから」
繋いでいた手の力を強くする。
「ありがと、おにーちゃん。そういう所が大好きなの」
やめろ……やめてくれ、お願いだから、生凛を助けてくれ、死なせたくない、灯火を消させたりしない、俺が灯し続けてみせる。
「そういう事は言わないでくれ……まるで俺の手に届かない遠くに行ってしまうみたいじゃないか」
目から熱いものが込み上げてくる。涙、人は悲しむとき、涙を流す。辛い時にも、嬉しい時にも、言うならばとても大きな感情を抱いた時に流す。
「だって、こんなこと言わないで死んじゃったら絶対後悔するもん」
だから……悲しませないでくれ、
とうとう目から涙がこぼれ落ちる、頬を伝い生凛の手に落ちる。
「泣かないでおにーちゃん、私はおにーちゃんが世界で一番大好きだから」
世界で一番……か、俺も立派な兄貴だったのかな、こんな終わらせ方は俺の人生という物語として最悪だ、そして生凛の物語をここで途絶えさせる訳にはいかない。
「ありがとう、生凛。俺も大好きだ、最高の兄妹だと思ってる。だから、死なないでくれ、頼むから……っっ」
涙が止まらない、視界全体が歪んで見えない、生凛の顔も見えない。
せめて最期の顔くらい見届けたい。
「色々言いたいことあるけど、もうそんなに喋れないや、私が言いたいことは、おにーちゃん、今までありがとう、私はおにーちゃんにとって良い妹で居られたかな?もう私は死んじゃうけどおにーちゃんは私の分までちゃんと生きてね。大好きだよ、慎耶おにーちゃん」
そう言い残し、彼女は息を引き取った。辛かったであろうが、俺を心配させないように無理して喋ってくれたのだろう……
俺は冷たくなった生凛の手を抱く、この感覚とともに死んでしまったという現実から逃げたいと思ってしまう。
自分も今すぐ死んでしまいたい、とさえ思う。
でも生凛はそんなこと望んでいない、俺にもっと生きて欲しいと言った、その言葉を胸に、俺は生きていかなければいけない。
※
1週間後、俺も同様の症状に見舞われ、生凛と同様にこの世を去った。
地球上の全人口の9割が死亡し、史上最悪のパンデミックとして後世に語り継がれることだろう。
俺の人生という物語はここで幕を閉じる……はずだった。
本当の物語のスタートは此処からだった。
※
俺は目を覚ました、1度遠のいて諦めていたが、どうやらまだ死ねていなかったらしい。
やけに眩しく騒がしい、眩しくまだ目がなれない。
「慎耶くん……慎耶くん……」
俺の名前を誰かが呼んでる、女性の声だ。
「慎耶くん! 」
……! その鶴の一声で俺は目を完全に覚ました。呼びかけて居たのは隣に座っている松山 輝でも死んだはずの彼女がなぜ?
場所は稲山高校の図書館だ、そして俺は手にスマホを何故か握っている。
その画面には1つの文章が書かれていた。
『dream complete』